19-1
「……また来ましたよ。獣人タイプ1!」
「西住しゃん、待ちんしゃい。ありゃ、白旗を振っとるぞぉ」
「で、でも……」
その怪人が白旗を上げてブンブンと振り回している様子は涼子にも見えていた。
だが相手は海賊である。どんな卑劣な手を使ってくるか分かったものではないのだ。降伏の合図である白旗を上げて、近寄ってきたら豹変して襲い掛かってくることだってあるかもしれない。
「なぁ西住しゃん、ワシらが守っているのは後ろの天昇園の避難民だけじゃない。……言葉にするのは難しいが、ワシらが守っておるのは人の善性だとかモラルだとかいった『社会』そのものなんじゃあ、それに……」
「それに?」
「なんだか、奴さん、妙に必死じゃぞぉ?」
100メートルほど向こうで力の限りといった具合で白旗を振り回しているのはウサギ型の獣人だろうか? フワフワとした茶色い毛皮は腹の部分だけが白くなっている。チョコレートオターと呼ばれる毛色だろう。ウサギの耳も直立したタイプではなく垂れ耳で、その垂れた耳が旗を振るのと同時に左右にふれている。
そして何より表情だった。
呼吸が乱れているのか半開きのままの口に、大きな目は見開かれている。人間のような豊かな表情に、ウサギの可愛らしさを兼ね備えたその怪人は見る者の哀れを誘うような迫真の形相で降伏を求めているのだった。
警戒していた涼子も思わず引鉄にかけた指が緩むほどであった。
「……なんだか信じてもよさそうな……」
「じゃよなぁ……、よし! 前田しゃん、3号車と4号車に通信。あの怪人の投降を受け入れるから警戒せよ」
「了解です!」
島田さんがキューポラのハッチから上半身を乗り出し、ウサギ型怪人に手振りでこちらに来るように伝える。
島田さんの合図を理解したのか、脱兎の勢いでこちらに走りよってくるウサギ型怪人。
あまりの勢いに涼子は襲いかかってきたのかと錯覚したほどだ。
「止まって、止まって! そんなに慌てないで、ゆっくりとこちらに来んしゃい」
本来ならばまだ戦闘中の状況下である。投降を受け入れるにしても毅然とした態度を取らねばならないことは言うまでもない。
だが島田さんは元来の温厚な人柄の故か、はたまたウサギ怪人のあまりの様子に絆されたのか、すっかり子供をあやす様な声色になっていた。
「こ、降伏しますぅ~! い、命だけは! 殺さないでください~!」
近くで照準眼鏡越しに見てみるとウサギ型怪人の目元の毛は涙で濡れていた。それに精強で知られるハドー怪人が面子も外聞もなく助命を願うとは……。
一体、この怪人はどのような恐ろしい目にあったというのだろうか?
島田さんとウサギ怪人との間で言葉のやりとりを交わすのを聞くに、この怪人の投降の意思は固いようだった。むしろ何かに怯えているようで、ポッキリと心が折れているような気すらする。
涼子は自分用のスポーツドリンクにまだ口をつけていなかったので、ウサギ怪人を落ち着かせるために島田さんに渡してもらうことにした。
それで幾らか落ち着きを取り戻したのかウサギ怪人はホッとしたような表情を見せる。
異次元人にも飲み物を与えておいてから殺すなんて無駄なことはしないという意思が伝わったのなら幸いだと涼子は思っていた。
ウサギ怪人の投降を受けてから30分も立たないうちに本部からまた通信が入る。
「なんだか良くわかりやせんが、『いじげんげえと』とかいうのが塞がって増援はもう来ないそうですよ」
「それじゃ、今いる分だけでハドーも店じまいってことかのう……」
「旗艦もとうに沈んでるんだし、お嬢ちゃんみたいに皆揃って降伏してくれれば楽なんですがねぇ……」
先のウサギ怪人には大通り脇の廃墟となったビルの中で隠れてもらっていた。
たった3輌の戦車隊ではウサギ怪人を後送する余裕も無いし、かといって折角、投降したのに通りすがりの他のヒーローに攻撃でもされたら寝覚めが悪い。
結局、午後を過ぎてから大分、待たされてからやっと市内の警戒レベルは下がったという連絡が入った。
天昇園戦車隊の元へもやっと応援のヒーローが駆けつけ、涼子たちも数時間ぶりの休息が取れるようになった。
まだ残党の襲撃があるかもしれないのでチハからは離れられない。それでも息苦しい砲塔内から出る事が出来た解放感は涼子にとって格別のものであった。
チハの横の瓦礫にどっかりと座り込むと自分の意思に関係なく、尻から根が生えたように涼子は動けなくなってしまった。
(……あ、あれ……?)
涼子にとっては初めての経験であった。
学生時代にやっていた部活でも動けなくなるほどの疲労を感じたことはない。
ましてや涼子はずっとチハの車内にいたのだ。
砲塔旋回ハンドルを回しまくっていた左手や、握把を握りしめて握力の感覚の無くなっていた右手だけならいざしらず、全身が動かない。
それが体力の限界によるものか、それとも張り詰めた精神の糸が切れてしまったのか。それを考える事すら涼子の頭脳は拒否していた。
涼子はただボーっと応援に駆け付けた4人組のヒーローチームの姿を眺めていた。
(……あの人たち、まるでコンピューターRPGに出てくる人たちみたいだな……。剣に鎧に盾に杖、あのコートみたいなのは「ローブ」って言うんだっけ? そういや異世界帰りの高校生がいるってニュースで見たことあったっけ……。「勇者」だっけ? それなら「チーム」じゃなくて「パーティ」かな?)
次に涼子の意識がハッキリとしたのは天昇園からの向かえが来てからだった。
クレーン付きのトラックが来て、2号車のハッチから下半身不随の前田さんを回収している時、その左足がドス黒く染まり、ポタポタと血が垂れているのを目撃した時だった。
(えっ……、そんな……、私、全然、気付かなかった……)
被弾したさいに貫通弾があったのか、それとも衝撃で車内の部品か何かが飛び散ったのか。
負傷の原因は定かではない。
だが涼子にとって問題は、介護職員である自分がそばにいながら前田さんの負傷に今の今まで気づくことすらなかったという事であった。
下半身不随の前田さんには下半身の感覚はない。それゆえ自分の負傷に気付かないこともあるのかもしれない。あるいは戦車乗りとして負傷に気付いていたとしても黙って戦闘を継続することを選んだのかもしれない。
だから、だからこそ自分が気付かなければならなかった。涼子はそう考えていたのだった。
幸いにして前田さんの負傷は軽傷で、園の先輩職員たちも涼子を責めるようなことはなかった。
それどころか涼子の無事と戦果を皆で喜んでくれたのだ。
この辺りから涼子は自分と他者との感覚のズレを感じるようになった。
結局、その日は夜勤明けということもあり、そのまま帰宅した涼子であったが翌日の朝に出勤した涼子は前田さんの負傷よりも、さらに衝撃的な事実を告げられる事となる。
なんと2号車の装填手である原さんが、涼子がチハの主砲を発射する度に次弾を装填してくれた原さんが昨晩、亡くなったというのだ。
なんでも昨晩は大戦果に気を良くしたのか、ニコニコ顔でいつも以上の食欲を見せていた原さんであったらしいが、突如として苦しみだし、救急車で病院に搬送されたものの処置が間に合わずにそのまま息を引取ったという。
そのような事なので遺言やそれに類するような物もない。
あまりにあっけない原さんの死であった。
涼子が務めているのが特別養護老人ホームである以上、利用者の死は避けては通れないと頭では理解していた。
現に原さん以前にも利用者が病院に搬送されるも死亡したという事も経験がある。
だが、それでも涼子にとって、同じ戦車で死線を潜り抜けた「戦友」と言っても過言ではないような者が、死線を潜り抜けたその日の内に夕食を喉に詰まらせて死んだという事実は重くのしかかっていた。
「……人間、いつ死ぬか分からない。か……」
思わず口に出してみたが、そんなありきたりな言葉ではあまりに薄っぺらい気がする。
こんな時に幾度となく死線を乗り越えてきたであろう島田さんなら涼子の心のモヤモヤを晴らしてくれるかとも思ったが、彼も涼子と同じく仲間を失ったばかり、いつも以上にプルプルと震えながらガックリと肩を落とすばかりだ。
無理もない。
島田さんにとって、原さん以前にも原さんの夫である涼子の前の砲手も亡くしていたのだ。島田さんと共にあのチハの狭い砲塔の中で肩をぶつけ合っていた原夫妻はもういないのだ。こればかりは何度、経験していても慣れることはないのかもしれない。
それなら泊満さんならば涼子の助けとなる言葉をくれるかもしれない。
そう思ったが、泊満さんは泊満さんで血圧を上げ過ぎて緊急入院していた。
まあ、こちらは命に別状はないというのは不幸中の幸いといったところか。
近くにいた高齢者の負傷に気が付かなかったという自責の念。
他の職員たちとの感覚のズレ。
そして仲間の唐突すぎる死。
そういう理由で西住涼子は五月病だった。
本作において、話の結末が次話の冒頭にズレ込むのは「平成〇イダー」シリーズリスペクトだったりするのですが、
18話が「西住涼子は五月病だった」で初めて、ここで「西住涼子は五月病だった」で締めるので、もしかしたら19-1まで18話ということにした方が納まりが良かったかもしれませんね。




