22-1
(……おかしい。なんで、この街のヒーローたちは動かないの? もしかして何かあったの?)
涼子は山道を走りながら考えていた。
すでに天昇園の駐車場でロウソクみたいな異星人が大音量でラルメを引き渡すように通告してきてから30分は経っている。
その声は天昇園はおろか近隣一帯にも響いているであろうし、その前の宇宙人の集団が景気よく自動車を吹き飛ばしていた音だって聞こえていただろう。付近の人が通報しなくとも、天昇園に隣接する法人本部の人は確実に通報してくれているだろう。
それなのに、あの天昇園へ不法侵入してきたブレイブファイブの4人の他に涼子はヒーローの姿を見ていなかった。
涼子の予想ではもっと早くに救助が来ているハズだったのだ。
H市では市役所の災害対策室で即応態勢を取るため、すぐに動けるヒーローを確保しているという話を高校の時の同級生に聞いていた。
30分という時間はヒーローが駆けつけるには十分な時間のハズだ。
(何かとんでもない事態が起きてて、こっちにヒーローを回す事が出来ないとか? それとも、もしかして私たちが山に逃げ込んじゃったから探すのに苦労しているとか?)
涼子の息はすでに上がって、心臓も爆発してしまいそうな勢いで早鐘を打ち続けている。
山の斜面を、ラルメの手を引いて、下草の抵抗を少しでも受けないように大きく足を上げて走ってきたのだ。涼子のような女性でなくとも、例えばランニングが趣味の男性であろうと参ってしまうだろう。
この状況を何とかしてくれるならヒーローじゃなくてもいい。
警察でも、自衛隊でも、あるいは天昇園の高齢者でもいい。そういえば彼女たちに逃げろと言ってくれた杉並さんは合気道を使うようだったが、妙に強かったな……。
やがて涼子とラルメは山の中腹辺りにある採石場へ辿り着いた。
涼子は辺りを見渡し、先に進むべきか、それともどこか隠れられる場所を探すべきか思案する。
走っている最中、急に立ち止まったせいで眩暈を起こすが、ここで倒れるわけにはいかない。
「……のう。やはり涼子は1人で逃げた方がよくないか……?」
涼子が膝の上に手をついて大きく息をする様子を見たラルメがまた涼子に逃げるよう促す。だが、先ほどの涼子の平手打ちを覚えているのか、その言葉はいつもの調子よりも控えめだった。
「……ゼハァ! ……ゼハァ! あ……、アンタ……。まだそれを言うの……」
息も絶え絶えにラルメを睨みつける。
涼子とは違い、彼女は汗一つかいた様子は見られない。呼吸も平常通りだった。
(宇佐がナントカ人は武装してない地球人なんて一捻りだなんて言っていたっけ……)
だがラルメのケロリとした様子は涼子をイラつかせるだけだった。
「大体、宇佐も涼子も何故、妾のために苦労するのじゃ? 別に我が皇室から給料もらっとるわけでもなかろう……」
「アンタ、友達いないでしょ?」
「な、何を言い出すか!?」
涼子の口から飛び出したのはふと思いついた事だったが、その割に随分とラルメを狼狽させた。
「お、おるわ! 友人くらい……」
「誰よ?」
「え?」
「だから、姫様の言う友達って誰よ?」
「…………」
「姫様ぁ~、教えてくださいよ~!?」
ラルメは少し考え、指折りしながら人数を数えながら名前を上げていく。
「……う、宇佐じゃろ、熊沢に寅良、伽羅に無堂、それに……」
「それに?」
「お主はどう思っとるかは知らんが、妾は涼子も友人だと思っておる。6人もおれば十分だろう?」
(……私と宇佐は月曜に姫様に会ったのだし、残りの4人に至っては火曜からじゃない……。もっと、こう付き合いの長い人はいないのかしら……?)
涼子にとってラルメの回答は予想外で、てっきり社交界とやらの上辺だけの付き合いの者を挙げると思っていたのだ。だがラルメが挙げたのは天昇園の獣人たちと涼子。
他に友達と呼べるような者がいなかったのかと涼子はラルメを可哀そうな子を見る目で見つめてしまう。
「あ~、私も姫様の事は友達だと思っておりますよ……」
「そうか!」
「でも、それじゃあウチの高齢者たちは違うんですか?」
「彼らは違う。彼らにとって妾は大事な神輿じゃ。それはもう自分の事よりも大事にしてくれるような者たちだ。それに、これ以上ないほど優しい連中ばかりなのも知っとる。だが妾と彼らは対等ではない。勝手に妾の下に付く者たちだ」
「……そうでしょうか?」
「そうよ! 妾のように尊い血筋の者はな、勝手に祭り上げられてしまうのよ。涼子、お前は園で妾がご老人たちと共にテーブルを囲んで茶を飲んでいる所を見たことがあるか?」
高齢者たちは、いつもテーブルの椅子に座るラルメの脇で立ったまま控えていた。誰かが彼女に茶や菓子を差し出すことはあっても、共に団らんの一時を過ごすところなど見た事など一度も無かった。高齢者たちが休憩する時はラルメの目の届かない場所で休むほどの徹底ぶりだった。
ラルメの言う事が本当ならそれは悲しい事だと思う。ラルメは大勢の者にかし仕えられながら1人だったのだ。孤独だったのだ。
「……無いですね」
「そうじゃろう! つまりは神輿に担いだ妾の価値を高めることで、妾のそばに使える自分たちの価値が上がったように満足しておるのよ。これは彼らの気質によるものではなく、妾の長い皇室の血筋がそうさせるのよ……」
「はあ?」
「質問を変えようか? それじゃあ妾が彼らご老人に何か要求したのは見たことがあるか?」
「……それも無いですね」
ふと涼子の脳裏に井上さんの姿が思い浮かぶ。
飲酒を医者に咎められ、曾孫に泣かれてから彼は今日までしばらくの間、職員や他の高齢者たちと一言も言葉も交わす事は無かった。だが、食事を出されれば食事をするし、茶を促されればお茶を飲む。その他、着替えや入浴などの介助を拒む事も無い。
その井上さんの姿がラルメにダブって見えるのだ。もしかしてラルメも心を閉ざして生きているのか?
「妾のような高貴なる身分の者が、己が意思を示して何か要求をする事は許されてはおらんのだ。それが原因でわが帝国では過去に圧政を敷いて民を苦しめてきた歴史があるでな。圧政を許されているのは銀河皇帝ただ1人よ」
「ん? 皇帝は許されてんの?」
「そうだ!」
「ええ……」
「いやいや、地球の感覚ではおかしいように映るかもしれんがな。我が銀河帝国は広大であるゆえ、皇帝1人のわがままぐらいなんとでもなるものよ」
「そんなモンかしらね?」
「それが先ほどの涼子の言葉の答えだ」
「え?」
採石場の垂直に切り立った黒い岩肌にもたれ掛かり、ラルメは涼子の瞳をまっすぐに見据える。
丁度、日陰になったその場所は涼しく、体力の限界に近づいていた涼子にとってもありがたい場所だった。
「先ほど、そちは妾に『もっと必死になって足掻いてみろ』と言ったな? 妾にはそんな事も許されてはいないのだ」
「それは皇族だからどうとかではなく、1人の人間として当然の欲求じゃないの?」
「ああ、その通りだ。だが、妾のような皇族がそんな事を言い出してみろ。一体、どれほどの人間がそのために死ぬことになることやら……」
ラルメは自嘲気味に笑って腕を組んで肩を上げてみせる。
「だからな。妾に尽くして、担ぎ上げてくれる者が茶を出せばそれを飲むし、逃げろと言われれば逃げるのだ。本当は妾だって冷たい物を飲みたい時だってあるし、あの天昇園の戦狂いの近くの方が安全な気がしていたのだぞ?」
「でも、貴女にはそれを言うことが許されていない?」
「そうだ!」
「ん? でも、アンタ、私には色々と要求してくれたわよね? 『メシに行くから急げ』とか、コンビニに行った時も『ハルゲンダルツがいい!』とか……」
「うむ。それはそちが『友達』だからよ! お前も獣人たちも何故か妾を担ぎあげたりはせんかった。対等の関係でいたくれたからの!」
「そ、そうですかね?」
「そうだ! 涼子、お前など口じゃ『姫様』と言いながら、その実、妾の事など賑やかしぐらいにしか思っとらんだろ?」
「……まあ、貴女をお姫様扱いしている高齢者に付き合って『姫様』と呼んでるだけですからね」
「ハッキリと言ってくれるのお……」
「ハッキリついでに言っておきますけど、地球じゃ普通は友達にハルゲンダルツは奢ったりしないものです」
友人にあんな高いアイスを奢るだなんて、何かいいことがあった時くらいなものだ。少なくとも涼子の感覚ではそうだ。
「それは困る! アレは明日にでもまた食わせてもらいたいぞ!」
「それじゃ、この場は上手く切り抜けないとね!」
「……そっか、そうだな……」
「どうしたの?」
「……お主を、涼子を友達だと思っているから、もう1度だけ言わせてくれ! やはり、涼子は1人で逃げるべきだ。妾に付き合って死んでほしくない。宇佐ならば、アレも一応はハドー獣人の端くれだ。上手く切り抜けてくれる可能性もあるだろう。だが、お主はただの地球人ではないか」
「おっと、ビンタが足りなかったかしら?」
「わっ! わっ! アレは止めてくれ! そちの平手は大して痛くはないが心にくるのだ!」
ラルメが属するナントカ人とかいう種族のタフネスは知らないが、涼子が疲労困憊になるほどの山道をケロリと歩いてみせた彼女の事だ。「大して痛くは無い」という言葉は本当の事に思えた。それを嫌がるというのは「心にくる」というのも本当の事だろう。
それはラルメが涼子を友人だと言っているのが本心であることを裏付けているように思えた。何とも思っていない相手に痛くもない平手を食らわされても腹が立つくらいなものだろう。だがラルメは涼子に打たれて心を痛めていたのだ。
「どうして、どうしてお前らはそうなのだ……。そうやって妾を何があっても生かそうとするのだ……」
「お前“ら”って誰の事? 宇佐の事?」
「いや、違う……」
「じゃあ……」
「お主らの前にも妾には友人と呼んでいい者が1人だけいたのだ……」
「その友人さんが?」
「ああ、妾とその者は皇女とその侍女という関係であったがな、それでも幼い頃から共におったのだ。妾に『友達同士なら感情を隠さなくてもいい』と教えてくれたのもその者だ。涼子は地球から出たことがないから知らんだろうがマスティアン星人という珍しい種族でな。額と両手に水晶のような物が生まれつき付いておって、顔立ちも妾ほどではないが美しい女子であったぞ!」
涼子が会ったもない友人をまるで自分の事のように笑顔で語るラルメ。
天昇園で日々の生活を1歩退いたような微笑で眺めていた彼女とは大分、違う印象を受ける。もしかしたらラルメの年齢は涼子と大して変わらないのではないだろうか? 実際の所は分からないがそう思わせるほど、彼女の笑顔には幼さも覗いていたのだ。
だが……。
「……であっ“た”?」
「……ああ、そうだ」
ラルメの表情が一気に暗いものになった。その憂いを帯びた顔は世の男性ならば誰もが放っておかないだろうと思えるものだった。
「妾の侍女であったが故にあの者も妾のクルーザーに乗っておった。そしてアカグロの連中がクルーザーを占拠した時、妾を小型連絡艇に押し込んでオートパイロットを地球にセットしてな、自分は時間を稼ぐと言っての……」
「なんで地球に?」
「クルーザーは帝国の領域を遠く離れておったからな。連絡艇の航続距離では直には帰れなかったのよ……。連絡艇の航続距離で来れる惑星で迎えがくるまでの間の長期滞在が可能な環境。そして悪に染まらぬ気高い意思を持つ者がいる星。それが地球だったのだ」
「邪悪に染まらぬ強い意思……」
「かの者が言うには天の川銀河太陽系第3惑星、ここ地球にはヒーローと呼ばれる邪悪という不条理に立ち向かう者がいるのだろう? まあ、結局、妾は天昇園からあまり出歩かなかったから、そんな者に出会う事も無かったがな……」
(さっきの4人組の侵入者がそうなんだけどね……)
それ以前にラルメを姫様、姫様と持ち上げていた高齢者たちもほとんどがヒーロー登録を済ませている者たちだった。
「で、でも、そのお友達さん、もしかしたら捕虜か何かになって、まだ生きているんじゃ……」
「無いな。マスティアン星人は先ほども言ったが珍しい種族でな、それも美しい女性だ。囚われるぐらいなら自ら死を選ぶであろうし、それ以前にあの者の最後に見た表情を思い出すと、指1本でも動く限り戦い続けたんじゃなかろうかとな……」
「……」
「無論、妾だって生きていて欲しいわ。妾が即位したらどんな贅沢を一緒にしようか夜も寝ないで話し合った事もある。地球に艦隊で押し寄せてアイスを食いに行こうと話していた事もあったのだぞ!」
「……なんかゴメン……」
「ん? どうした?」
「さっき『友達いないでしょ』って言ったでしょ。ごめん……」
知らなかったとはいえ、彼女の傷を抉るような事を言ってしまった。罪悪感でラルメの顔を真っ直ぐに見ることが出来なかった。
「よい、よい。そう言えば、彼奴も涼子のような事を言っておったぞ。『這いつくばってでも生きてください』だったかな? 自分は死に急いでおいてな……」
「それは、その人も本当に貴女を友達だと思っていたからでしょ?」
「え?」
「友達が苦境に陥っている時に助けてあげたいと思うのは当然でしょ? 貴女は違うの? 私だってそうだよ。……お金の事以外は」
「……金は駄目か?」
「駄目です」
どうせラルメに現金を渡しても、宇佐や獣人連中とコンビニにアイスを買いに行く姿しか想像できないという理由だったが。
「ま、まあ話を元に戻そう。そうやって、たった1人の友人の命を貰うような形で地球へ落ち延びてきたがな、結局、妾には自分の意思で生きるだなんて生き方はよう分からん。じゃから天昇園に来いと言われればホイホイ付いていって、逃げろと言われればこんな山の中だ。こんな馬鹿な女に涼子まで付き合って死ぬ必要は無かろう?」
「貴女はそれでいいの?」
「ツケが回ってきたとでも思う事にするさ。……まぁ……」
「何よ?」
「この星のヒーローとかいうのを見てみたかったかの……」
そしてラルメはもたれ掛かっていた岩壁から体を離すと、顎で涼子の後ろの方向を指し示す。
彼女が示した方向に振り向くと、山の斜面に爪を立てて登ってくるロボットが続々と現れてきたところだった。
そのロボットの大きさは胴体が背の低い軽自動車くらい。その胴体に昆虫のような関節機構の脚を6つ取り付けられていた。
胴体の正面には大きくて赤く輝くカメラが、また胴体下には小型の銃塔が取り付けられている。足の爪は今、山の斜面を登る時に地面に食い込ませている以外に攻撃にも使えるだろう。
「それ、涼子、これが逃げる最後に機会じゃぞ? お主のような小娘が逃げたところで誰も責めたりせんじゃろ?」
ラルメの表情はいつもの笑顔だった。
だが彼女の話を聞いた後では、それは涼子に心配するなと言っているような強がりに見えたのだ。
涼子は首からぶら下げていたストラップから透明なビニール製のカードケースを引きちぎり、それをラルメの顔面に叩きつける。
「それを見なさい!」
「これは社員証?」
「裏よ! その裏にも何かあるでしょ!?」
「これは……」
涼子が社員証の裏に潜ませていた物。それは滝川代表か所長にいつでも返せるようにと入れておいたヒーロー登録証だった。
涼子が高らかに宣言する。
「貴女、地球のヒーローに会いたいんですって?」
ラルメが涼子をとても信じられないといった驚愕の表情で見ていた。
「私がヒーローよ!」
今年の夏は某ネット声優様の声が耳に残って、
チョコモ〇カジ〇ンボばっかり食べてます




