20-3
「で、その銀河帝国の皇女サマが地球の老人ホームに何の御用向きでしょうか?」
宇佐と共に昼食に行こうかとしていた昼下がりにいきなり現れた女性は、自身を宇宙を統べる大帝国の帝位継承者であるなどと突拍子も無いことを言い出していた。
涼子はてっきり隣の障害者福祉施設から脱け出してきた人かと思ったほどだ。だが、それにしては目の前の女性は普通の人間には見えなかった。
一見、スラリと背の高い見目麗しい女性のようにも見える。だが、その整いすぎた彫りの深い顔立ちは日本人のものでは無かったし、その陶器のように白い肌は白人のものと比べても白すぎる。腰まで伸びた美しい金髪はまるで昼下がりの陽光を浴びて光り輝いているようでもあった。
(涼子さん、下がって……)
宇佐が涼子の前に出て、小声で後ろの涼子に話しかける。
(えっ!?)
(この人、エクリプス人です。多分、地球人じゃ武装無しでは一捻りにされちゃいますよ……)
左手で涼子が前に出ないように制止しながら、体の後ろに隠した宇佐の右手の爪が伸びている。
宇佐の手はウサギの毛に覆われているが人間型のものだ。だが爪だけは人間のような平たい物ではなく、ウサギのように尖った物だった。それは前から気付いていたが、涼子は宇佐の爪が伸びるところは初めて見た。
戦闘用の物だろうか?
だが以前に宇佐本人から聞いた話だが、宇佐はいわゆる伝令用の合成獣人で戦闘員タイプに比べて戦闘能力は見劣りするらしい。その代わりに製造コストも安く、維持カロリーも低いモデルだという。
果たしてハドーの伝令タイプの獣人で宇佐の言うエクリプス人とやらは制圧できるのだろうか? 自分の前に出ながら小さく震える宇佐を見て、涼子は自分の右手が無意識に握りしめられている事に気付いた。人差し指以外は強く握りしめられ、そして人差し指はヒクヒクと動いている。まるでチハの主砲を撃つ時のように。
宇佐とエクリプス人、両者の間に剣呑な空気が流れる。と、涼子は感じていた。
だが……。
「んん? やはり、海賊の獣人ではないか? ここは懐が広い所だと思ったが、ちと広すぎはせんか?」
ラルメと名乗った女性は番茶の入った湯呑をテーブルの上に置くと、宇佐の方を向き腕組みをして首を傾げてしまう。その表情はさも面白い物を見つけたようであった。
「ああ、姫様、諸々の用意が出来ましたので……、って、西住さんたち、どうしたの?」
そこへ多目的ホールに入ってきたのは涼子たちの先輩職員である多賀谷さんだった。
「宇佐さんと食事に行くとこだったんですが、えっと、姫様って多賀谷さんの知り合いの方ですか?」
「知り合いっていうか、明石さんたちと一緒に山菜取りに裏の山に行った時に偶然ね。……で、困ってらっしゃるようだったから……」
天昇園など特別養護老人ホームの利用者は要介護認定を受けている者がほとんどだ。そのために不慮の事故を予防するために厳重に戸締りがなされている。それは玄関や裏口のみならず、各所の窓なども簡単に出入りができないようになっている。つまり利用者の自由意思で外出ができないようになっているということだ。もちろん、それは利用者の方々の安全のためであるし、外出できなくとも施設内で娯楽を含めた生活の不便が無いようになっている。
だが、明石さんを含めたごく一部の利用者は何をどうしたものやら、どれだけ厳重に鍵をかけても勝手に外出してしまうのだ。なんでも旧軍の中野にあった学校の出身者には施錠というものは意味を為さないそうな。
旧軍にあまり詳しくない涼子なんかは「軍隊で空き巣の訓練でもしていたのかしら?」などと考えているほどだ。
そういうわけで、他の施設ではあまり考えられない事ではあるが、利用者が外出したい時は職員が付いていく事を条件にそれを許可しているのだった。
もっとも、これは特怪関連で予算が豊富なH市にある天昇園であるからこそできることで、他の市町村の同規模の施設と比べて天昇園の職員の数は多い。それでも他の施設には無い業務のせいで天昇園では慢性的な人手不足なのだが。
この日もタラの芽などの山菜を目当てに明石さんたち数人の利用者と多賀谷さんを含めた職員が裏山に入ったところ、山の中で往生していた皇女サマと出会ったらしい。
「そういうわけで向かえが来るまで、しばらく世話になる」
「丁度いいわ! 姫様を食堂まで案内して差し上げて」
(異次元人の次は宇宙人か……)
天昇園では特怪事件の際の報奨金を個人で受け取る以外に兵器の整備などにプールしている分がある。それを考えれば人1人くらい面倒を見るのはわけないだろう。
それにラルメの放つオーラのせいか、ついさっき出会ったばかりだというのに彼女のそばに控える利用者たちはまるで主従関係にあるようだった。それだけなら世話になる立場でどうかと思うが、サダさん、カヤさん、ソラさんの3人は本来、ブーメランのように腰の曲がった女性である。しかも常にプルプルと震えている。それが今は背筋は伸びて、危なげな様子などまるで無い。普段は杖や歩行器などを使っている高齢者がである。
それはラルメの放つ堂々と威に入った“お姫様オーラ”に中てられたからなのか、それともエクリプス人にそういう特殊能力があるのかは分からない。
「え~、じゃあ行きましょうか……。姫様、ご案内いたします」
宇佐とラルメを引き連れて涼子は法人本部にある社員食堂に向かうことにする。
「ほお! ここが地球のリストランテか!」
「いえ、社員食堂です」
朝も食事をした社員食堂は複数の施設の職員の胃袋を満たすために結構な大きさのものである。
そのため、街のファミレスや大衆食堂のように数十種類のメニューから好きに選べるわけではないが、それでも毎日3、4種類のメニューから選択できるようになっていた。大概は定食物、丼物、そして麺類などの組み合わせだ。しかも安いのだ。本部近くにある社員寮に入居している職員などは休みの日でも社員食堂を利用する者もいるくらいだ。
この日も宇佐が食べるつもりでいたミックスフライ定食の他にも中華丼と五目ラーメンから選べるようになっていた。
「ミックスフライ! ミックスフライ!」
「私も定食にしようかな? 姫様はどうされますか?」
「ふむ。といっても妾は地球の食べ物などとくと知らん。2人と同じ物でよかろう」
3人ともカウンターでトレーに乗った定食を受け取り、空いているテーブルに着く。
ラルメも皇女であるならば地球の常識でいえば給仕をされる立場であろうが、特には気にしていないようだ。口調の割には親しみやすい性格なのかもしれない。
だが、さすがに彼女の話はスケールの大きな物だった。
「2重蝶型雲状星雲の方にクルーザーで行幸に参ったのだがな、そのクルーザーがハイジャックされてしまってのう。皇族が虜囚になるわけにもいかんで1人で脱出してきたのだ」
ラルメの話から涼子と宇佐が受け取った感想はまるで違うものだった。
(クルーザーで旅行? ブルジョアジーって奴かしらね……)
(皇族が乗るクルーザーをハイジャック!? きな臭い話ですねぇ……)
ラルメは話をしながら、涼子が気を利かせて用意してもらったスプーンとフォークで食事を始める。
だが何故かデザートとして用意されたフルーツヨーグルトから手を付け始めた。地球の料理に不慣れであるがゆえか、それとも彼女の生まれ育った文化ではそのような風習があるのかは、その澄まし顔からは窺い知れない。
「……え~と、姫様? それ、大丈夫ですか?」
「うむ。中々にオツな味ではないか」
「いえ、それ、発酵食品ですよ?」
「それがどうかしたのかえ?」
ヨーグルトは牛乳を微生物を利用して発酵させた食品であること。
そして涼子が子供の頃に読んだH.G.ウェルズの「宇宙戦争」では、地球に攻め込んできた火星人は強大な科学力を持ちながらも地球の微生物やウイルスに免疫を持っていなかったために全滅してしまったことを異星人であるラルメに説明する。
だがラルメはスプーンをトレーの上に置き、コートのような衣服の袖口で口元を隠してしまった。それでも抑えきれなかったのか、ついには腹を抱えて苦しそうに笑いだしてしまう。
「……く、苦しい! まさか涼子が道化師のような事を言い出すので不意を突かれてしまったわ! それにしても他所の星の微生物に免疫が無くて全滅とは、虚弱な地球人が思いつきそうなことよ。なあ、海賊よ!?」
涼子が隣を見ると、宇佐はエビフライを咥えたまま白目をむいて、プルプルと震えながら必死で笑うのを堪えていた。今なら箸が転げるのを見ただけでも口の中の物を盛大に吹き出してしまいそうなくらいだ。
「……もう! 私は真面目に心配しているのに!」
照れ隠しに語気を強める涼子であったが、ふと気付く。
宇佐も天昇園に来てから地球の食事をしており、1週間の間に何度も発酵食品が出ていたが彼女はどれも美味しく頂いていたではないか。今朝も納豆を食べていたハズだ。もっとも納豆菌に侵食された宇佐とかどう考えても嫌だが。
それに……。
(……そういえば、この子、さっきは私の事を守ろうとしてくれたわね……)
今とは違う理由で震えていたし、宇佐がどれほど荒事で役に立つかは分からないが、その事自体に涼子は感謝しようと思った。
そう思った涼子は自分の分のフルーツヨーグルトを宇佐のトレーの上に動かしていた。
「……宇佐さんが食べて、今日は食べる気しないわ……」
「え!? いいんですか!?」
昼食後に宇佐は伸ばした爪を切りたいと言うので天昇園に戻った涼子はラルメを多賀谷さんに任せ、事務所に常備してあるニッパータイプの爪切りで宇佐の爪を切ろうとする。
「……爪切り、駄目になっちゃたんだけど……」
「そりゃ、装甲版を切り裂く爪をただの鋼の爪切りで切ろうとしたらそうなりますよ!?」
「……それを先に言ってほしいな、ってのは言い過ぎかしら?」
「いやぁ~! 前にテレビで割り箸の紙の袋で割り箸を折る人を見たので、涼子さんならやれるのかな? って……」
泊満さんにせよ宇佐にせよ、自分への過大評価は一体、何なのだろうと涼子は思う。
「ていうか、その爪、自分で縮められないの?」
「涼子さんはできます?」
「…………」
「…………」
「ガレージに行きましょう」
「がれえじ?」
その後、車両ガレージに置いてあるディスクグラインダで無理矢理に宇佐の爪を切り落としてやった時には、宇佐は初めて会った時のような悲鳴を上げていた。




