表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/197

第六十六話 闇の住人が見た光

「兄さんはお芝居が好きなの?」

 幼い弟の口から出た簡単な問い。イエスかノーのどちらかを答えれば終わる簡単な問いだ。そんな意味合いとしては簡単な問いに答えることが、私にはとても難しいことに思えた。私は答えられなかった。その時から今でもなおその答えは見つかっていない。


「違う!そこのシーンでは、もっと心からほっこりとした感情を引き出した上でそのセリフを言うんだ。これを書籍として読んだのなら、文脈から、また詳しい心理描写で人物の感情も簡単に読める。だが、舞台上では本の中のように都合良く何でも説明してくれる『語り手』の役はない。人物の感情の表現に文字が使えない以上、役者が全身全霊で伝えるしか手段はないのだ。君達は物語の登場人物であると同時に、書籍でいう所の語り手の役も一気に引き受けた上で舞台にいるんだ。そのことをしっかり理解してくれ」


 熱っぽい言葉。これも私の真実。私の舞台論として確かにある言葉と意志。もう辞めた世界のことなのに、私は今一度熱くなってしまう。鎮火したと思った火種が、ここに来てまた火力を増す。胸の奥に懐かしき熱を感じた。

 目の前の素人を指導することに確かな充実感を得ている。同時に、今頃になって何を熱くなっている?もう辞めたのに?と冷めたことを言うもう一人の自分がいる。私の中に二つの意見、二人の人間がいる。

 

 こんな状況を前に、私とそっくりだった弟のことを思い出す。始めて私達を見た他人なら、同じ人間が二人いるのだと勘違いしたことだろう。

 弟も私も舞台で演劇を行う子役だった。双子の兄弟で役者をすれば面白いだろうという両親の思いつきから始まり、デビュー、そしてある程度のヒット、スムーズにことは進んだ。

 最初の内は親も客も喜ぶ。だから何でもやってしまえという勢いで頑張っていた。でも、舞台を重ねる毎に思うようになる。どうして自分はここに立っているのか。兄弟で立っているのか。立つ必要があるのか。じゃあ降りてもいいのか。

 芝居が楽しかった。そう思っていた記憶が確かにある。でも、それがいつからいつまでのことかは分からない。嫌いとは言わないが、ただ好きじゃなかった時期が出来た。徐々にそちらの方が長くなっていく。 

 押し寄せるリアルに向き合うのに余裕がなくなり、リアルの中に偽りを潜ませるだけのスペースがなくなってしまった。そうなると人はもう演じることが出来なくなる。こうなっては役者は終わりだ。

 私は引退すべくして引退した。声帯模写を行う芸人が声帯を失えば、当然仕事の継続は出来ず廃業に追い込まれる。私の場合でも同じことだった。演じるプロなのに、己の中に本来は無い偽りの人格を降ろして演じることが出来なくなったのだから。


 弟はいつだって明るく楽しく芝居をしていた。弟は、はっきりと芝居が好きだった。天真爛漫さを売りするのが弟。対して私は、年相応ではないどこか影のある幼き少年性を出すことに定評がある子役だった。人間性ではない、芝居性として、私達は光と影のように例えられたことがある。私は、明るい太陽の下で遊ぶより、涼しい木陰で本を読む方が好きな少年だった。それは今でもそうだ。私は影の中にあることが好きなのだ。


「違う違う!風呂に入ることを思い出すんだ。ぬるま湯では気持ち悪い、熱湯では熱すぎてイラつく、では程良い湯加減なら……君は何度のお湯が一番気持ち良いと思う?」

「はっ!40……いや、38度くらいが俺にとって一番気持ち良い湯加減です!」

「では、その温度の湯だ!疲れて帰った晩、君はその日の疲れを癒やすため38度のお湯に入る。何か自分なりに入浴環境を良くする工夫とかはあるか?」

「はっ!草津の湯の入浴剤を入れるとより落ち着き、心が癒やされ、入浴後にも心地よく眠れるようになります。それはもう間違いなく!」

「よろしい!では草津の湯のことも濃くイメージするんだ。良い湯加減、色合い、香り、後に訪れる快眠。さぁ出来たね?出来たら今一度心から安堵したシーンを!」

「はい!」


 稽古に出てきた少年は、前向きな姿勢で私の言葉から演技のコツを掴み取ろうとしている。態度は真面目だと思う、しかし着ている服を見ると、なんだかよく分からないけど萌えなタッチの美少女漫画キャラがプリントされている。真剣な稽古中には気の抜けるファッションだな。


「どうでしょう!ダークネス先生!」

「いいじゃないか!君の向こうに草津の大浴場が見えたぞ!」

「やったぜ!」


 仲間の技術が上がったことを他の者達も喜んでいる。この子たちは待った無しで下手くそだ。でも悪くない。個々に向上心が見え、個人でなくチームで演劇ステータスを上げようとする一体感が見える。教えたい気持ちに上手いか下手かは問題ではない。教わりたい、もっと上に行きたいという真剣な想いを演技ではなく真意でこちらに見せる者にこそ、指導者は真に技を伝授したくなるのだ。よく知らないこんな世界にいる素人の子供達が、かつてプロだった私のハートに火をつけた。妙な出会いもあったものだ。

 

 私は、この時はっきり楽しいと思った。これまで人から教わることで舞台に立っていた私が、初めて教える立場で舞台の上の者と向き合っている。位置関係が変わっただけでなんと不思議な感覚になるのだろう。

 そうか、そもそも私は芝居が好きだったのだ。人よりも演技を見て、してを幼少期から繰り返して来た人間が、今になってこんなことに気づくものなのか。自分という人間は、他でもない自分に対してこうも盲目であるものか。ふふっ、面白い。遠い昔弟に投げかけられたあの問いの答えがやっと出たわけだ。


 芝居との新しい向き合い方が見えた。舞台の上での仕事が全てではない。舞台の下でメガホンを取ったり、カメラを回したり、光を当てたりなんてことも出来たんだな。そういえば弟は光を操る魔法が得意だったから、照明関係のことは自分でプロデュースしていたな。

 私なりに、角度を変えた二度目の芝居人生をリスタートさせてみても良いな。唐突に次なる進路が見えた。ゴライアスという謎の男からこの依頼を受けて良かった。


 ところで、さっきからこの少年が言っている『草津の湯』とは一体どこのどんな湯なのだろう?

 適当に話を合わせて知っているフリをしていたが、我々の世界では聞かない地名だな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ