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第百話 赤に沈む

 日中ならまだ良い。だが、11月上旬の陽も沈みきった時刻となると、それなりの防寒意識が必要となる。結華はその晩、学区で一番星に近いとされるビルに向かう予定だった。時刻は20時を過ぎた頃だった。

 いつもならこの時間には風呂に入っている。風呂に入った後の外出だと肌が冷えて風邪を引く心配もある。だが、なるたけ生活習慣はそのままに、たまの夜間の野外活動を行いたいと思うのも乙女の真実。遅くに帰ってお風呂に入るというやることを残しておくのは面倒。一日の生活の必須事項を後々残すのはなるたけ避けたい。そんな思いから、結華はしっかり風呂に入った後ビルに向かった。

 複雑といえばそう、簡単といってもそうな心理から生まれた行動は、結華がビルに向かう時刻を遅らせる結果をもたらした。普段から決して時間にルーズではない結華としては珍しい失敗だった。


「しまった。私としたことが、なんだかんだの末に取った行動で遅刻することになるとは……でも相手は権之内だし。どうせあいつの方でもゆっくりまったり行動するんだろうから良いか」

 

 そんな事を思いながら、結華は現在夜の小道を歩いている。遅刻しているが、決して急ぎ足ではない。自分の丁度良いペースで歩いている。


 角を曲がったところで、自分の後ろ髪を掴み、前に持ってくる。それをくるくると指に巻き付ける。風呂上がりだもの、当然シャンプーの良い香りがする。


「ううむ。ちょっと匂い強いかな」


 素敵なお兄ちゃんの勇には男の魅力として劣りに劣る。そんな相手だが、これから会う権之内は仮にも男である。乙女の嗜みとして、日中の垢を溜めて異性に会うことはなるたけ避けたい。いくら権之内が相手でも女の心を出してしまう自分に対し、結華はやや複雑な想いになるのである。この角度から権之内を気にかけてしまうことが腹立たしくもあり、またそれでこそ自分のあり方でもあると思うのだった。とにかく年頃の乙女心は複雑極まりないもので、しっかりはっきりこうだと言える確証はこの世のどこにもないのだ。


 勇や権之内よりも若いものの、結華もまた忙しく勉学に勤しむ学生ライフ真っ盛りな時期にある。そんな結華は、学校の理科の授業の課題として、星の観測を言い渡された。ならば観測するしかない。

 地上に生まれて十数年そこそこの彼女が、どうして遥か彼方の空に輝く星のことに詳しくなれよう。結華は星に、もっと広く宇宙に疎い。何も知らないのだ。

 ならばもっと長生きしている先人を頼ろう。その考えに辿り着くだけの知恵はある。


 いつも通り勇の部屋に来てだらだらしていた権之内に課題学習のことを知られた時のことだった。


「空と海のことなら俺に任せな!」


 権之内の口から頼もしい一言が飛び出た。地上に棲まう民の中でも、地上を離れて空と海に触れて来た時間が長いのが彼だった。結華は、面倒な課題をクリアする近道になるのなら何でも使っていこうと思った。なので、自分以上に空との交友があるこの男の力を惜しみなく借りまくることにした。

 権之内は、学生の分際で持つには性能が良すぎる天体望遠鏡を持って集合場所にやって来る。結華もその地にかなり近づいた。


 集合場所に近づく途中で気づく。何か変だ。

 空が明るい。この時刻にしては喧騒が耳に届きすぎる。おかしい。いつもの静かな夜ではない。

 結華は妙な胸騒ぎを覚えた。それからは自然と足早になった。

 集合場所のビルが見える。なんとなく見上げてみる。権之内の姿は見えない。角度的なことを言えば、別に昼間でも見えない。それでも、権之内の姿が見えないことに、結華の不安は大きくなった。


 角を曲がる。そこで気づく。空が明るい原因は、火の手が上がったことにあった。

 遠くでバイクが火を吹いている。それに乗っていて振り落とされたのであろうヘルメットの男二人が道路に転がっている。どちらも動いてはいるので死んでいないと分かる。そのすぐ近くには、自転車を止めて立ちすくむ高校生の男女ペアがいる。

 関係者はそれだけではなかった。最後に結華の目に入った人物がいる。その者は、二つの道路が一つに交わる場所にしっかりと立っていた。その立ち姿は、強く勇ましいものだった。しかし、その者の命は弱まっていた。それが分かる理由は簡単。その者の足元には、大きな赤い水溜りが出来ていた。それは人体から流れたもの。普段人間の体内を循環して当然のそれが、これだけ外に漏れ出ている。誰にも異常事態と分かる凄惨な状況だった。血の池の真ん中に立つ人物こそ、これから結華と会うはずの権之内貴一その人だった。


「権之内!」

 結華は驚愕の中、その名を呼ぶ。


 いつだって五体満足、元気でうるさい。それが結華の中にある権之内という男のイメージの全てだった。そんな男がここまで死に近づいた状態を見るなんて露程も思うはずがない。日常が瞬時に非日常に染まる恐怖が結華を襲った。


「よぉ……妹。遅刻だぞ。遅刻はダメだって、小学校に上がる前からも教えられるもんだろうが……」


 こちらに気づいて権之内は声をかけてきた。内容こそいつもと変わりなく他愛の無いものだったが、その声はとても弱々しい。明らかに生から遠ざかり、死に近づいた状態にある。


「今日は星を見るに絶好の空なのに……後回しだな。ちょっと救急車呼んでくれや。星を見るのも良いけど、病院見学も良い勉強だろう。お前も救急車に乗っていくといい……滅多に乗れるもんじゃないぞ……」

 ニコリと笑って言い終えると、権之内は血の池に沈んだ。

 

 結華は救急車を呼び、権之内と共に最寄りの病院に運ばれた。その日、結華は生涯で初めて救急車に乗ったのだった。

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