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前回投下後、200ポイントいきました。
皆様、どうもありがとうございます!
現在、我々が知る茶道が成立したのは戦国時代のことであるという。
それまでは「闘茶」と呼ばれていた茶の湯を足利将軍のお抱えであった村田珠光なる人物が洗練させ、田中宗易(号名、千利休)という1人の武芸者が“侘茶”の理念を成立させたのだ。
茶を好んだのは貴族や高僧、豪商のみではなく武士階級、さらには多くの戦国大名も茶の湯を嗜んでいたというのは周知の事実である。
だが疑問に思った事は無いだろうか?
茶事を行う茶室の中には脇差1本であろうと武器を持ち込むことが許されない。常に暗殺の危険に怯えていたであろう戦国の世の大名たちは何故、このような状況を認めたのだろうかと。
理由は至極、単純明快。
茶人を相手にしたら例え刀の大小どころか、当時の最先端の兵器である火縄銃ですら意味を持たないからである。
意味の無い物は極限まで省く。これも侘茶の精神の1つだ。
そして大名たちは茶人を目の前にしながらも自分の命がまだある事に感謝しながら茶を飲んだのだ。
なお、英語において「嗜虐嗜好者」を意味する「サディスト」という言葉であるが、この語源は「茶道を嗜む者」という事は有名な話である。これも茶道家の苛烈な戦いぶりを性的な嗜好によるものと欧米人に誤解されたが故であろう。
この原因ともなった人物、中世の欧州へ我が国の茶道という武術を伝えた男はその事で衆目を集め、その名に“茶道”を冠して生きていく事となった。マルキ・ド・サド、それがその男の名である。
そして現在。
井上と対峙するダンガレン星人は身動きを取れずにいた。
攻めようにも攻め手が無い。
そこにいるハズの老人は本当にそこにいるのだろうか?
民族衣装に身を包んだ老人は周囲の風景と溶け込んで、まるで自分の目に入る物すべてが敵なのではないかと思わせるのだ。
(…………)
あまりの緊張感に息をすることすら忘れてしまいそうだった。
自分の心臓の鼓動すら騒々しく聞こえる。
まるで周囲と調和していない存在は自分だけなのではないかという罪悪感。
このような精神状態では指1本動かせなくとも無理はないであろう。
聡明なる読者諸兄は御存知の方も多いと思われるが、茶室の広さはその亭主の「必殺の間合い」であるという。そして、その狭さは茶人の謙遜を多分に含んだ物である事も広く知られている事である。
そして井上はその茶室を用いない野立てを得手とする茶人であった。ゆえに他の茶人と比べても彼の領域は広い。
彼の流派は「闇千家」。千利休の直系4流派、通称「四千家」の中でもっとも戦闘能力に乏しいと言われている流派である。それはすなわち、敵と鉄火を交える事無く、先手を取って殺す事に特化しているためだ。
そのため闇千家の茶人は気配の操作に長けるという。
歴戦のダンガレン星人が井上の存在感を掴みかねているのもこのためであろう。
(…………!)
井上の存在が周囲と溶け込み希薄になっていく錯覚に、ダンガレン星人は自身の存在の境界すら曖昧になっていく感覚を味わっていた。
そして一瞬、自己の認識能力を失う。
実際に注意を無くしていたのは1秒に満たないのではないだろうか。
それでも敵を前に気を失うとは、戦場に生きてきたダンガレン星人にとって驚愕の出来事であった。
そんな異星人の様子に気付いているのかいないのか、井上は先ほどと同じ場所にただ佇んでいた。
だがダンガレン星人には彼の目尻が下がり、口角が上がったように見えたのだ。
(……野郎、笑いやがった……!)
これには彼の羞恥心は大いに刺激され、メラメラと闘志の炎を燃やさせる事となる。
そして彼は周囲で燃える自動車が小さく爆ぜた音が合図であったかのように井上に突っ込んでいった。
「ウオオオォォォォォ!!!!」
長いロウソクのような円柱状の右腕を振りかぶり井上の脳天を狙う。
地球人、それも老人の頭蓋骨など一撃で粉砕できるハズだった。
だが井上は懐に手を入れると軽い、だが目にもとまらぬほど素早い動きで何かを投擲する。
(なんだ? まさか暗器!?)
だが避ける事も出来ずに彼の顔面に直撃した感覚はあまりにも軽いものだった。
井上が投げたのは「黒文字」と呼ばれる菓子楊枝である。
同名の植物から作られ、本来の用途は和菓子を切ったり、1口大に切った和菓子を刺して口元まで運ぶための日本古来の楊枝である。
だが、その重さ数グラムの木片を顔に投げつけられても人は目を瞑ってしまうのだ。地球人であろうと異星人であろうとも。
これも茶道の“無駄を省く”合理性の発露である。何も目潰しに空手家のようにわざわざ相手の目に自分の指を突き入れる必要など無い。黒文字を相手の顔に投げつけて作れる隙はほんの一瞬のものであるが、どの道、次の瞬間には相手は死んでいるのだから。
「ワシの手製の茶杓じゃ、冥土の土産に持っていけ!」
たった1歩のすり足で踏み込んだ井上は黒文字と共に懐から取り出していた物を異星人の眼球に刺し込む。
ダンガレン星人の眼球に深々と刺し込まれていたのは井上の言うように竹製の茶杓だった。
だが、ただの茶杓ではない。
茶杓とは茶入れから茶碗へ抹茶の粉末を移す際に用いられる耳かき状の茶道具で、闇千家の物は他の流派の物よりも長く、そして茶を掬うのとは逆の部分が鋭利に尖っている。
材質も闇千家の茶人は煤竹の物を好んでいた。
この煤竹とは手ごろな竹を囲炉裏の上に数年間、放置して煤が染みついて黒くなった竹の事である。地球上でもっとも硬い物質は侵略者由来の物を除けばダイヤモンドであるとは広く知られている事であるが、そのダイヤモンドは炭素で出来ている。そして煤も主成分は炭素である。つまり煤竹とは炭素コーティングの強度と竹のしなやかさを併せ持った驚異の素材であると言えよう。
ダンガレン星人に突き刺された茶杓は眼球を、さらに眼底骨を貫通し脳へと至る。
そこで井上は茶筅を振るように手首を動かし、異星人の脳をグチャグチャに掻き乱したのだ。
そして、ゆっくりと崩れ落ちる彼に対し合掌。
「……南無三」
茶人であっても実際に人を殺すことは少ない現代では1本の茶杓は長く使われる物であるが、戦国時代においては1回の茶会事に新たに作られたという。
これも茶杓が古来から殺人兵器として茶人に愛用されてきた証左であろう。戦国の世の人とて、人を殺した茶杓を使って立てた茶では楽しめなかったのだ。
現に千利休や織部焼の開祖である古田織部の自作の茶杓は現在、国宝に指定されているが、その分類は日本刀と一緒である。
「……さて、涼子ちゃんや寅良君は上手くやっとるかいのぅ?」
すでに天昇園駐車場の一戦は下火となってきていた。
井上は多賀谷に隠して懐に入れてきた1カップの日本酒の封を開けて喉を湿らせる。
今回は話の本筋を離れて井上さんの戦いでした。
というのも作者は「ガイジンが日本の文化を勘違いした」
あるいは「勘違いした“風”」の世界観の作品が大好きなのですが、
その手の作品の中で茶道を暗殺術や武術として扱う作品を幾つか見たことがあります。
ですが、それらの作品ではフレーバー以上に茶を扱うことはなく、
それならばという思いで作者なりの茶道を書いてみました。
茶道家の皆様にはご寛恕頂ければ幸いです。




