第七十二話 その迷宮を破壊した君こそ我が光だ!
一度取り掛かった仕事は完遂する。何はともあれ、この段階を迎えない内には、一流の仕事人として評価するに足りない。マユミは一流の仕事人として日々現場に立っている。心に荒波を立てた時期を乗り越え、彼女が最後に目指すのは輝ける希望の大地しかない。今日もマユミは一流の仕事人、または一流の闇の美人秘書の名に恥じぬ戦いを行うのだ。
放課後の生徒会室に響くのは、紙をめくる音、紙の上を走るペンの音、カタカタというノートパソコンのタイプ音。極めて静か。ここに確認出来る人間の姿は2つ。マユミと勇のみだった。
マユミの口数が明らかに少ない。仕事始めの挨拶、指示を仰ぐ、それに対する了解の合図、それくらいしかマユミは喋らない。これまで談笑を楽しんだ仲の勇からすると、まるで急に言葉を忘れてしまったかのように思えた。
「マユミ、この書類終わったから、確認を頼む」
「はい」
マユミは勇の顔を見ない。作業机に目を向けたまま返事を返す。
「マユミ」
「はい」
「疲れない?」
「いえ、業務を問題なくこなすだけの体力は身につけているつもりです」
「マユミ……」
「はい」
「どうしたんだ?」
「何がですか?作業中です」
「いや、あまりにも諸々の応対が事務的というかなんというか……」
「その事務作業のプロとして私は呼ばれています。仕事ぶりに見る事務的な態度に何か問題でも?」
「いや、問題はない。ただ、違いすぎるから、気にはなる」
マユミの手が一瞬止まる。
マユミはテキパキと仕事を進めていた。ミスもない。スピードも申し分ない。安心安全なプロの仕事。自分がやって当たり前のこと。
スマートで迷いなき仕事ぶりが見えるその一方、彼女は内なる葛藤と戦っていた。
勇ぅ……勇が私に話しかけてくれて、気になるって言ってくれてる。何をどう考えても今までと態度が違っている私の変化に、聡明な勇が気づかぬわけがない。私に何かあったのか、または自分に何か罪があったのか、優しく賢い勇はそんなことを考えているはず。ごめんね勇。僅かでもあなたの精神に負荷をかけるなら、そいつは罪な女。今日の私がそれよ。
お母ちゃんに相談した後、私は更に5時間悶えの中にあった。そして腹を決めた。
私はやはり魔王城の女。そして勇とは別のこちらの世界の人間なの。勇とは勢力が違う、住む世界も違う。私が生きていけるのは私の世界だけ。所詮違う世界の違う勢力の勇とは分かり合うまでが限界。それが叶ったところで、共存、共生は出来ない話よ。割り切るのよ。割って割って割りまくってもう何も考える必要がないまで持っていくの。そうまでしないと、私と勇とを完全に分け隔てて考えることが出来ない。私には、自分と彼とを無理矢理にでも引き裂いて考えないといけない理由がある。
勇者だなんて自分で言うものだから、最初こそもしかしてもしかすると、1%くらいは中二病罹患者の戯言なのかもという希望に賭けた時もあった。しかし、現実的で正直な勇がいい加減な事を言うはずがない。あの女神にも確認を取った。いとも簡単に「そうそう、勇ってば超勇者なのよ」と口を割った。それを言い振らすことが別に禁則事項ってわけでもないみたい。
悲しいわ。悲しい程にあなたは光り輝いているから、勇者だなんていうこちらから見れば呪われたような立場を勝ち取ったのね。
私は魔王軍の、それも上層部メンバーなんだ。勇者と仲良くなんてしてはいけない。絶対の勝利は魔王軍の長ドブジルにあり。絶対の勝利者は、己が倒すべき敵の存在を明確なものとして常に注意深く動く。私はその勝利のマニュアルに従う。冷酷なまでに私は一流なの。仕事や趣味でのことではない、この道を取ったのは、この私マユミ・サナダの生命が掲げた矜持がそうさせたこと!
「良いでしょう。全て話します」
決別の時だ。それは外でもない私が決める。
「フェアじゃない。それは私のやり方ではありません。勇が身分を明かしたのなら私もすっかり明かします」
何を言い出すのだろうと思いながらも、勇はマユミの言葉に集中する。話し始めた彼女の表情に一つの覚悟を感じ取ったからだ。
「私はマユミ。ただのマユミじゃない。あなたの倒すべき敵、魔王ドブジル配下の闇の美人秘書マユミよ。私の本業は、魔王の下で働き、世界征服作戦を円滑に進めることにある。つまり、あなたとは完全な敵対関係にあるの。敵同士が仲良くするお花畑満開な甘い世界がどこにあって?」
勇は初めて知る事実に少なからず驚きを覚えた。
「あなたが勇者とは全く知らなかったわ。それを知った上でスパイするためにこの仕事を受けたわけではない。あくまで見聞を広める向上心から副業として依頼を受けたの。騙すような形になったことは謝るわ」
勇は黙って話を聞いている。今は彼女に全て喋らせ、言葉と想いを受け止める気でいた。
辛い。なんて辛いの。ここまで心を冷酷にして淡々と語る自分が自分でないみたい。いつもは彼のキラキラした目を見て話すのが楽しかった。それが自然だった。でも今は、全然楽しくない話なのに同じように目をしっかり見て話している。
勇の目からは、何を思っているのかはっきりと感じ取れない。悲しみ?怒り?それともこちらはお前の敵だと名乗ったのだから、勇ましい彼なら私を討つと心に決めて闘志を燃やしているのかもしれない。勇は優しい、そして強い。どれを思っても不思議ではない。
「そうだったのか。お前はそんな立場の人間だったのか。ゴライアス、セピア以外のそっちの人間とは初めて話したのに、まさか最初の一人が魔王軍上層部メンバーだったなんてな」
ああ、勇。彼もまた決別の時を受け入れたのね。魔王軍の手先を勇者が許しておくはずがない。彼にとって私の存在は明確に「敵」とインプットされた。悲しい、悲しいけどこれが本来あるべき真実の形。勇、勝負よ。我らが魔王があなたを滅ぼす。私は全力で魔王を補佐する。それが私の道だ。
「敵同士……それでも私は、副業とはいえ、契約の下でしっかり仕事を果たさなければならない。一緒に仕事をする相手が本業における敵であっても、副業は副業として最後までやり抜くのが契約。そして私の流儀だ。なので、契約最終日まではよろしくお願いします」
まるで他人。あんなに仲良くお喋りしていた男子が、たった一日の休暇を挟めばここまで遠い存在になる。いや、そうしたの。この私自らが。
「……最後に、最後に……」
よせ!何を言うつもりだ私は!
ここまで覚悟を決めて喋り切ったのに、最後の最後で女を出すのか!
よせ!止めて!
ああ……口の動きに、そして放たれる言葉に待ったをかけられない。
「最後に、これだけは聞かせて。今日は無し。それより前のことだけ。今日以外、これまで私と一緒に仕事してきて楽しかった?」
ああ……言ってしまった。女であるよりも先に一流の仕事人でいたかった。いるはずだった。だが、悲しくも優先されたのは女の部分。私の最も弱い部分。
「何言ってんだ。今日だって楽しかったよ。本当のことが知れた。その人間の本質が見えた上での付き合いの方が楽しい、ていうか面白いだろ?マユミの人間性と真意がよく見えた。今日はそれで良かったよ」
放課後の生徒会室に夕陽が差しこむ。仮に日陰の中でも輝いたはずの勇の笑顔は、夕陽を浴びてもっと眩しい。闇の世界を生きる私を浄化して消し去るがごとく、彼の笑顔は眩しすぎるのだ。
こんな女にも向ける笑顔があって?なぜ彼は微笑む。分からない。
「どうして笑う……?」
「え?楽しいなら自然とそうなるだろ。別に悲しいことも怒ることもないし」
なぜだ。彼は怒っていないのか。討つべき敵が、敵だと名乗らずこれまで自分の生活の中に入り込んでいたのに。それは気持ち悪いこと、恐ろしいこと、憎むべきことではないのか。
「マユミ、何か難しいこと言ってたな。そういうことを言う以上、難しく悩んで考えて、頭に負荷をかけたんだろうな」
当たり前だ!
こちらがどんな想いをしてそちらのことで悩んで苦しんで悲しんだか。少しでも分からせてやりたいくらいだ。
「でもそんなに難しいことは考えなくていい。言わんでいい」
「何を言ってるの?勇者が何を言うの?」
「違う!俺が生まれたのも育ったのも、そして予定では死ぬのも、ずっとこの世界でのことだ」
「え?」
「お前がグダグダ言うなら俺もしっかりはっきり言ってやる。いいか、俺は勇者に選ばれても、勇者としてそっちの世界に行ってやるつもりはない。知らん他所の世界での面倒を俺が解決する道理がない。俺はずっとここで、この世界の人間として人生を歩むんだ。お前に矜持や流儀があるように、俺にだって自分で決めたこれだっていう生き方がある!」
「え、え?こっちに来ない?そんなのありなの?」
「ありなんだよ」
マユミは呆気にとられる。何を考え、何を言えば良いか分からない。
「だからさ、そう構えるなよ。俺は敵じゃない、敵にならない。お前とも魔王とも戦わないんだ。だったら敵だ味方だなんて考えて悩むことないだろ?これでいつも通り普通に仕事が出来るだろ?」
勇は自然と微笑みながらマユミを心の葛藤から解放させる言葉を送った。
「ああ、ああ……そうか、勇は敵ではない。むしろ味方!」
「いや、味方……ではないんじゃないか?」
「いやいやもう何でも良いのよ!とにかく私は心に潜む無限の迷宮をぶっ壊して脱出したのよ!解放されたのよ!なんて素晴らしいのでしょう!」
「マユミ?」
いつもの微妙に狂気が見え隠れするマユミに戻ったと勇は思った。
「ああごめんごめん!ゴメンナサイ勇!怒ってない?酷いこと言ってごめん!今日の言葉はオール無し無し!本当はめっちゃ勇が好きなの!全然、これっぽちだって戦いたいなんて思ってないの!勇、いさむぅ!また手を、和解のシェイクハンドを!これからも仲良くしましょうね!」
マユミはモニタに頬を擦り寄せ、全力の想いまでもを解放する。これまで隠していた感情が一気に押し出されるその様子に勇は戸惑いを感じた。というかやや引いていた。
「ああ…‥まぁいいんだよ別に。たくさんあった誤解が全部なくなったんだから……まぁ良かったよな」
再び勇の手を取った時のマユミの気持ちは、天にも上る心地良いものだったという。
マユミは闇を脱し、光の女になってしまった。




