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猫又ノノの恩返し

作者: 只野透四郎

その日、八雲颯太は憂鬱だった。


大学を卒業し、今の会社に勤めて三年になる。一般的に、早期退職せずに三年続けば、その就職は安定したと見なされる。

だが八雲にとって必ずしも居心地の良い職場という訳ではなかった。

それまで耐えてこれたのは、ある意味、心の支えがあったからだ。

彼にとってのそれはペットだった。


入社して間もない六月頃、彼はそれと出会った。

雨の日だった。

通勤路の繁華街の路地の影に、雨に濡れてグスグズになった段ボールに入って捨てられていた小さな子猫。

まるで孤独な境遇を共有しているような気分に捕われ、八雲はそれを拾った。

ノノと名付けた子猫を彼はお風呂に入れて体を温め、ミルクを与え、トイレを躾けた。

子猫はすぐに八雲に慣れ、夜は彼の布団に潜り込んで眠った。

そして三年後、ノノは交通事故であっさり死んだ。


胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感。それは恋愛経験の無い彼が初めて感じるものだった。

仕事でもやる気を無くし、上司のどなり声すらどうでも良くなった、そんな頃だった。

いつものように、いつもの通勤路で、誰も居ないアパートに帰宅する八雲。



雨の日だった。

六月の、ちようどノノと出会った時と同じ季節だった。


そのノノが捨てられていた場所に、彼女は居た。十代後半くらいか。小柄な体形。甘える猫のような顔つき。

そんな少女がじっと八雲を見ている。八雲は慌てて視線を逸らした。

「家出少女かな? 関わると面倒だ」

そう思って足早に去ろうとした時、彼女は八雲に声をかけた。

「今度は拾ってもらえないんですか? 颯太さん」

「誰? 俺に君みたいな年頃の知り合いは居ないが・・・」

「私、ノノです。颯太さんに三年間、面倒見てもらった、あのノノです。死んじゃったけど、また颯太さんに会いたくて、人間の姿で戻ってきたんです」

「そういうファンタジーは間に合ってるから」


家出して、行く所が無いのだろうが、下手に泊めたら誘拐扱いされて人生が終わる。

なおもついて来る少女に、八雲は言った。

「家出とか止めて帰りなさい。もし親が暴力を振るうなら、警察に行けば何とかなるから」

そして角を曲がった所で八雲は全力で走った。

「颯太さん」


少女が彼を呼ぶ声を振り切って、ようやくまいた・・・と思った時、八雲は自分が、まだ人生を諦めていなかった事に気付いた。

ノノに死なれて自暴気味になっていた自分が馬鹿らしく思い、明日からまた、この地味な人生を生き抜く事を考えよう・・・とつぶやいた。

そんなふうに前向きになれたのは、もしかしたら、あのノノの生まれ変わりを名乗る少女のおかげかも知れない。

彼女はいったい何だったのだろう・・・と、そんな事を考えながら、彼は自分のアパートに辿り着いた。

そして彼の部屋の前に・・・彼女は居た。


「どうして君がここに・・・」

「だってここ、私が三年間暮らした部屋ですよ」



強引に部屋に上がり込む少女。

(人生、終わったかも知れない)。

それでもいいや・・・とも、その時八雲は思った。こんな女の子と、少しでも一緒に居られるのなら・・・


「体が冷えちゃった。またお風呂に入れて貰えますか?」

「お腹すいた。猫缶、まだありますか?」

そう言って、他人は操作のやり方も知らない筈のお風呂を沸かし、他人は知らない筈の戸棚を開けて、勝手に残りの猫缶を出して缶を開ける。

「あの、トイレは片付けちゃいましたか?」

「その体で砂箱は無理だから。人間用のを使いなさい」

これで、この姿で無ければ、本当にノノが帰ってきたと思えるのだが・・・。


その時、彼女は寂しそうな甘え声で言った。

「また、頭を撫でてくれないんですか?」

そして八雲に寄り添い、そっと彼に抱き付く。その小さな体の感触を彼は確かに憶えていた。

それはノノを抱いた感触だった。

まだノノが生きていた時、八雲が万年床で仰向けに寝ていると、いつも、その小さな体で彼の上に登ってきた。その小さな体を八雲はそっと両腕で包む。

それと同じ感触だった。

思わず両腕を彼女の背中に回す。その手に触れたものがあった。嬉しそうに左右にくねる尻尾だ。



「本当にノノなのか?」

「私は颯太さんのノノです」

「そうか・・・」

八雲はそう言って、彼女を抱きしめた。

「お前は何がしたい?」

「颯太さんのお嫁さんになりたい。その願いで、私はこの姿になりました」


そう言って彼女は一枚の書類を出した。婚姻届けだ。

「どこからこんな物を・・・」

「この姿になった時、お洋服と一緒にありました。きっと神様が用意してくれたんだと思います」



翌日、八雲はノノと一緒に、役所に届けを出しに行った。

だが、役所は届けを却下した。ノノの戸籍の登録が無かったのだ。

「神様、仕事が雑過ぎだな」

「けど、婚姻は両性の合意があれば成立するんですよね?」

「お前、猫なのに、よくそんな事知ってるな」


その夜、二人は一緒に夕食を食べ、一緒に入浴し、一緒の布団に入った。

布団の中で八雲がノノを抱きしめ、キスをし、そして・・・。

その時、いきなりノノが布団から出て、後ずさった。

「颯太さん、何だか怖い・・・」

いきなりは、さすがにまずかったか・・・と思いつつ、八雲は確認した。

「俺達、夫婦なんだよね?」

「そうですけど・・・」


ノノはしばらく考え、そうか・・・と合点がいったような笑顔で言った。

「もしかして颯太さん、子作りがしたいんですか?」

解ってくれたか・・・と、八雲は必死にうなづく。

するとノノは屈託のない笑顔で言った。

「でしたら・・・そういうのは発情期にお願いしますね」

八雲唖然。


「発情期って、いつ?」

「今年の春はもう終わっちゃいましたから・・・来年の四月ですね」



その後もノノは八雲に甘えてスキンシップをねだった。

入浴すれば全裸で入ってくる。寝れば一緒の布団に入る。それは猫の姿で居た時からの彼女の自然な日常だったのだ。

八雲は、まるで蛇の生殺しのように悶々とした日々を送った。

だが、やがてそれは彼にとっても自然な日常となった。

甘えて寄り添う彼女を抱きしめるのは、何より気持ちよかった。

頭を撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。喉を撫でると猫のように喉を鳴らす。

そんな彼女を八雲は愛しいと思った。


だが、やがてそんな日常にも終わりが来た。


ノノと暮らして一か月ほど経ったある日、会社から八雲が帰ると、ノノは灯りもつけずに座っていた。

全身が淡く光を帯びている。

「どうしたんだ? ノノ」

「颯太さん、お別れの時が来てしまいました」

寂しそうに、ノノは続けた。

「私、猫ですから、この姿を保つのに霊力を使うんです。それが尽きてしまいました。私、もうすぐ消えてしまいますけど、いつかきっと戻ってきます。その時まで、待っていて下さいね」

「ノノ・・・」

そう叫んで八雲は彼女を抱きしめようとした瞬間、彼女の姿は煙のように消えた。



大切なものを失った八雲の空虚な時間が、再び始まった。

彼はそれを紛らわせようと、必死に働いた。それは次第に周囲に認められ、様々な仕事を任された。

そして夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎた。

春が来て、新入社員が入る。



八雲の後輩として同じ部署に配属された中に、遠藤真由美が居た。彼女は八雲から様々な仕事を教わる中で、次第に彼に惹かれるようになった。

そして彼女は、八雲の中に、彼が必死に隠そうとしている空虚なものを感じ、それが気になりだした。

部署で遠藤にとって初めてのプロジェクトを終えた彼女は、八雲にご褒美と称して食事をねだった。

そして居酒屋について行き、彼に酒を勧めて、その空虚なものの正体を聞き出そうと・・・。


「先輩って、最近、女性と別れた・・・なんて事、ありません?」

「何でそんな事を聞くの?」

「陰があるって言うか、そんなのを感じるんですよね、先輩って。もし、そんな心の隙間とかあったら、付け込んじゃおうかなぁ・・・なんて」

そう冗談めかして笑ってみせる遠藤。

「そんないいものじゃないよ」

「って事は、それに近いものはあるんですよね?」

「遠藤さん、妖怪って信じる?」

「妖怪? 本当に居たら、何だかロマンチックですよね」

「例えばさ、動物が人間の姿でやって来て、住み着いて嫁になっちゃう・・・みたいな」

「鶴の恩返し・・・みたいな?」

「そんな話」


「あったなぁ。私、高校の時演劇部だったんですけど、やったんですよ」

「鶴の恩返しを?」

「鶴みたいな鳥の恩返し」

「何だそりゃ?(笑)」

「それがね、男の人が鳥を助けて、鳥が女の人の姿で恩返しに来て、宝物を作るから絶対覗くな・・・って言うんです。それで、覗いたら、作ってたのは赤ん坊だったと」

「子宝って訳だ」と言って八雲は笑った。

遠藤も笑って「これはあなたの子です・・・って。俺にそんな憶えは無いぞ、って男が言ったら、だって私はコウノトリですから・・・って」


二人は爆笑した。そして、一しきり笑うと、酔いの回った八雲は言った。

「実は俺の所に来たんだ。飼っていた猫が女の子の姿になって・・・」

八雲はノノの事を話した。

ファンタジーな話が続いたが、遠藤は真剣な表情で聞いた。丸ごと事実とは彼女も思わなかったが、目の前の男が空虚な何かを抱えている事は事実と知っていた。恐らく何かの例え話なのだろう・・・と。

「こんな話、信じないよね? 非モテの妄想とでも思ってくれ」

「信じますよ。だって先輩は非モテじゃないですから。少なくとも私にとっては・・・」


八雲の意識はかなり怪しくなっている。そんな彼に肩を貸して、遠藤は居酒屋を出た。

「先輩、家まで送ります」

連絡網の住所から、遠藤には八雲のアパートの位置の調べはついている。そこに上がり込んで先の事も、彼女は期待していた。

八雲は次第に酔いが醒め、自分の足で歩けるようになると、彼は遠藤を帰そうとしたが、彼女は強引について行った。

そしてアパートに着き、ドアを開ける。



鍵は何故か開いていた。そして中に一人の少女が居た。

ノノだった。


「颯太さん。ただいま」

「ノノ、どうして・・・」

消えてしまった筈のノノの再来に、八雲は戸惑った。

だが、もっと戸惑ったのは遠藤だ。作り話の中の存在と思っていた少女が、目の前に居る。

ノノは言った。

「子作りの約束を守るために、帰ってきました。人の姿になる霊力を貯めるために、今までかかってしまいましたが、今は発情期です。やっと私、颯太さんのものになれます。ところで颯太さん・・・その女、誰ですか?」


明らかにノノは怒っていた。

見ると、彼女の背後に巨大な猫の影が浮かんでいた。逆立つ尻尾の先端が二又に分れている。これが猫又というやつかと、遠藤は怯えた。

猫の影は今にも飛び掛からんばかりに身構えていた。

八雲は遠藤を庇おうとしたが、体が動かない。声も出ない。遠藤も同様だった。これが金縛りというやつかと、二人は死を覚悟した。


だが、ノノは二人に危害は加えなかった。

彼女は身動きできない八雲を布団に横たえると、彼の服を脱がし、自らも全裸になって、八雲を抱いた。

そして、その夜のうちにノノは、玉のような女児を産んだ。

全てが終わると、ノノは言った。

「颯太さん。これで本当のさよならです。私は消えてしまいますが、その子を私と思って育てて下さい。私から颯太さんを奪ったその女が憎い。だけど私はもう戻ってこれないので、颯太さんは預けます」

そして彼女は満足げに笑うと、煙のように消えた。



「こういうのも托卵って言うのかしらね?」

楽しげに赤ん坊を抱いて、世話をする遠藤。

「俺が悪いのかよ」と困り顔の八雲。

「少なくとも私の子じゃないですから。けど、先輩一人で育児なんて無理でしょ?」

「そんな事無いぞ。男親だって、育児くらいその気になれば・・・」

「けど私、ノノさんに先輩の事、頼まれちゃってますから」


ノノが赤ん坊を残して消えて以来、遠藤は八雲のアパートに住み着いて同棲状態だった。

やがて二人は周囲に祝福されて結婚したが、遠藤は会社を続けた。既に赤ん坊が居るので、当面出産の予定は無い。

赤ん坊は由乃と名付けられた。二人の母親から一文字づつ貰ったのだ。



「颯太さん、由乃のおしめ、代えてくれない?」

「その呼び方、何だかノノに呼ばれてるみたいで、少し怖いんだが・・・」と颯太は笑った。

すると由美は「うんと怖がってもらおうかしら。颯太さんが二度と私を裏切れないようにね」

「いや、先に付き合ったのはノノの方なんだが・・・」

楽しそうに笑う二人を怪訝そうに見る赤ん坊。もうすぐ彼女は一歳の誕生日を迎える。

題名を変更しました。前のは、何だかキャラに対する愛が足りないような気がしていたので。気になっていたのですが、書いた時はあれしか思いつかなかったもので・・・。

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