18-2
その日は雨だった。
夕べ遅くから降り始めた雨は日の出の時刻近くになっても降り続き、空は暗い。
世間様一般ではゴールデンウィーク初日である。本来ならば行楽シーズンなのだろうがこの大雨では台無しだろう。
もっとも西住涼子にとってはゴールデンウィークなど関係無かった。
ゴールデンウィークだからといって施設の使用者は変わらず生活を続ける。必然的に介護職員もゴールデンウィークだろうが盆暮れ正月だろうが働かなくてはならないのだ。そのため職員たちはシフトを組んで交代で休みを取りながら働いているのだ。
もっとも独身で新人の涼子の休みの希望は基本的に後回しである。それはしょうがないと涼子も分かっている。家族持ちの人は家族サービスをしなければならないのは分かっているし、涼子は平日に休みが取れるほうがいいとも思っていた。……まぁ、半分は彼氏もいない涼子の痩せ我慢だったが。
丁度、その日も涼子は夜勤に当っていた。
前日の16時半に出勤して申し送りを受けて引き継ぎをして、先輩職員とともに夕食の介助、投薬の確認、おむつを含めた排泄の介助、着替えの介助、また寝返りもうてない寝たきりの利用者は床ずれの予防のために寝返りをうった状態にして時間をおいて元の状態に戻す。また何か問題はないか巡回して回るのも大事な仕事だ。
慌ただしく時間は過ぎていく。気付いた時には日付は変わり、2度目の巡回の時間が迫っていた。
(今日も勉強の時間は取れなかったな……)
2度目の巡回の時間が無事に終われば休憩の時間が取れるが、まだ介護記録の作成が終わっていないのだ。休憩の時間は資格取得の勉強ではなく、書類の作成におわれる事になるだろう。
資格取得の勉強といっても涼子が特別に向上心があるわけではない。介護職員の全盛期は意外と短いのだ。介護には様々な機器を用いるし、実際にそれで以前よりは楽になったとはいうが所詮は人間相手の仕事だ。結局の所、利用者の安全を考えれば最後の最後に使うのは人の力だった。だが高齢者とはいえ人間の体重が相手だとどうしても介護者の肉体にも負担がかかる。無論、スポーツ力学や人間工学の理論を応用した体に負担の少ない介助方というのが確立されてはいる。だが結局は負担の“少ない”方法だ。負担の“無い”わけではない。そのために介護職員は長年の無理が祟って膝や腰を悪くする者が多いという。
どこか体を悪くして、無理に無理を重ねてももうどうしようもなくなった時、それが介護職員のタイムリミットだという。それまでに資格と経験を重ねて現場を離れなければ御終いだ。
涼子も高校最後の夏休みを使って介護職員初任者研修を受講していた。もっとも、これは簡単な講習と筆記テストのみで取れる内容でほとんど価値はない。さらに上の介護福祉士の資格を取り、ケアマネージャーの資格を取得する。それが涼子の今後の目標だった。
(まっ、仕事に慣れれば休憩の時間をキチンと取れるようになるでしょ……)
涼子は気を取り直し、懐中電灯を片手に受け持ちのフロアの巡回に出かける事にした。
高齢者の睡眠は浅く長い。一見、これは手が掛からないように思える。
だが実際は昼も夜も関係なくうたた寝をしている人が多いために夜中でも関係無しに起きることを意味する。
涼子も数人の利用者に声を掛けられるが特に異常はなく淡々と職務をこなしていった。
涼子が事務所に戻ると先輩の多賀谷さんが慌てて飛び込んできた。
多賀谷は新人の涼子とよくペアを組まされることからも分かるようにベテラン中のベテラン。よほどの事がない限りは慌てたりはしないような肝の強い女性だった。
「た、大変! 西住さん! 泊満さんが……」
「泊満さんがどうかしました?」
「泊満さんがいないの!」
「えっ!」
「西住さんも探して!!」
「はいっ!」
休憩どころではなくなってきた。
特別養護老人ホーム「天昇園」では利用者が職員の目が離れた隙にいなくなって事故などに巻き込まれてしまわないように玄関などの施錠は厳密にされている。だが泊満さんはどこかに行ってしまったというのだ。
多賀谷さんと話をして涼子は捜索に、多賀谷さんは他の職員に連絡してから捜索に加わることになった。
涼子はとりあえず泊満さんの居室のある東館から先に探すことにする。他の人の部屋に行っていないか1部屋ずつ確認して周り、男子トイレに入った時、「おや?」と思った。窓から小さな明かりが見えたのだ。
(確か、あっちにはガレージが……)
曇りガラスの窓を開けて確認してみるとやはりガレージの窓から明かりが漏れてきているのだ。
泊満さんは戦車隊の隊長にして1号車の車長だ。ありえない話ではないか……。スマホで多賀谷さんに連絡を入れてから涼子もガレージに向かうことにする。
「……泊満さん。探しましたよ」
やはり泊満さんはガレージにいた。
ガレージの天井に設置されている電灯ではなく、LED式のランタンを1号車の砲塔に乗せ泊満さんはフェンダーの上に足を組んで座っていた。ランタンの明かりのみだったから小さな光しか漏れてなかったのだ。煌々と明かりが点いていたならすぐに見つけ出すことができただろう。
「やあやあ、君か……」
「どうしたんですか? ここまで来るのに雨に濡れませんでした?」
高齢者にとっては若者にとっては些細な風邪も命取りだ。高齢者の死因のナンバー1である肺炎に直結するし、食欲が落ちて体力を失えばそのまま寝たきりになるということだって十分に考えられる。
だが涼子の脳裏に浮かんでいたことはそんな事ではなかった。ランタンの橙色の光に照らされた1号車と泊満さんはいつもとは違う。何が? と言われれば言葉にはできない気がする。だが、何か恐ろしい。深夜という時間というせいだろうか? それともランタン以外には消火栓や避難誘導等の頼りない明かりしかない状況のせいだろうか?
この1号車は2号から4号車とはまったく違う種類の戦車だ。長く伸びた主砲も頼もし気だし、戦車に詳しくない涼子の目から見ても異質の存在だ。しかも泊満さんとは戦中からの付き合いだという。
そして泊満さんだ。泊満さんは戦中は中国大陸にいたそうで、泊満さんは1号車を駆り大陸狭しと暴れ回り、終戦と武装解除の通告を受けても侵攻してきたソ連軍の戦車隊を1号車で蹴散らしながら退却。日本への引き揚げ船は民間人を含めた人たちで一杯であったというのに、戦後の冷戦構造を見越した政府高官の口利きでなんと1号車ごと引き揚げてきたというのだ。
1号車が何トンあるか涼子は知らないが、それでも1号車の大きさを考えれば代わりに何人もの人間を乗せることができたであろうことは想像ができる。そして大陸に取り残され、中国で暮らす羽目になった者の人生、あるいはソ連に抑留されてしまった人たちの運命も涼子は知らないわけではない。だが、その人たちを置いても泊満さんと1号車を日本に帰す価値を当時の高官たちはあったと思っていたのだ。
涼子が底知れぬ恐怖を感じたとしても無理はないだろう。
「……嵐がきたようだな……」
静かになった涼子に話しかけるように、それにしては小さく泊満さんが呟く。
「ええ、でも午前中には止むようですよ」
涼子は辛うじて介護職員の端くれとしての矜持を取り戻し、努めて冷静に言葉を返す。だが泊満さんは何がかはわからないが妙に涼子の返答が気に入ったようで大きく笑う。
「ハハハハハ! 然り然り! うむ。そうだな私と君。二人で嵐を止ませてみようか! 『鷹の目』の少女よ!」
鷹の目?
なんのこっちゃ!?
なんで天気予報を教えただけで変なあだ名を付けられなきゃならないのだろうか? しかも私と泊満さんで嵐を止ませるって……。
「……!?」
そう思っていた涼子の耳に爆発音が届いてきた。遠い。だが確かに聞こえた。音のした方向を泊満さんも見詰めていたことからもそれは確かだろう。だが何の爆発だ?
頭の中に「?」マークがぎっちりと浮かんでいた涼子を尻目に泊満さんは1号車から飛び降りる。
「……この荒んだ感覚。相手は賊か……。まぁ、いい。奴らに私と君とで“教育”してやろうではないか!」
そのまま背筋をピンと伸ばしたままスタスタと歩いて壁際の火災報知器の非常ボタンを押してしまう。
ジリリリリリリリリリリリリ……!
夜を劈く警報の音が鳴り響く。ガレージだけではなく施設全館に警報は鳴り響いてしまっているだろう。
(や、やらかしてしまった……)
止める機会はあったハズなのに泊満さんに、100歳を超えた老人を止めることが出来なかった。これは先輩たちに怒られる……。
涼子の頭の中が真っ白になって固まっているところで泊満さんの行動は止まることが無い。壁際のマイクで全館放送を始めてしまったのだ。
『起床! 起床! 防衛部隊は速やかに所定の行動を開始せよ! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない!』
さらに泊満さんは危険物保管室の南京錠の付いた太い鎖を防火用の斧で叩き壊し、1号車から4号車までのエンジンを始動して暖気運転を始める。
ガレージに最初に飛び込んできたのは多賀谷さんだった。
「あっ! 多賀谷さん! これはあの……」
涼子がどう言いつくろおうかと悩んでいると、多賀谷さんは涼子にヒョイと何かを投げ渡してきた。
「これは……?」
「貴女の戦車帽よっ! て、敵は海賊だって、異次元人の海賊!」
「えっ!?」
続々とガレージに駆け込んでくる職員たちや施設利用者たち。車椅子に乗せてもらっている者もいれば、寮から駆け込んできたのかパジャマ姿の先輩職員の姿もある。
危険物保管庫から各種砲弾や機銃弾、ガンラックに収められた小銃や機関銃がラックごと引き出されてくる。
「相手は超次元海賊だ! 榴弾は少なくていい! 特甲とタ弾を余計に積んでくれ!」
泊満さんは1号車の砲塔上で職員や整備担当の施設利用者に指示を出している。もう涼子のことなど眼中にないようだ。
「西住しゃ~ん! アンタ、早かとね!」
カツンカツンカツンといつもの猛ピッチで杖を付いてきたのは2号車の車長、島田さんだった。
「え、ええ……」
島田さんはすでにオーバーオールタイプの戦車服と涼子とお揃いの戦車帽を着込んでいた。
(ん? 島田さん、誰に着替えさせてもらったの? まさか1人で?)
島田さんは普段は着替えには介助を必要とする。
ふと、これなら普段も介助なんかいらないんじゃないかとも思ったが、口には出さずに島田さんと2号車に砲弾を積み込んでいく。
途中からは装填手の原さん、操縦手の西さんも合流した。
通信手兼前方銃手の前田さんは下半身不随のために作業を手伝うことはできないので一足先に自分の持ち場に付く。
作業を続ける2号車乗組員たちを尻目に1号車はガレージから意気揚々と出撃していった。
大口径の主砲を備える1号車は砲弾の積み込みにかかる時間は少ないし、そもそも2号から4号車とは性能が違い過ぎて部隊行動を取る事はできないのだ。そして単独行動で戦果を上げられるだけの能力が泊満さんと1号車にはあるのだ。
車長用ハッチから身を乗り出した泊満さんは2号車の横を通り過ぎる時に涼子にニコリと笑みを浮かべていった。
相手がイケメンの若者なら惚れてしまうところだろうが、泊満さんは100歳を超えた白髪頭の骨と皮だけの老人だった。
1号車に次いで長10サンチ高角砲、五式高射機関砲、一式機動対戦車砲がそれぞれ2基ずつガレージを出ていく。これらの大砲たちは砲弾を積み込む手間がいらないために素早いのだ。
2号車の準備が整うと今度は3号車の準備を手伝う。4号車は遅れるようだ。4号車の操縦手である土門さんは戦後に食べ物に苦労したせいか何があっても3食キチンと食べないと働かないためだ。
やがて3号車の準備も終わり、両者合わせて9名の搭乗員で打合せが行われる(2号車は実質的な隊長車であるために車長の他に装填手を乗せているが、3号車は車長が装填手も兼ねる)。
「よし! それじゃ皆しゃん、怪我とかにゃいようにな! 後、ウチの西住しゃんは今日が初陣だから気を付けて見てやってな……」
「「「は~い!」」」
(ん? コレ、私も出撃する流れになってね?)
涼子としては高齢者のリハビリ兼レクリエーションの戦車隊に参加するのは良くても、実戦に参加する気は無かった。
しかも今日、攻めてきているというのは名に聞こえた異次元海賊のハドーである。異次元海賊、または超次元海賊と呼ばれるハドーはその名の通りに異次元からの侵略者だ。いや侵略者と言うよりは略奪者か。彼らの基本戦術は勢いに任せた突撃という単純なもの。だが次元を超えるだけあって科学力は凄まじく、中でも遺伝子合成改造技術によって作られる獣人型の怪人は非常に強力なものだとして知られている。
そんな連中相手にチハのような戦車と呼んでいいのか分からない前世紀の遺物で戦うだなんて涼子には御免だった。涼子は極々、普通の女の子(彼氏いない歴=年齢)なのだ。
(さて、何て言ってばっくれたらいいものかしらね……)
思案している涼子の耳に子供の声が届いてくる。
老人ホームには似つかわしくない子供の声。しかも泣き声だった。
ガレージの入り口の方を見ると1列になって歩く子供たちの列。泣き声の主は姉らしき子に手を引かれた幼稚園児らしき女の子だった。
その泣き声は子供がワガママを通すためのものや不快を大人に伝えるためのものではない。脅え、恐怖、自分でも抑えられない感情が声と涙になって自然と出てしまったものだ。
その子を宥めようとする姉らしき子もつられてか涙を零しながら妹を慰めている。
その子たちは天昇園に隣接する児童養護施設の子供たちだった。その他にも経営法人を同じくする障害者福祉施設の利用者たちや近隣住民たちも天昇園に避難をしてきていた。
天昇園の旧軍経験者たちのリハビリ用に用意された戦車隊が何故、実戦にまで参加することになったのか? それは有事の際に避難指示が出ても寝たきりの高齢者や障碍者たちは避難をすることができないからだ。ならば迎え撃つしかない。その論理の飛躍はどうかと涼子は思うが結局、取れる手段はそれしかないのだ。
いつしか戦車隊を含めた防衛部隊が名を上げるにつれ、天昇園自体が近隣住民たちの避難場所となっていたのだ。
まあ、もっとも最大の戦力であるハズの戦車隊1号車が防衛の事など考えずにいつもどこかに行って自分の好きに戦うのは誰も予想しなかっただろうけど……。
「ほら! お嬢しゃん! 泣きゃないで! お爺しゃんたちが悪者なんか皆やっつけちゃうから! だから安心して、ねっ!」
島田さんが泣いている子に近寄って優しくあやしてやる。
「……お、お爺ちゃんが……?」
「そうしゃ! ほら? あそこの戦車が見えるだろう? アイツで悪者なんか一捻りだよ!」
「あ、あれが戦車!?」
幼女の目から見てもチハは戦車には見えないようだ。
ふと涼子には島田さんの口調がいつもとは何だか違うことに気付いた。なんだか空元気を振り絞ってしるような?
辺りを見回してみると所長はハチマキを締めて竹箒を持って仁王立ちしているし、持病で医者から禁酒を命ぜられている井上さんは1カップ酒を呷っているし、それを咎める者は誰もいない。さらに小銃分隊の三八式歩兵銃には銃剣が着剣されている。
そういえば聞いたことがある。涼子は以前に聞いたことを必死で思いだす。確か、防衛部隊の小銃にはよほどのことがない限りは着剣しないという。なぜなら旧軍経験者に銃剣を渡すとすぐに敵に突っ込みたがるのだという。同じような理由で天昇園には航空部隊は存在しない。旧軍のパイロットはちょっと機体が損傷するとすぐに敵に体当たりをやりたがるという悪癖があるという。……ともあれ、天昇園の小銃分隊が銃剣を付けるというのは最悪、骨と皮だけの高齢者たちが銃剣突撃を敢行しなければならないかもしれないという事態を想定しての最終手段だったのだ。
(……なんだ。皆、ハドーの連中のヤバさは分かっているのね……。それでもやらなきゃいけないってことか……)
結局、西住涼子は極々普通の女の子であるが、極々普通の女の子であるがゆえに周囲の人間に共感し勇気を振り絞ることが出来た。
後はその勇気がまた萎んでしまう前に、自分の体をチハの砲塔ハッチから自分の定位置に入れてしまうことだけだった。どうせ自分は周囲に流されて生きる人間だ。なら、このまま流れてやるだけだ。
遂に2号車と3号車、2輌の九七式中戦車改二は出撃する。
車長の島田が車長用キューポラから上半身を出して避難民たちに挙手の敬礼をする。雨に打たれるのも構わずに。
(……チハ。貴方が自分を戦車だと言い張るのなら、その力を見せて見なさい!)
涼子が砲の握把を強く握り引鉄に指を掛けるがチハは答えない。ただ鈍いエンジン音を轟かせるだけだ。
次回、第二次世界大戦中、最強の戦車チハが大活躍!(大嘘。どこが、とは言わない)




