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第七十三話 塀越しのお姉ちゃん

 神名家にはちょっとした広さの庭がある。

 そこにはまばらに雑草が生え、ブロック塀に迫った端っこのわずかなスペースには、肥料を盛ったプチ畑があるのみだった。この畑は去年神名家の父が突発的に作ったもので、畑として機能していたのはたったワンシーズンのみだった。そしてワンシーズンの内で作った作物は春菊一つのみ。父がそれを選んで作った理由とは、うどんに大きな春菊の天ぷらを乗せて食いたかったからだと言う。直球の食いしん坊な望みだった。収穫後春菊は母の手によってカラッと揚げられ、父のうどんにドッカリ乗ったという。大人になってもこんなささやかな願いを叶えたことで父は満面の笑みを浮かべるのだった。

 現在この畑には何の種も撒かれていない。また父が気まぐれで何かを育て始めるのかもしれないが、その未来がいつのことになるのかは誰にも予想出来ない。


 こんな何でもないことを思い出しながら結華はプチ畑が見える縁側に腰掛けて爪を切っていた。短パンを穿き、片膝を立てた状態で座って爪を切っている。そんな格好だから角度をちょっと工夫すれば隙間から下半身を覆う下着が見えそうでもある。結華はそんなことも気にせずただ爪切りに集中していた。

 

 爪を切っている最中、結華の視界の端に自然の色ではない人工的な白色が見えた。一旦爪切りを中断して視界の端に映った物を今度は中央に映す。それは隣の家からブロック塀を越えて打ち込まれたバドミントンのシャトルだった。

 結華はしばらくそれを見ている。すると次にまた同じシャトルが塀を越えて庭に落ちた。声を上げるでもなく、それを拾うでもなく、結華は無視して爪切りを最後まで行うことにした。

 両足の爪をすっかり切り揃えた時、シャトルは20程庭に転がっていた。


「……何個打ち込むんだよ!」

 結華は縁側に常備されているサンダルを穿くと、次には縁の下に常備されているバドミントンのラケットを握って駆け出す。

 庭に転がる20のシャトルを拾っては打ち返す。全て打ち返す前に、また向こうも打ってくる。そんなことを続けるからいつまで経っても庭にはいくつかのシャトルが転がることになる。


「しつこいなぁ!」

 口では不満を言いながらも、ラケットを振って走ってを続ける結華の顔には充実ぶりが見える。この少女はバドミントンが、または体を動かす競技全般が好きなのだ。


 壁の外の道路を歩く者があれば、打っている本人達は見えないのにブロック塀の間を往復するシャトルだけが見えるというちょっとおかしな風景を見ることになる。本人達は周りにどんな風に見えるかなどお構いなしでブロック塀越しにシャトルを打ち合うのだった。


 しばらくすると、一つのシャトルだけが宙を浮いてあちらからこちらへ流れるようになる。20あったシャトル内の19は向こうに返し、今結華は一つのシャトルが返ってくるのに集中するのみだった。ミスはなく、いつまでも地に落ちずラリーは続く。


「……てか、今日は誰?」

 結華がシャトルと共に言葉を放てど答えは返ってこない。


「おじさん?」

「……」

「おばさん?」

「……」

 おじさんでもおばさんでもないようだ。だから相手は返事しない。おじさん、おばさんが違うなら、あとは一人しかいない。


「……みっちゃん?」

「ふっふっふ~……お姉ちゃん、を付け忘れているぞ」

「はいはい、みっちゃん、おねぇ~ちゃん」

「そうだ、みっちゃんおねぇ~ちゃんだぞ~」

 塀越しのみっちゃんお姉ちゃんは、塀無しで会う時よりも奇妙なテンションだった。


「あんた何してんの?文化祭の準備は?」

「着々と進行中じゃ」

「お兄ちゃんと一緒じゃないの?お兄ちゃんまだ帰ってないけど」

「いつだって一緒だと想うな。勇くんは実行委員だから誰よりも居残りを決めておるのじゃ」

「なんなのその喋り方」

「なんなんだろうな。当ててみな」

 結華はこの流れが面倒になったので無視することにした。


「こんなところで中学生とバドミントンの羽根打ち合ってていいの?暇なの」

「ふっふふ、これは羽根じゃない。シャトルというのだ。羽根を打つのは羽子板。いつまで正月気分でいる?」

「は?変わんないでしょうが、羽根もシャトルも。板で打つか網で打つかでしょ」

「漢字にすれば木がつくのか、糸がつくのかの違い。これは大きいぞ」

「何?この意味ない問答」

「ふふっ、私達の間で飛び交うやり取りなんて昔からこんなものでしょ」


 こんな具合で二人はこれといって意味のない会話をニ、三続ける。その日寝るくらいには内容を忘れてしまうような他愛のないことだった。


「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど……」

 新たな話題を切り出したのは結華の方だった。

「お兄ちゃん、最近……どう?」

「は、それはどうゆう?」

「……なんかねぇ。いや、証拠も無いのだけど、なんとなくね、女の匂いがする。新しき女の。といっても、嗅覚では何も感じないの。なんというか、心の鼻が利くこの独特の感じ、分かんない?」

「……そんな馬鹿げた……と言いたいところだが……ちょっとその話、興味がある」ここでみっちゃんはパシッとシャトルを手でキャッチした。長く続いたラリーが一時止まる。


「どうしたの?返ってこないけど」

「結華ちゃん、ちょっとその話、私もな~んとなく心当たりがあるの」

「え!やっぱり!何、誰?お兄ちゃんに近づく新しい女がいるってこと?」

「いや、分からない。マジで分からない。だが、この分からないには何かある、ということが分かる」

「さっきから何言ってんだあんたは。じゃあ何も分かってないんじゃん」

「とにかく、女の勘ってのはあてになるのかどうか知らないけど、この私みっちゃんおねぇ~ちゃんの勘はそうはいかない。いつだって何かを敏感に感じ取る」

「文化祭絡みで新しき女の影ありってこと?」

「その可能性は大いにあり!」


 結華は空を見上げる。鳥にしては大きく、UFOには小さい何かがプカプカと浮かんでいた。


「ねえ、そういうやあのおかしな女神、おにいちゃんとタッグを組んで実行委員になったって言ってなかった?」 

「うん、そうだけど」

「みっちゃん、そっちにテニスボール置いてたよね」

「うん、あるけど」

「ちょっとこっちに投げて」

 

 みっちゃんはテニスボールを塀の向こうに投げた。


「で、どうするのそれ」

「こうするんじゃぁぁあああああ!」

 結華は雄叫びと共に、ラケットでテニスボールを空高く打ち上げた。

 地上から空へ、まるで流星が里帰りするかのように一筋の光が伸びていく。

 それは鳥にしては大きく、UFOにしては小さい謎の何かに見事ヒットした。テニスボールを食らったそれは、急転直下で神名家の庭に墜落した。


「いってぇええ!痛ぇえ!なにすんじゃこのガキ!」

 墜落後早々に口を荒らしたのはなんと女神セピアだった。

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