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第十五話 昨日勇者、今日からニートの安心ファイナル展開!『長井鈍作の異世界勇者紀行』最終話

 人の往来無き朝5時の小道にゲートが開く。長井鈍作ながいどんさくは、長旅を終えて遂に日本の地を踏むことになる。悲しい時も辛い時も悔しい時も、変わらず自分が足の下に敷くのはこの星のこの国の土地だった。この国にいる間は、泣けてくるような切ない想いでいることが多かった。今の鈍作は、晴々とした想いで日本の地を踏んでいる。こんなに清々しい朝に、こんなに満足な想いで地上に立っている。そんな何でも無いことが、鈍作にはとても新鮮なことだった。


「変わらないな、相変わらずいつもの日本だ。この俺が長らく停滞していたんだ。この国だってシュンシュンと高速で姿を変えることもないか」

 帰還第一の感想がこれだった。


 日本在住時には、無職で引きこもっている時間が長かった。会社も学校もなく、それだけの時間を自由に扱えるのだから、確かな力を持った者が着実に行動すれば、何かを成し遂げるのに十分足る時間だったろう。でも、鈍作はただ部屋にいるだけで何もしていなかった。

 時間が、命が止まっていた。これは世の理ではありえないことだが、鈍作は妄想やイメージではなく、感覚として強くそれを実感していた。それまでは言葉の意味としてのみ知る『無』を、引きこもり期間には、全身で強く味わって知ることになった。

 振り返ってこんなに人生の肥やしにならない時間もそうそうないと本人にも自覚があった。それだけに『無』とは、悲しくなる程中身が何もない概念なのだ。


 そこから脱し勇者として忙しく活動した日々を、鈍作は一生忘れない。自分が真に輝く姿が、時間が、そこにあったから。そう、安息の地『デラルヴォナンザ』には全てがあった。

 全てを手にした勇者は、今それを全て返還しつつある。あるべきものはあるべきところへ、散々悩んで考えた結果導き出した鈍作の答えがそれだった。


「勇者様、本当に行ってしまうのですか?」妖精王の愛娘ジュネが言う。


「ああ、王様には申し訳ないことをした。次期国王という最高のポストを与えてくれたのにな。でも、王国を収めるのは王国の民でないといけない。俺はどこまで行っても他所者、これまで長らく続いた統治者の血筋が、全く違う者に変わってしまう。それは、きっと良くないことなのだと思う」


 長らく日本の国民をやっておきながら、鈍作は国民として政治に参加も参画も一切したことがない。もちろん選挙だって行ったことがなく、選挙会場に持っていく選挙の紙だってどんな物か見たこともない。

 同じ国に住んでいるだけで、国の方針を決めるのは彼を除いた他の国民によるものだった。いるようでいない、日本にとって鈍作の存在はそのようなものだった。そんな無政府主義者の彼にも、国を統べるならこういう人間でないといけないという一つの価値観があり、そこに最も当てはまらない人間こそが己自身だと自覚していた。


「ダンナぁ!そんなカビが生える程水臭いこと言うなよ!」

 ジュネの後ろに控える王国騎士ボートナムが叫ぶ。


「あんたは生まれが違うだけで、魂はこの国の民そのものだ。いつ死んでもおかしくない魔王との激戦の中で、迷いなく剣を振って国を守った英雄のあんたのことを、他所者だと言って蔑む奴がいれば、この俺が許さねえぇ!再生不可能なくらいバッキバキに全部の骨を折ってやる!」

 拳を強く握って物騒な言葉を叫ぶボートナムの目には、力強い言葉には似合わない熱い涙が溢れていた。


「忘れねぇ!忘れねえぜ!あんな危ない冒険だったが、生き残った今となってはそれも楽しかった。生死のはざまであんたと共に戦えた旅が、俺は楽しかったんだぁ!」

 ボートナムは泣き崩れた。


 王国の平和を祈り、その祈りを壊しにかかる者があれば何人であろうが駆逐する。それが彼の仕事であり、国を愛するがゆえに沸き起こる本能でもあった。不謹慎だと想いつつも、それを全うする自分に、そして共にその道を歩んでくれる鈍作の存在に、彼は心から満足していた。戦いの中で充足感を覚えるのは、何も狂人の発作によるものに限定されるものではない。惜しみなく武力を発揮できる場を持つことは、武の道を愛する者なら誰しもが願うことだ。世界の平和を賭けて鈍作と共に戦い抜いた道のりは、ボートナムを戦士として満足させるには十分なものだった。


 鈍作は、共に苦難を越えた仲間である大男の肩に手を置いた。


「ジュネならともかく、お前みたいな大男が泣くんじゃねぇ。誰得なんだよ?なんの萌えにもならないっての」

 笑いながらそう言う鈍作の目にも太陽光を反射させる熱い雫が見えた。


 ボートナムの横まで進み出る老人がいる。やり手の法術士シゲミチだ。


「達者でな。間違い無く我々はお主に救われた。どこの世界のどこから来た者であろうが、我々は未来永劫勇者長井鈍作を愛し、そして大いに称える」

 言い終えるとシゲミチは餞別の握手を求めた。


「ありがとうシゲミチ爺、年長者のあんたには精神面で支えられたよ。へへっ、俺、おじいちゃん子だったんだ」

 いたずらに笑いながらおじいちゃん子は、シワシワの手を握った。暖かさと優しさが伝わる握手となった。


「ありがとう皆、幸せにな」

 鈍作は、昨日までパーティを組んでいた三人の戦士の顔をしっかり見た。


「ジュネ、お前はもっと周りを見た方が良い。お前のことを慕っている……俺よりもちゃんとお前を見ている奴がいるから」

 それはジュネの幼馴染でもある親衛隊隊長ホイチュンのことだった。よそ者の鈍作に長らく強い警戒を示す彼とは激しく揉めることもあったが、それも今となっては解決済みの遠い記憶に思えた。


「戦況を見極めてアシスト魔法を使う抜群の駆け引きには目を瞠るものがあるお前でも、なんていうか……人の好意を見抜く目ってのはないみたいだな」


 全ての答えを当人のいない場所で与えるのはホイチュンに悪い。そう思った鈍作は、可能な限り遠回しに話すのだった。涙を浮かべるジュネは、一体何のことやらと思って小首を傾げた。


 2つの世界を繋ぐゲートは今にも閉じようとしている。100年に一度だけ開かれるゲートが。


 最初は3人の仲間達の全身がゲート越しにも見えたのに、今ではもう上半身しか見えない。大きな円形のゲートの直径は徐々に縮まり、その内には小さな点に、最後には何もなくなってしまうのだろう。もうその時は近い。


「さぁ、本当にお別れだ。皆ありがとう。さようなら」

 鈍作は胸まで手を挙げると、それまで握っていた拳をしっかり開く。別れの合図には、大きなパーを相手に見せて左右に振る。文化の異なる2つの世界でも、このジェスチャーは共通していた。ゲートの向こうにいる三人の仲間達も同じように手を振るのだ。


「ありがとう勇者様!私忘れない!」

 冒険の中でいつも鈍作の耳を心地よくしてくれたジュネの最後の美声が届いた。


「ダンナぁ!ありがとう。あんたのこと大好きだったぜ!達者でな!いつまでも達者でな!」

 汗臭い大男だと最初こそ不快に思ったボートナムだが、自分に兄弟がいればあんな感じなのだろうと思うようになってからは彼のことが大好きになった。生まれも国も違える魂の兄弟からの餞別の一言が、蝶番の錆びついた鈍作の心の扉をぶち壊す程にノックした。涙が溢れた。


「あの世は、一つの世界で繋がっているといいのぅ。もしそうなら、次に会うのは……」

 ここまで言うとシゲミチの言葉は溢れる涙に遮られた。年を取って干からびた自分に、まだこんなに水分が残っていたのかと思うと、シゲミチの気分だけが若返えるのだった。


「俺も忘れない!ありがとう!俺を選んでくれて、勇者にしてくれてありがとう!」


 全身が熱い。血液が沸騰しているかのようだ。別れの悲しみとそれを覆う大きな感謝の心に溢れた鈍作の体は、いまだかつてないほどの熱を帯びていた。

 

 ろくに整備もしていないくたびれた道路に鈍作の涙がこぼれ落ちた時、ゲートは完全に閉じてしまった。


 鈍作は涙を拭くと、振り返って歩み出した。朝日はどんどん登っていく。その中で歩を進めると、学生やスーツ姿の者とすれ違う。鈍作がすれ違う皆々は、これから1日の活動を始めるために外に出る。そんな者達とは逆に、鈍作は我が家を目指す。皆が家を留守にする中、彼だけは帰宅するのだ。


「さてと、勇者は廃業。今日からまたニートに戻るぞ」


 大きく伸びをしながら、鈍作はゆっくりと歩む。


 これからは、再び扉を閉ざすことでまた以前と同じ狭い生活圏での暮らしに戻る。でも、自分は変わった。変わるしかない体験をした。


 無職?引きこもり?それがなにか?

 もうそんな些末なことは問題にしない。だって俺は勇者だ。ブラック企業で何年も現役で社畜をやって来た奴ならいくらでもいるだろう。でも俺の前職は勇者だぞ。この国に勇者の経験がある奴が、俺以外に一人でもいるか?否、いるわけがない。


 俺は長井鈍作。のろく、にぶく人生を歩んで行く男だ。だが、弱くはない。今の俺には強さがある。今後は、いくら世のそしりを受けても、俺は強く生きていく。


 締め切った狭く暗い部屋にいても、鈍作の心には、煌々と輝く光が灯されていた。

  

                                  終劇


 

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -


 勇は本を閉じた。

「なんだこれ?結局無職に逆戻りエンドかよ!それでいて謎のマウント取りで終わったな。無職なのに」

 

 以上がこの大作を読み終えた勇の雑な感想だった。

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