20-4
翌日、天昇園へと出勤するために涼子は軽自動車を走らせていた。
高校を卒業した後に出勤用にボーナス払い有りの2年ローンで購入した中古車だが、買ってよかったと涼子は思っていた。両親のやっていた町工場が潰れて以降、借金というものに敏感になっていた涼子にとっては、車検込みで80万円というのはまさに断腸の思いでの決断であった。
だが軽自動車とはいえ屋根は付いている。雨天時や真夏、真冬の事を考えればそれだけでも快適というものだ。それに前のオーナーが取り付けてくれていた社外オーディオはスマホと連動してオーディオを再生することができる。好きな音楽を聴いて出勤の時はモチベーションを上げて、退勤時にはゆったりとした雰囲気で自宅へ帰る。それが最近の涼子の楽しみになっていた。
もっとも就職前に考えていたような、休日に愛車でドライブというのは仕事や訓練の疲労が溜まっているせいでまだできてはいないが。
この日もオーディオを操作して「90年代アニメソング」のフォルダを再生させる。さすがにいい歳こいてアニメソングを窓を開けた状態で再生する度胸は涼子にはない。朝や夜の窓を開けなくてよい車内温度でなければ再生できないフォルダだった。
ドラムの音が特徴的なイントロが流れ始める。この曲は何だったか? ああ、確か少年マンガ誌で連載していたマンガを原作としたアニメで、ターザンをモチーフとした作品だったハズだ。涼子が生まれる前の作品だが、実家の町工場が潰れる前に、休憩室にコミックスが全巻揃っているのを読んだのだった。
下品で低俗な下ネタギャグが満載で、だが絵柄のせいかイヤらしさを感じさせないマンガだった。そういったコメディ要素の他にも熱いバトルもあり、涼子は夢中となって読んだ記憶が甦ってくるのを感じていた。
(……思えば遠くへ来たもんだ。か……)
ハンドルを握りながらも郷愁とともにセンチメンタルな気持ちに涼子はなっていた。
(……昨日は驚いたわね。朝っぱらから所長と滝川代表にヒーロー登録証を渡されるわ、ナントカ帝国のお姫様を名乗る宇宙人は出てくるわ……)
昨日の事を思い出すと、両の肩が重くなったような感覚すら覚える。
ヒーロー登録については「考えとく」ということにしてあるが、いつまでそれで通せるかは分からない。ラルメについては夜は法人本部近くの社員寮に泊まるらしく、同じく社員寮に入っている宇佐に任せてきたのだが……。
(まっ! 昨日みたいに驚かされるような事なんてそうそうはないでしょ!)
涼子が自分の考えが甘かったことを知るのは5分後の事である。
「あっ! 涼子さんが来ましたよ! 涼子さ~ん! 朝ご飯食べに行きましょ~!」
「ふむ。では行こうか!」
「へぇ~、アレがアンタが世話になってるっていう“西住の姉さん”かい?」
「そんな強そうには見えねぇのにな~」
「兄者、その考えは危険ですよ?」
「…………」
(か……、怪人、増えとるがな!!!!)
涼子にとって宇佐と共に仕事をして1週間、その人懐っこい性格に「怪人」と思う事はなくなっていた。涼子にとっては宇佐は「獣人」ではあっても「怪人」ではない。
ラルメも地球人とは明らかに違う宇宙人ではあるが、あまりに堂々とした佇まいに「怪人」と感じたことはない。
だが天昇園の職員用駐車スペースに車を止めた涼子を待っていたのは6人の怪人集団だった。
見ず知らずの怪人4人と一緒にいると、宇佐やラルメですら怪人と思えてくるから不思議なものだ。
「え? こ、この人たちは……」
「話は後だ。朝餉に行く。付いてまいれ」
「えぇ……」
踵を返して社員食堂のある法人本部へと歩いていく皇女様と5人の怪人たち。
ラルメにお姫様らしく要件のみをつきつけられ、涼子はトボトボと付いていくしかなかった。
「へぇ~。じゃあ、貴方たちもここで働くって事?」
「そうなんですよ! これも私の頑張りが認められたって事ですよね!?」
食堂で朝食を受け取った7人が席がついてから、新たな怪人について宇佐から説明があった。
ハドー総攻撃の際にH市に攻め込んできたハドーの兵員たちは異次元ゲートの封鎖後、向こうの世界へ帰るに帰れなくなり各所で投降していた。
問題はその投降者たちであった。宇佐がそうであったように彼ら兵員たちは向こうでいう“下層民”出身者ばかりでハドーの戦略や次期作戦、また科学技術などについて知る者などいなかったのだ。
役に立たない者たちにいつまでも税金でタダ飯を食わせるわけにもいかず、地球側に次元の壁を越える技術が無い以上、向こうへ強制送還するわけにもいかず(むしろ向こうへの強制送還は投降者たちが嫌がっていた)。かと言って投降者を生体解剖などしようものなら政府機関であろうと“独自の価値観で動く者”に攻め込まれてしまう。
投降者の処遇に困り果てた行政に声を掛けたのが天昇園を運営する社会福祉法人である。
投降した際の縁ですでに1人のハドー獣人を雇っていた法人では、その獣人の働きぶりに着目し、介護という慢性的に人手不足に悩む業務に従事させるために他の投降者にも希望者がいれば引き受けるというのだ。
少子高齢化の進む日本では介護の現場の人手不足は深刻で、政府では日本の進んだ介護技術を学ぶためという名目で外国人の実習生を受け入れているほどだ。だが実の所、標準の日本語ですらあやふやな外国人実習生は高齢者たちのウケはあまりよろしくない。無論、これには外国人実習生に非があるわけではない。介護は「人」と「人」との信頼関係の醸成こそ必要不可欠で、会話の成り立たない相手に信頼を置くには長い付き合いが必要となる。しかも高齢者たちは強烈な地方言語でしか話せない者も多い。日本人でも若者には理解できない者も多い“訛り”を理解しろとどうやって外国人実習生に言えよう。その点、宇佐の言語能力は素晴らしく、日本攻撃兵団用に作られた彼女は様々な地方の“訛り”ですら使いこなすのだ。
そして新たに増えた4人の獣人たちこそ、その申し出に呼応した希望者たちだったのだ。
涼子の知っているハドー兵は宇佐を除けば、目を爛々と光らせ口からは涎を垂らしながら襲い掛かってくるような、まさに化け物としか言いようがない“怪人”であった。
それがここいる5人はどうだ。のんびりとした動作で食事を食べる彼らは目も嬉し気で新たな職場への不安は微塵も見られない。宇佐なんか栄養状態の改善のせいか、気持ち毛並みが良くなってきているような気すらする。宇佐以外の4人も警察の拘置所で毎日3食の食事を与えらえれ、すっかり牙を抜かれたように大人しくなってしまったようだ。
これでは彼らも“怪人”とは呼べないだろう。
「いや~、ちょっと前までなんで、あんなにギラついてたのか分かんねっス!」
そう言うのはずんぐりむっくりとした体形の熊型、本州に生息するツキノワグマよりはヒグマやグリズリーに頭部の形は近いかもしれない。
彼は2メートルを超える体躯を生かして施設管理を担う法人本部の施設課で働くらしい。
「そんなわけで、宇佐さんともどもよろしくオナシャス!」
ほんのり体育会系の匂いがする虎型、と思ったら違うらしい。なんでも化石から抽出したサーベルタイガーの遺伝子を合成されたタイプらしい。だが彼は史上最強の虎ベースであることに拘りがあるようだが、上顎から生える鋭く長い牙が無いのにサーベルタイガーであると見抜ける者などいるのだろうか?
彼も2メートルを超える長身だが熊型とは違い大分、引き締まった体形をしている。いわゆるマッチョという奴だ。ポロシャツの上からでもハッキリと分かるほど大胸筋は発達しているし、二の腕を覆う袖口ははち切れんばかりだ。とっとと食事を終えて体を伸ばす姿は猫科の動物そのもので柔軟性も高いらしい。
彼は天昇園で働くことになるという。つまり彼も宇佐と同じく涼子の後輩ということになる。
「兄者、口元に何か付いていますよ?」
サーベルタイガー型を兄と呼ぶのは猫によく似た生き物がベースの女性型。なんでもカラカルキャットという猫科の動物との合成獣人らしい。食事中に行儀が悪いと知りながらも涼子がスマホでカラカルキャットについて画像検索してみると確かに似ている。毛並みもそうだし、尖った猫耳の先端から伸びる毛もカラカルの特徴だ。
スマホを見せて欲しそうにしているラルメにスマホの画面を見せてやると、「ほう……」と言ってスマホの画面と自分の横のカラカル型を幾度も見比べる。
そしてハドーの下層民出身者にとって兄弟というのは地球とは大分、意味合いの異なる言葉のそうで、「ほぼ同時期に同じプラントで製造された、ベースとなった生物が同じ、または近縁種である者」といった意味だそうだ。
サーベルタイガーとカラカルキャットという猫科である以外には大分、離れた種類の生物である2人が兄妹であるのもそういった事情による。
彼女の背丈は165cmの涼子よりも少し背が高いくらいか? いや耳があるせいでそう思うのであって、実質は涼子と大差ないのかもしれない。だが涼子と違ってスラっと足の長いスレンダーなモデル体型は羨ましいと思う。
彼女は天昇園の隣の児童養護施設で働くそうだ。確かに彼女の見た目なら子供受けもバッチリだろう。それに猫科の動物特有の瞳は冷酷そうな印象を与えるが、兄の口元をテーブルに設置されていたナプキンで拭く姿を見るに面倒見のよい性格なのだろう。
「…………」
最後の1人はこのもくもくと朝食を口元へ運ぶ良く分からない生き物。少なくとも他の4人のハドー人のような哺乳類ベースではないだろう。涼子は最初、ウミウシなどの海の生き物を想像した。だが微妙な違和感があった。
カタツムリのように飛び出た目。インコのように短く太いクチバシ。全体的には黒い体表の所々に紫色のラインが走っている。
「…………」
「あ、すいません……。お食事に夢中になっていました。私もこれからお世話になります」
(うわっ! めっちゃ美人系の声じゃん!)
自身を見つめる涼子に気付いて、謎生物は恥ずかしそうにお辞儀して返す。
カラカル型のように体形では判断できないが、声からは確実に女性であろうと涼子は思った。
彼女の話によると彼女のベースとなった生物はムドゥルンガ。ハドーの根拠地のある世界の生物らしい。地球産の生物ではないが、高い適応能力を持つ生物であるために地球攻撃兵団に組み込まれたらしい。
彼女は軽量級プロレスラーのような体格ながら高い事務処理能力を買われ、天昇園の事務員として働くそうな。
そして1人、鼻息も荒く胸を張る宇佐。
彼女にとっては自分が真面目に働いていたから、他の同郷人も雇ってみようかという気に社会福祉法人をさせたというのは自身へ高い評価を付けられたというのと同じだった。
普段の仕事でも可愛がられていると言っても、それは新人職員としてなのかペットとしてなのか良く分からない所があると思っていた所のこの1件である。彼女は望外の評価を嬉しく思っていた。
涼子もそんな宇佐の様子を喜ばしく思いながらも、先ほどから気になっていたことを異形の新人たちへ聞く。
「でさ、貴方達の名前も教えてくれないかしら?」
「あ、無いッス!」
「というわけで……」
「宇佐さんに良い名前を付けてくれた島田さんって人の所にこれから行こうかと……」
「それは面白そうだ。涼子、早く食べ終われ!」
「あ、いえ、食事は御自分のペースで食べられた方が……」
ムドゥルンガさんは優しく涼子の心配をしてくれるが、姫様のご要望だ。涼子は残った味噌汁を白米にかけて一気にすする。
「よし! 島田とやらの所へ行くぞ!」
「「「「おぉ~!」」」」
「ちょ……、ちょっと待って……」
「え? 涼子さん!? 大丈夫ですか? 涼子さん!?」
気管にネコマンマを詰まらせて咽る涼子の事などお構いなしで行ってしまう宇宙人&異次元人集団(1名を除く)
「熊沢、寅良、伽羅、無堂」
天昇園の多目的ホール、2人掛けのテーブルで前田さんと将棋を指している所だった島田さんは風変りな新人たちの頼みを快く引き受け、悩む様子もなく4人の名前を決めていた。
熊沢はともかく、寅良はアイデンティティーである“サーベル”要素は無いし、島田さんはカラカルキャットという生き物を知らなかったらしく何度も“カラカル”という名前を聞き返し“ズラかる”だの“助かる”だの聞き間違えていた。異次元の生物であるムドゥルンガに至っては何をかいわんや……。
だが4人の獣人たちはこの即興で付けられた名前が結構、気に入ったらしい。
「凄ぇ! あっと言う間に決めてくれたっス!」
「しかも、どれもいい名前じゃん!」
「言われた後だと、私たちの名前はもうこれ以外に考えられないって気すらしてきますね!」
「宇佐さんを含めて私たち5人、字は被ってないのに、なぜか共通するアトモスフィアを感じますね……」
「よし! 名前決まったら名札作るから教えてくれって事務の人が言ってたし、早速行こうっス!」
それから島田さんにめいめいに礼を言い、あっという間にいなくなってしまう4人。
残されたのは将棋を指す2人と涼子、宇佐、ラルメだった。
「島田さんは平気ですか?」
「何がかの?」
「こないだまで殺し合いしてた相手が何人も自分の生活の場にいることがです」
「西住しゃんは嫌かいの?」
「いえ、宇佐さんを見てたら、そんなに気にする事もないかなって……。でも島田さんたちはどうなのかな? って思ったので……」
島田さんは涼子の問いには答えずに将棋を指し続ける。
桂馬で前田さんの飛車を取り、次の一手で自前の角将と先ほど取った飛車で前田さんに王手をかける。
いまだ塞ぎ込みがちな島田さんが言外に見せてくれた彼の人生観だと涼子は感じた。
「……ありがとうございます。それでは私たちは仕事がありますので失礼します」
微笑みを向けて退出していく涼子に宇佐とラルメも付いていく。
………………
…………
……
「あ、島田さん。逆王手です」
「のう。前田しゃん?」
「なんです? 待ったは無しですよ?」
「さっきの王手はじゃな。西住しゃんにじゃな……」
「駄目です」
「駄目かの?」
「さっきの王手の時、涼子ちゃんに見えない角度でドヤ顔してたのがイラッっとしたので駄目です」
「…………」




