俺の周りがおかしいってどういうことだよ
学校の帰り道。
駅のホームで、電車を待つ間。
俺はホームのベンチに座った。
改札を通った時に、俺が乗る予定だった電車が行ってしまったのだ。
次の電車が来るまでの時間、楽に過ごすために座った。
待ち時間は10分。
10分、何しようか。
なんとも言えないこの暇な時間、果たしてどう潰そうかと、座ってから考える。
けれど、考えるといっても高尚なことでないし、とりあえずスマホでも触るか、そう思い取り出そうとした。
そこで、声を掛けられた。
「隣、失礼するわ」
「あ、はい」
緩やかに波打つ金色の髪。
きれいな空色の瞳。
少し彫りの深い顔立ち。
そんな、正直日本では少ない外見をした彼女は、自分の制服に気を遣いながら、すっと俺の隣に座った。
そしてその、整った顔をこちらに向け、口を開く。
「貴方、今日も大変そうだったわね」
出てきたのは、人を労る言葉。
しかしそれは一体、誰に向けられた言葉なのか。
悩んで、けれど状況的に。
「俺?」
「貴方以外、誰がいるのよ」
「いや、大変な自覚が無かったからさ」
俺だった。
仕方ないじゃん。
俺の理解が遅れたのは、意外だったから。
彼女がそんなことを言うとは、思ってもいなかったのだ。
そんな、言われるまで分からなかった俺を彼女はじとっと睨む。
どうやら少し彼女を不快にさせてしまったようだが、会話は続く。
「呆れた。よくよく今日の出来事を思い出してみなさい。貴方の状況、普通じゃないわ」
「普通じゃない、それってつまり特別てことかな。いいね、なんか自分がすごい人間みたいに聞こえる」
「貴方のそれは、特別じゃなくて異常よ。そして異常なのは、貴方じゃなくて貴方の周りの女子達」
そして話の中で明らかになった、最初の言葉の理由。
彼女が俺を労ったのは、彼女から見ると異常な人間に俺が囲まれているから。
成る程、大変そうだと言われるわけだ。
ただ、それは本当にその状況だったらの話だ。
悲しいかな、俺には自覚が無かった。
「そうかな。異常は言い過ぎじゃないかな。皆普通だよ、普通」
「非日常、毎日来れば、日常か。いいわ、貴方の認識を世間一般と近付けてあげる」
「別に、そんなことしなくてもいいよ」
始まりそうになる、彼女のおせっかい。
ありがた迷惑どころか、迷惑でしかなかった。
「そうね。まずは貴方の妹さんからにしようかしら」
「聞いてよ。別にそんなことしてもらう必要ないし」
「妹さん、朝の様子はどうだったか思い出せる?」
「強引な人だなあ」
こいつ、間違いなく会話が下手だぞ。
言い返した俺の言葉は、一顧だにされなかった。
俺はもう会話を続けたくなかった。
けれど止められなかった。
狭い駅のホーム、逃げ場がない。
黙り込むという選択肢は、真隣にいながらやるには、俺の勇気が足りなかった。
仕方なく彼女の言うとおりにする。
つまり、朝の妹とのことを思い出す。
「おはよう、お兄ちゃん」
朝。
俺の一日は、妹に布団の中で挨拶されることから始まる。
というのも、妹はよく、夜中に寝ぼけて俺の布団に潜り込んでくるからだ。
妹は自分の部屋に自分の布団があり、そこで最初眠りにつくのだが、夜中に寝ぼけ眼で起き出して廊下をうろつき、帰りに間違えて俺の部屋に来てしまうことがあった。
これは妹が本当に小さい頃から、ずっとあることだった。
幸い、俺は眠りが深いせいか、そのことで実害はない。
目覚めた俺の視界に、一番に入ってくるのは妹なことくらいしか、影響はなかった。
そこまで言うと、彼女に待ったが掛けられた。
「おかしいでしょう」
「確かに珍しいかもしれない。けど異常じゃないだろ」
「異常よ異常。寝ぼけた人間が、寝ている人間を起こさないで布団に入るなんて出来ると思う? それ絶対わざとだから」
わざとなら何のためにそんなことするんだよ。
承服しかねる。
その態度があからさまだったからか、彼女は言葉を重ねた。
「よーく考えて。貴方、挨拶されるってことは、妹さんの方が早く起きているのよね?」
「そうだな。大抵妹が先に起きている」
「じゃあ出ていけばいいじゃない。なんでずっといるのよ」
彼女はそこに引っ掛かったようだが、俺には妹の気持ちが分かる。
伊達に血の繋がった兄貴をしていたわけじゃないのだ。
妹が起きてからも俺の布団にいる理由、それは。
「朝布団から出たくないじゃん」
「夏でもそんな感じじゃない」
いいじゃないか、夏だってそんなでも。
学校があるだけで布団から出たくなくなるのだ。
「その目、納得していないわね」
「実際そうだし」
「いいわ。実の兄妹だし、家族ならそんなこともある、と無理矢理今は終わらせましょう」
「ほら、異常なんてないじゃないか」
ああ、勝ってしまった。
完璧に彼女を言い負かした。
案外呆気なかったな。
「いや、何終わった空気にしてるのよ」
敗者が何を言おうと、俺には届かない。
なぜなら俺は勝者だからだ。
「私言ったでしょ。周りの女子達って」
「そういえばそうだった」
面倒臭いなあ。
これまだやるの?
「まだいるの?」
「いるわ。次は貴方の幼馴染ちゃんよ」
そして思い出しなさいと彼女に促される。
しょうがない、こてんぱんにしてやるか。
俺が一日の最初に会うのは妹だが、二人目は幼馴染だ。
両親は共働きで、俺が起きる頃には通勤の電車に揺られている。
だから一緒に高校へ登校している幼馴染が、二人目となるのだ。
幼馴染は、部活の朝練があるからと俺より早く家を出る妹と入れ違いで家に来る。
「おはよ~う。今日はあの子、早く出たから、昨日よりも2分38秒長く二人きりでいられるね」
「きもいわ」
「え、俺そんなきもい?」
せっかくだからと、詳細に、会話まで再現していたらきもいと言われてしまった。
と思ったが、それは俺の勘違いだった。
「きもいのは貴方の幼馴染ちゃんよ」
「きもいとか言ってやるなよ」
持つべきものは、まめな性格の幼馴染。
俺は幼馴染のお陰で、学校を遅刻したことがない。
感謝こそすれ、邪険に扱うような理由はなかった。
「よく考えて。人間、秒数なんてカップ麺のお湯の時間くらいでしか気にしないわ。誰かと何秒何したとか普通気にしないのよ」
「俺は結構気にするぞ。テストとか、始まりと同じ秒に終わるかとかいつも気にしてる」
「うるさいわよ」
怒られてしまった。
敗者の言い訳に、勝者が耳を貸さなかった結果がこれか。
「納得しないならいいわ。次、行きましょう」
「食い下がらないのか?」
「貴方、あと2分で電車くるでしょう。時間ないし、数こなしておきたいの」
さいでっか。
しかし、あと2分か。
まさか待ち時間10分をこんなことに使うとは思わなかった。
まあここまで来たら、最後まで付き合うとするか。
「次は?」
「クラスメート。貴方の隣の席の、女子の方のね」
時間的に、多分最後。
指名されたのは、俺の隣に座る男女のクラスメートの内、女子の方だった。
登校中は町を歩くわけだし、当然人とすれ違う。
だからクラスメートは、俺が一日が始まってから会う人物の3人目には、絶対ならない。
けれど、俺と会話した人物となると、3人目によくなる。
それくらい、俺はクラスメートと仲が良かった。
おはようと挨拶を交わし、ホームルームが始まるまでだらだらと会話する。
話題は今日提出の宿題についてだった。
「おやおや~? 昨日帰ってから寝るまでぶっ通しでゲームをしていて、一時間目の宿題を終わらせていない人が教室に来たぞ~?」
クラスメートの言うように、俺はその日提出の宿題をやらないまま学校に来ていた。
提出は一時間目。
どうやっても間に合わない。
その事をからかわれたのが、会話の主な内容だった。
「……気付かない?」
「何を?」
今回は最後まで聞いたな。
そう思っていたが、どうやら彼女は俺が自分で気付くのを待っていた様子。
そして俺は彼女の期待していた反応を返せなかった。
彼女は深い溜め息を吐いた。
「それじゃあ、いきます」
「お、おす」
「なんで、クラスメートは貴方の寝るまでの行動を把握しているのでしょうか。貴方、昨日はそのことを人に話しましたか?」
始まる彼女の問答。
答える俺。
「俺が分かりやすい人間だからだろ。親しい間柄だと、相手が見ていないところで何しているかくらい予想できるし、それだけのことじゃないかな」
彼女はうなだれた。
どうやらがっかりさせてしまった様子。
しかし残念かな。
2分たった。
電車は来た。
お別れの時間だ。
電車に乗るために立ち上がる俺。
それに合わせて、うなだれていたはずの彼女も立ち上がった。
ただし、歩く方向は俺と逆だった。
彼女は、俺の乗る電車とは逆方面へ向かうものに乗るらしい。
丁度彼女の方も、俺のと時を同じくして駅に到着した。
ここでお別れ。
「またね、今度はもっとお話ししましょう」
最後、電車に乗る前。
彼女は俺に向けてそれだけ言った。
そうして、近所のお嬢様学校の制服の彼女は、自分の電車に乗り込んだ。
彼女の乗った電車はすぐに扉を閉めて、出発した。
行ってしまった。
そういえば、俺だって君に言いたいことがあったというのに。
お前誰だよ、て。