第五十四話 運命の磯物語
磯には出会いと別れのストーリーが多くある。これは海を愛した俺のじいちゃんの言葉だ。
そのストーリーには、笑いの込み上げるものもあれば、泣けて仕方ないものまで、様々なジャンルがあるという。俺はまだこれといってどれも経験したことがない。でも、磯に通い続ける内にはきっと何かしらのストーリーを彩るキャストの一人になるのだろう。とか思いながら釣り竿を垂らし続けてちょっとの間にもうストーリーは始まるのだ。人生の舞台にタイムテーブルは設定出来ない。舞い降りた運命の方から一方的にこちらのスケジュールを埋めてしまうものだ。
俺の青春のメモリーに色濃く刻まれた磯物語を話そう。
その日俺はボラを釣るつもりで第二の故郷、つまりは海に出向いた。一の故郷は母ちゃんの腹というわけで、二の故郷は生命の源とも言えるこのだだっ広い海だ。俺の母ちゃんは、長い生涯の中で俺一人分の命しか生んでいない。それに比べて海ってのは、一体いくつの命を世に放ったのか。とんでもなく巨大な母体である。こいつは尊敬に値する。
まぁ子供ってのは産んだ数よりも質が大事ではあると思うけどな。そこへくると俺って息子は少数精鋭の極みなわけだ。
俺の母ちゃんは俺一人を産んだだけでものすごく疲れたという。で、産んだ後には休む間なくもっと疲れたとも聞く。確かな充実感があったものの、この俺の育成にはこれまた確かな苦行的要素もあったとか。だからこその少数精鋭にして虎の子の一人息子にまでなったのがこの俺だ。
そんな俺は日々思うのだ。海は良いってな。
海には謎がたくさんだ。謎とは恐怖とイコールするだろう。奥深くに何があるのか分からない海は、よく分からんこそ俺達を恐怖させる。人の命を奪うことだって海にはお茶の子さいなことだ。そんな危険がピリリと辛いスパイスにもなるから良い。スリルと快楽は紙一重なのだ。俺は海の危険性を良く知っている。だからこそ、危険の中で得る快楽が蜜の味だということも知っている。
こういった魅力があるから、俺はここフラッシュコブラシティの海に惚れ込んだ。基本的にはいつも自分を解放している俺だが、ここにいるとそれに輪をかけて真なる魂の解放が出来る気がする。
ボラを釣る気でいた話に戻るが、その日はボラとのコミュニケーション、通称ボラニケーションが上手く行かず、ヤツとの対面が果たせなかった。まぁこんな日もある。今日は一緒に遊ぼうよ、お茶でも、または飯でもしようよと誘いをかけたところで、向こうの都合によっては誘いに応じてもらえないことがあるだろう。その辺の都合は人間でもボラでも一緒なのだ。
当時は日本に帰って間もなかったため、日本の金と良いバリカンを持ち合わせていなかった。そんな時分の俺は、少々清潔感にかけるロン毛の域まで伸びた鬱陶しい髪を頭から生やしていた。こんなロン毛で成績が坊主ではいかん。ボラがダメなら何か他の海の仲間とコミュニケーションを取ろう。というわけでコミュニケーション能力の高い俺は海面に向かって愛想を振りまいたのだ。その結果、坊主は免れた。
磯にはアベックが多い。
座るに丁度良い岩がある。比較的穏やかな波が、ポチャポチャと音を立てて岩を打つ。虫も殺せない程の弱い威力の波が奏でる音は、恋人達の恋人たる雰囲気を鮮やかに彩る。磯は恋を捗らせる。俺はまだ経験したことがないが、それをたっぷり経験して楽しんでから死んでいった先人が言うのだから間違いない。先人ってのはじいちゃんのことだ。
「海のことは女房くらいに抱いた。だから何でもかんでもいっぱい知っている」
そんなふざけた言葉をこの世に残して今はあの世で遊んでいるのが俺のじいちゃんだ。変なジジイだったけど面白いから俺は好きだったぜ。
じいちゃんの言う通りだ。本日の獲物を手に引き上げる途中、アベックを見た。
あれ、よく見れば俺とそう変わらない歳に見える二人だ。日本に来て日が浅いから知らないが、近所に住んでいるのかもしれない。もしかすると同じ学校で既にすれ違ったことがあるのかもしれない。
二人で釣りをしている。餌の虫を女の方が平気で触っている。でも、男の方は気持ち悪がっているようだ。豪快な女だな。あっちの国でもこっちの国でも磯の女はだいたい図太いもんだ。
おっ、フランスパンみたく前髪を尖らした知能指数の低そうなお友達がやって来たぞ。一人、二人、三人いる。磯で皆と待ち合わせてボラでもイクっていうのか。だが今日は止めておけ、この俺がダメだったのに、お前らのような素人くさい連中じゃ無理無理。
あれ、先の二人と後から来た変な頭の男三人が何か揉めているようだ。まったく、磯では平和に楽しくがルールだろう。それは日本でも共通の教えじゃないのか。
男連中は拳を握っている。荒ごとに持ち込む気か?
2対3だし、女も混じっているじゃないか。
とか思ったら、女が飛び蹴りを放って一人を海に落としちまったぞ!いや~すげぇ~打点が高いな。こいつはリングの上でも使えそうだ。プロレスラー志望かな?
陸に残った二人がカンカンになってらぁ。これはどうしようか、仲裁にいくか。磯の仲裁人かぁ。なんかあると格好良い肩書かもしれない。よし、ちょっくら行ってみよう!
海に落ちた一人が上がってきて、これでまた3人に戻った。数で不利だな。俺は二人の方寄りの態度で行くか。
「おーい!どうしたぁ?喧嘩かぁ?」
「なんだテメェは?コイツらの仲間か?」
海から上がってきた濡れ鼠が気性荒く言う。
「はぁ?知らん。まぁそこだな。果たしてどちらの仲間につこうか、それを状況から判断しようと思う。さぁ続けて」
俺は2対3のぶつかり合いの行方を今は見届けることにした。
「はぁ?ふざけてんのかテメェ!なんのつもりだ」
まだ乾いた衣をまとったフランスパン頭その2が俺に向かってくる。
「おいおい質問が多いなぁ。なんだよ、俺は見届けているんだぜ。俺を当事者にしてくれるなよ」
「やべぇなコイツ。イカれてるんじゃねえのか」
3人目のバカが笑いながら言う。
アベックの二人は、謎の生物を見るようにして俺を見ている。
「で、続きしないの?」
「あ?お前が先にやられてぇようだな」
「違う違う、そっちのアベックと事を構えていたんだろ?お前さん達何がどうなって揉めてたんだ?」
ここで女が口を開く。
「この人達が私に遊ぼうって言ってきて、でも私は勇くんとボラを釣ることに決めているから」
勇。ほう、光栄にもこの女に選ばれたボラ釣りの相棒のこいつは勇というのか。良い体格、それに良い目をしている。この状況に怯えた感じが見られない。すぐに喧嘩に乗らないあたり、気性が荒くて困るバカではないようだ。その気になれば3人相手でも撃退出来るって感じだな。でも、やはり磯では平和解決の方が良いだろう。そうそう、平和に平和に……。
「おい、何だ?何してんだ」
俺がクラーボックスを置いて中の獲物を探り出したので、バカ3人は何事かと気にしている。
「ふふっ、右には10本、左には8本。数の不利は、海の仲間に助けてもらおう。だって俺達は友達だもん!」
「うあぁあ!気持ちわりい!!」
俺は右手にイカ、左手にはタコを掴んだ。吸盤が俺の手に張り付く。このなんとも言えない気持ち悪さが一周して気持ちよかったりもする。両手の仲間達をバカ3人組に見せつける。3人共後ずさる。
「ふふっ、活きが良く、と~ても美味しいぞ!スーパーでなら二つ合わせていくらするか……高品質でっせ!」
「ひぃぃい!」
セールスポイントを上げるだけで奴らはビビっている。だろうな、向こうは足が6本。俺と仲間たちで合わせて……あれ、すぐに計算できないや、とにかく足がいっぱいだ!
「な、なんなんだよお前!急に出てきて気持ちわりぃな!」
「何?俺が何者かだって?奇遇だな、俺もその答えを探している。この人生をかけてな。お前達も一緒にそれを考えて見つけてくれる仲間になってくれるか?」
もっと近づく。奴らはもっと後ずさる。
情けない顔をして怯えてやがる。
「いや、やっぱいいわ。お前達はたくさん考える頭があるようには見えない。仲間にはなれそうにないぜ!さぁ、足がいっぱいの俺達にヌメヌメにされたくなけりゃ、さっさと帰りな!」
海の仲間達のヌメリ感マックスな足が顔面に近づくと、奴らは青い顔をして逃げていった。
「ふぅ、磯ではマナー良くだよな」
おかしな三人は帰った。あとはここに二人残っている。
「で、お二人さん。そっちは仲間になってくれる?」
「私、ヌメヌメした人って嫌い」
「また奇遇だな。俺もだ」
女の方には振られた。
「お前さんは?」
男を見る。
「お前、気持ち悪いけど、いいヤツっぽいな。まぁここはありがとう」
助けてやった、と言ったら俺のエゴか。勝手なこととはいえ、平和に解決したのにこの言われようだ。世の中ってのはどうにもこうにも甘くないように出来ている。
「ふぅ、ここで出会ったのもヌメリの縁だ。ほら、お近づきの印に、二人にひとつずつ」
おれは仲間達それぞれをコイツらに託すことにした。
「わ~い!今日晩はイカ焼きだぁ!」
女は超絶活きの良いイカの方を持ち上げてはしゃいでいる。元気なイカ好き女だ。
「みっちゃん、素手でいくなよ。普通に持つんだもんな~」
男が名前を呼んだ。女はみっちゃんというらしい。
「じゃあこっちはお前だな。ホイっ」
おれは8本の足を男に向けた。
「いや、袋とかないのかよ」
「必要か?」
「必要だろが!」
袋をねだる男。それが勇の第一印象だった。




