第四十四話 塀越しのおばさん
夕方、勇は自宅の庭に立っている。すると、庭を囲む塀の向こうからバレーボールが飛んでくる。勇はそれを器用にトスすることで、地面に設置させることなく、また塀の向こうに返す。塀は高く、向こう側は見えない。塀の向こうからボールを飛ばして来る者もまた勇のことが見えていない。そんな状態だが、双方慣れたもので、塀越しにボールは何度も行き来する。
「勇ちゃん、勇ちゃん、みっちゃんから聞いたわよ。何でも最近は私生活がファンタジーに溢れているとか!」
「おばさん、その勇ちゃんって呼び方に何か違和感があったりしないか?」
「ううん、全然。だって勇ちゃんは産まれるちょっと前からだって既に勇ちゃんだったのよ。勇ちゃんのお母さんは、早い段階から自分の膨らんだお腹に向かって『勇』という素敵な名前を呼びかけていたもの。ああ、今でも思い出すわ。青春の想い出よね~」
壁の向こうの人物は、勇のこと、加えて母まなみのことまでよく知っている。
「最近は勇者登場、その勇者を誘う異世界からの使者が来て、次には女神様まで現れたって。で、その女神様と銃をぶっ放して遊んだって。みっちゃんがそんなことを楽しそうに話してくれたわ」
「ああ、普通なら娘が母にそんなことを言うならかなり頭がおかしいかもしれないけど、みっちゃんの言ってるそれは本当だよ。また異世界から分けのわからんのが来てさ、もううるさくって」
文句を垂れながらも、勇はボールが来るのに集中してトスをミスすることはない。
「勇ちゃんの日常が目まぐるしく変わって行ってるのね。若き日々は刺激だらけだろうけど、勇ちゃんのは格別おかしいね!」
「他人事だと思ってお気楽に言うよなぁ。こっちは訳のわからんことに巻き込まれそうなのを、心を強く持つことで全部跳ね除けるってのに苦労してるんだよ」
「しかし、みっちゃんだけの騎士様か王子様になるものばかり思っていた勇ちゃんが、一つの世界の命運を握る勇者様だとは、すごい大物が隣に住んでいたものね!」
「えぇ!騎士?王子?」
これまたファンジックな肩書が飛ぶので、勇は思わずバランスを崩しそうになるも、持ち直してボールトスをクリアした。
「みっちゃん、結華ちゃんとも久しぶりに熱く楽しく遊べたって喜んでたわよ」
「あんなものが女子にとって熱く楽しい遊びとは……ウチの結華もだが、みっちゃんもなかなかじゃじゃ馬、そんでタフだよな」
「まぁ育て方が一味違うからね!」
「おばさんも、なんていうか……色々強かだもんな」
「えへん!それは褒め言葉として受け取っておこう!」
「で、どうなってるの?異世界に行く行かないってのは?」
「え?あのなぁ、おじさんもそうだけど、まるで普通に旅行にでも行くような感じで皆それを聞くのな。行くわけないだろ。俺は日本人だから、ずっとここにいるの」
「あら?国境を跨いでの旅も開放的だし、見聞を広めるのにも良いわよ。この私もだって独身時代には、ハードル競争感覚で国境を越えてたわよ」
「はいはい、おばさんは昔からフットワーク軽いもんな。俺のはハードルや国境とは違うの。越える物の高低とかが問題じゃなくて、次元が違うって話なんだから」
「ふーん、そんなものか」
ここでおばさんは少し高めのトスを出す。
「で、勇者やらないなら、みっちゃんの騎士様か王子様ならやる気はあるんだ?」
「はぁあ!」
勇の返したトスの軌道が先程まで描いていたものからやや逸れた。だが、おばさんはちゃんと返してくれた。
「あのなぁ、おじさんもそんな感じのことを……ちょっとばかり無神経というか、突っ込んだことを聞かれると困るよ」
「あっはっは!ごめん、ごめん!」
おばさんは、隣に住む幼馴染を産んだ母なのだから、勇から見ればしっかりおばさんだ。でも、ノリが明るく若々しい。
「ごめんね。年寄りが口出しするにはデリケートな話題だとは思うけど、娘のことはもちろん、昔から知ってる男の子のこととなると、どうしても気になっちゃって!」
勇がまたトスを上げて塀の向こうにボールを返した時だった。
「って!誰が年寄りやねん!」
次にはスパイクが帰って来た。
「うわっ!」
返球スピードと軌道が急に変わったので勇はびっくりしたが、高い反射能力がなせる素早い反応によってしっかりレシーブで返球を行った。
「と、またごめんごめん。体まで使ってのノリツッコミがでちゃった、テヘッ」
「テヘッじゃねぇよ。びっくりしたなぁもう。そっちが打つの見えてないんだから、急にテンポ変えられるとびっくりするじゃないか」
「ははっ、でもしっかり受け止める強い子なのが勇ちゃんだね。じゃあその感じでウチのみっちゃんのこともお願いね」
おばさんはボールをキャッチしたらしい。返球がない。
「お母さん、そろそろ晩ご飯の準備じゃない?」
「は~い、帰るよ。みっちゃんも手伝ってね」
みっちゃんが母を呼んでいるのが勇にも聞こえる。
「じゃあ勇ちゃん、また相手してね。運動不足にならないようにしたいんだけど、一人じゃ退屈でね。勇ちゃんが塀越しに相手してくれて助かるよ。あ、それはウチの旦那も言ってるからね。あの人も勇ちゃんのことがお気に入りだからね。ふふっ、こんなことならウチも男の子を作っておくんだったな~とか言ってるのよ」
「そんな夫婦の都合を隣の家の子にベラベラ喋るなよ」
「いいの、いいの。じゃあまたね」
お隣さん夫婦は、仲良く揃って暇潰しの相手に自分を呼ぶことがある。勇はこんな時間が嫌いではなかった。ずっと年上だが、お隣さん夫婦は喋りやすく、人柄も大変良かった。それはその娘、つまり幼馴染の少女にも見られるものだった。
勇は、お隣さんとの付き合いに心温まるものを感じて家に帰るのだった。




