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第三十三話 塀越しのおじさん

「おーい、いさむちゃん、いくよー」

 塀の向こうからおじさんの声がする。

 勇の家の周りはブロック塀で覆われている。勇は今、そんなに広くはない庭に立ち、塀に向かってグローブを構えている。塀の向こうにあるのはみっちゃんの家である。

 隣の庭から塀を越えて飛んで来たボールは、勇のグローブに収まる。

 勇はそれをまた塀の向こうに投げ返す。塀を挟んで相手があるキャッチャーボールだが、塀は高く、互いの姿は見えていない。ボールはいつ相手の手を離れるのか目視出来ないので、しっかり集中していないと、ボールのキャッチに失敗してしまう。勇と塀の向こうのおじさんは、慣れた手付きでミスなくコレを続けるのだ。


「勇ちゃん聞いたよ。何でも勇者様に選ばれてどこかよく分からない世界に招待されたとかなんとか」

「え?おじさんの耳にも届いてるのかよ。まぁそうなんだよ」

「で、いつ行くのさ?」

「行かないよそんなところ」

「へぇそうなの?勿体ない」

「勿体ない?」

 ここでボールを受けた勇の返球がやや止まった。


「うん、だってすごいことじゃないか。おじさんはね、小さい頃に桃太郎や西遊記を読んでいたんだけど、こういう物語のの主人公ってのはどんな気分なんだろうってよく考えていたんだよ」

「おじさんだって、おじさんの人生じゃ主人公だろ。他は皆脇役じゃないか」

 勇はボールを投げ返した。おじさんはキャッチする。


「はっは、勇ちゃん、素敵に格好良い事を言うね。確かにそれもそうなんだけど。おじさんが思うのは、物語世界の行く末がどうなるかっていう命運を握ったヒーローのポジションについてなんだ。おじさんはおじさんの人生じゃ生涯降板無しの主役さ。だけど、ヒーローっていうのとはちょっと違う。おじさんは世界に対して働きかけることが出来るような強大な力なんて持っていないもの」

 勇は黙って話に耳を傾けつつ、ボールが塀から顔を覗かせるのに備えている。

「そこへ来くると勇ちゃんは大人物だね。世界でたった一人の勇者に選ばれたっていうんだから」

 おじさんのボールが返ってきた。勇はそれをキャッチする。


「俺はそんなのいいんだよ。ここで普通に生きてるだけでさ。手広くなにかやらなくても、ここだけで楽しくやっていければいいの」

 勇はボールを投げ返す。


「勇ちゃんは堅実だよね。まぁ勇ちゃんの好き好きで選べばいいよね」

「そうそう」

「ところで……もしかすると、ウチのみっちゃんと離れるのが嫌?」

「はぁ?」

 ここで勇はやや体勢を崩しての危ないキャッチになった。ボールを落としはしない。


「何を言うのさおじさん」

「ははっ、これはロートルが出過ぎた真似を……もっと出過ぎてみてもいいか」

「え?どういうことだよ」

「う~ん、勇ちゃん、ぶっちゃけウチのみっちゃん、どうよ?」

「どうって……どうってことないよ。普段通りだって」

「ふーん、勇ちゃんはそうしてかわすんだね」

 おじさんはボールをグローブに収めるとしばらく返球を待った。


「というかおじさん、そのちゃん付けで呼ぶのいい加減なんとかならないのか」

「ふふっ、とは言っても、勇ちゃんはずっと勇ちゃんだからな。今更、君や様や殿に呼び替えるってのもおかしな感じだし」

「いや、君は普通だって、後のはおかしいけど」

「ふふっ、勇ちゃんがウチの息子にでもなれば、さすがにちゃん付けは出来ないと思うけどなぁ~」

「何言ってんだよ」

「ウチのみっちゃん、ぶっちゃけ有望株だと思うんだよね。気立ても良いし、肝も据わっている。どうかな、勇ちゃん」

 ここでおじさんはボールを投げた。


「……おじさん、今はそういうのが全く想像出来ないって範囲から出つつある複雑な時期なんだよ」

 勇は遠回しな表現を用いて、あまり突っ込んだことを聞いてくれるなという意志を示した。

「ああっと、これはさすがに出過ぎた真似だったね」


「お父さん、晩ごはん出来たよ」

 みっちゃんの声がする。


「おっ、飯の時間だ。今日のおかず、何だと思う?」

「て、まだ続けてていいのかよ?」

「ラスト3往復だ」

「ったく……煮魚だろ?」

「おしいな、ビーフシチューだよ」

「どこがおしいなんだよ」

「しっかり煮込むあたりかな。勇ちゃんのところは?」

「今日はハンバーグだってさ」

「いいな!交換しようよ、塀越しに」

「そんなことしてるとおばさんに怒られるって。それにハンバーグ食べたいんだよ」

「ははっ、勇ちゃんはチビの頃からずっとハンバーグが好きだよね」

 ここでおじさんのグローブにボールが収まり、約束の3往復が終わった。


「よし、いい運動になった。ありがとう勇ちゃん、また相手してよ」

「うん、いいよ」

「ああ~、やっぱり息子も作っておくんだったな~」

「そういうこと他所の子に言うなよ」

「ははっ、勇ちゃんならいつ他所の子からウチの子になってくれても歓迎なんだよ。じゃあまたね」

 おじさんは飯を食いに家に入った。


 これはお隣さん同士で定期的に行われる塀越しのコミュニケーションである。これは勇のではなく、おじさんの日課になっていた。こんな感じでおじさんの暇潰しに付き合わされることに対して、勇はまったく悪い気はしないのであった。

 おじさん、つまりは幼馴染のみっちゃんのお父さんのことを、勇は昔から変なおじさんだと思っていた。でもそんな変なところが好きだった。

 今日もいつも通り変なおじさんだったなと思いクスリと笑うと、勇はハンバーグを食いに家に帰るのだった。

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