第百一話 ただ不穏
基本的に陽が沈んでからの外出は行わない青少年マナーを持つ勇が、21時も過ぎて外出したのは久しぶりのことだった。
昼間の喧騒はどこへやら。この時間の病院は暗く寂しくやや不気味でもあった。病院マナーとして廊下を駆けるのはNG。でも今は緊急事態であり、ぶつかる人もいないだろうから、勇は集中治療室までの道のりをとにかく駆けた。
11月の晩なのに汗が出る。額に汗した勇は、廊下の茶色い長椅子に座っている妹を見つけた。肩が震え、頬を見れば既にたくさん涙を流した後が伺える。いつも元気な妹らしからぬ弱々しさが見えた。
「結華!」
「お兄ちゃん……」
弱々しく疲れた妹の返事から、勇は事態がいかに危機的状況にあるかを察した。
「権之内が、権之内が死んじゃう。私が遅刻したから、そのせいで権之内はあんなところに行くことになってバイクに……どうしよ」
「落ち着け。大丈夫だ。お前が遅刻した、しなかったごときで、あいつの命はどうこうなりはしない。大丈夫だから、そんなことは考えるな」
妹が自分の腕の中で震えて泣いている。勇はこの事にとても戸惑い、傷ついた。まだ事態の全貌が見えないが、結華が涙することについて怒りの感情も湧いた。
集中治療室の扉の上を見れば、手術中の光が灯っている。この中であの元気の塊が、死にかけた状態で医者の助けを受けている。この段階では、まだ何かの冗談の可能性も残っていると思えた。
二人で星を見て課題を終わらせる。権之内と結華との約束のことは知っていた。それが何でこんなことになっているのか。急な事態を前に、さしもの勇も少々混乱してきた。
その後、みっちゃん、一世も病院に到着する。
普段はユーモアたっぷりな連中も、人が死ぬかどうかという現実を受け止めると、いつもの他愛の無いお喋りをするわけにはいかない。このメンツが揃って、かつてない暗い雰囲気が漂った。
この状況を受け、一世はじっとしていられなかった。まだ終わらぬ手術時間の長さにイラつき、廊下を行ったり来たりする。結華は弱った心身を休めるため、椅子に座り勇に寄っかかる。勇は逞しい肩でそれを支える。みっちゃんは、二人から少し距離を置いて長椅子に座り、二人を眺めていた。どういう想いで眺めているのかは分からない。
皆の前に中年の刑事が現れ、事のあらましを説明してくれた。お人好しな上に、思考よりも本能と筋肉の瞬発力任せに物事を進める権之内らしい巻き込まれ方で現在に至ることを皆が理解した。
「ゴンのバカめ。人助けは人生の美徳。しかし、自分が死に瀕するような事になってどうする。そんなことになるなら面倒は全て回避するべきだった。つまり、見捨てれば良かった」
一世は愚痴っぽく呟いた。
「止めろ。気持ちは分かるが、それはあいつの覚悟を否定することになる」
勇は一世に強く言葉を放った。
一世はバカだ。それは皆が知るところだが、今回の事に関しては一世だって全て分かって物を言っている。権之内は、目前に己の死がちらついても関係なく、暴走バイクと自転車の衝突を止めに入ったはず。彼の人間性については、集まった皆が理解している。それでも一世は、全てを見捨ててでも元気に帰ってくる権之内と再会する未来を欲していた。
権之内が魂の誇りにかけて見捨てなかった命達もまた手術室の前を訪れた。
バイクに二人乗りしていた20代のライダーが二人、高校生の男女が二人来た。客員が頭を下げ、陳謝と感謝を述べた。
集まった関係者の中に、明確な悪があるなら、社会常識を無視して罵倒した上でボコボコにしてやろうくらいに思っていた一世だったが、何も行動に出ることはなかった。
今回の事件はどうやら単純ではないらしい。バイクはブレーキが効かずに暴走状態だったのだが、走る直前に整備は済んでいた。バイクを調べると、ブレーキ周りに破損が確認された。それは意図的に手が加えられたように見えた。乗っている二人は善良なライダーで、それまで事故、違反を起こしたことはない。もちろん二人が自分でブレーキに細工した訳もない。聞き込みを行った刑事から以上の報告が行われた。
何か仕組まれている。ような気もしなくはない。今は冷静に事態を見たほうが良い。一世だけでなく勇もそう思っていた。
「やぁ皆、遅くなったね」
遅い登場となったのは、ゴライアスだった。その後を見れば、セピアの姿も見えた。
「大変なことになったね。権之内の体のこともそうだが、大変なのはそれだけではない」
ゴライアスはいつもの陽気な物言いはしない。いつもフザけている女神にも、いつもの様子が見られなかった。
「どういうことだゴライアス。何が大変なのか話してくれるか」
勇は回答を急ぐ。
「もちろんだ。それを告げるため、僕はここにいる。勇、ちょっと来てくれるか。まずは君一人の耳に入れておきたいことがある」
「分かった」
勇、ゴライアス、セピアは、病院屋上に移動した。
残った仲間達は、自分達が仲間外れなことにやや不満を感じた。だが、ゴライアスが皆の前で言わない事情もあるのだろうと察して文句を言うことはなかった。異常事態を前に、皆の神経が疲労していた。




