39-10 秋田編5 大いなる“精霊”
オラホ族の少年「クライング・ドッグ」がもたらした「クマのウェンディゴ」出現の報。
それを聞くと屈強で知られるオメホのマタギたちは一様に怯えていた。
頭を抱えて俯く者。
テントの天井を見つめてため息をつく者。
中にはハッキリと震えて顔を青くしている者もいる。
「おいおい……。どうしたってんだよ? ウェンディゴってのは?」
むくつけきマタギの戦士たちがこうも取り乱すなど、秋田出身のトラック運転手にとってもそれは異様な事だった。
彼の疑問に答えたのは酋長ビッグ・ロングホーン。
「大地に空に山に川、ありとあらゆる所にあまねく存在する精霊。我らマタギの民はマニトゥの加護を受けて森の恵みを享受してきた。
だが良きマニトゥあれば悪しきマニトゥあり。悪しきマニトゥ、囁きて命あるモノの体を奪うとウェンディゴと化すという……」
そう言うと酋長は自身の背後に飾られている角の長い牛の頭骨を指さす。
「これも……?」
「ああ、かつて我がオメホの民とオラホの民が協力して討伐したロングホーンのウェンディゴの頭蓋骨じゃ」
「……!」
「デカいな……」
改めて見ると不気味なほどに巨大な頭骨だった。
頭骨自体も普通の牛の3、4倍もありそうな骨だというのに、それに輪をかけて異様だったのは側頭部から迫り出した2本の角だった。
この酋長のテントはこの頭骨の角を構造の一部として利用しているようで、テントに張り巡らされた柱材の3分の1ほどは角に荒縄で縛り付けられているほどだ。
それほどに長く太い角。
通常の生物ならば食餌などの生活を阻害するであろう事は間違いない。
「ウェンディゴと化すと通常の生物の範囲を大きく超えるほどに巨大化する。カモシカであろうとウサギであろうとな。その過程で草食性の動物であろうと血を求めるようになり、狂暴になるのじゃ……」
「おいおい……」
「このロングホーンのウェンディゴを倒す時もオメホとオラホ、合わせて50の命が祖霊の元へとかえっていったのじゃ。ましてや此度のウェンディゴは最強の『クマのウェンディゴ』。そしてオラホの仲間はすでにいない……」
酋長という立場柄、ビッグ・ロングホーンもオラホ族の知己も多かったのであろう。
再び彼らの冥福を祈るように老人は俯いてしばし無言となった。
その姿はマタギの酋長という立場から想像できるような威厳は何も無い。ただ1人の年老いて背の曲がった老人がそこにいるだけだ。
思わずトラックの運転手も二の句を繋げずにいられなくなってしまうが、今のビッグ・ロングホーンの言葉にどこか心に引っかかっているのを感じていた。
巨大化。
肉食化。
そして狂暴化。
「うん? おい、それってよぉ、さっきお嬢ちゃんが谷底に落とした……」
「……!?」
運転手の男の言葉に座敷童もハッと同じ考えに思い至る。
北海道に生息しているヒグマと違い、本州や九州に生息しているツキノワグマは同じ雑食性の動物といえど草食性に近い食性である。本州でクマの被害が出たという場合、不用意にクマと出くわしてしまった場合の自衛目的の攻撃であったり、あるいはよほど山に食べ物が無くて危険を冒してでも人間を食料としなければならないほどに追い詰められていたりする場合がほとんどだ。
先ほどのように少年を追い立てて狩ろうというのはツキノワグマとしてはあり得ない行動といってもいい。白神山地の山々には他にいくらでも食べる物はあるハズなのだ。
加えてあの巨大さ。
北海道のヒグマはおろか、北米大陸の灰色グマとてあれほどの大きさにはならないだろう。
「はい。アレこそが僕の一族を食らいつくしたウェンディゴです。皆が自分を盾にして僕を逃がしてくれたというのにお二人に助けて頂かなければ危ない所でした」
「おっしゃ! なんだエラい話になったと思ったが、知らん内にケリは付いてたみたいだな!」
「…………」
楽観的に笑う男に対して座敷童は黙って首を横に振る。
あの巨大グマが大地を蹴り上げる度に地震かと思うほどの地響きが起きていた。
つまりはあのクマの身体能力はただ巨大になっただけのクマというわけではないようで、さらにその怪力に耐えるだけの骨格や内臓の強度も持ち合わせているという事になる。
さらに谷底に落としたとはいってもクマは転がりながら何度も崖にぶつかりながら落ちていたのだ。
当然、山肌に激突する度に落下速度は殺され、人間ならばいざ知らず、あの巨大クマを仕留められたとはとても思えないのだ。
さらにクライング・ドッグが続ける。
「僕もそう思います。オラホの里がウェンディゴに襲われた時、当然、僕らも反撃しました。でも奴は……、銃で撃たれても槍で突かれようとも気にせずに僕の……、僕の……」
「…………」
座敷童が「もう言わなくていい」と言わんばかりにクライング・ドッグの肩に手をかけてやるが、少年はそれを伝える事こそが自分の使命だと思っているのか、荒い呼吸で息を整えた後に続けた。
「喰っていたんです! 僕の父を! 母を! 妹を! 友達を! 喰らう度に奴の体は大きくなっていって、見る見る内に傷は癒えていって! うぅ……」
敷物に、座布団代わりの毛皮に何度も両の拳を叩きつけて少年は慟哭していた。
それからしばらくテントの中はクライング・ドッグの嗚咽の声だけが響き、誰しもが自分の唾を飲み込む音にすら慌てる。
「……銃が効かねぇって、どうやって倒すんだよ、そんなバケモン!」
「さあなぁ……」
「さあなぁって……」
「勝てるから戦うではない。戦わねばならぬから戦うのだ。それが空と大地とマニトゥの恩寵によって生きてきた我らの宿命じゃ」
酋長ビッグ・ロングホーンの言葉にか、それとも少年の咽び泣く姿にか。先ほどまではそろって青ざめていた戦士たちも覚悟を決めたように頷いていく。
だが、それも一致団結して勝利を掴もうとする者の目ではなく、むしろ悲壮な決意に殉じようとする者の目であった。
ようするに彼ら揃ってクマのウェンディゴに勝てるとは思っていないのだ。
「そ、そういやよ。クマのウェンディゴが最強だって話があるなら前にもクマのウェンディゴが出た事があるんだろ? その時はどうやって倒したんだ?」
死を覚悟した集団のただ中にいる異様さに救いを求めるように運転手の男が声を上げる。
その声は半ば裏返り、何か、藁にでも救いを求めるようであった。
「ギチ・マニトゥ……」
「は?」
「“大いなる精霊”という意味じゃよ」
子供を諭すように、御伽噺を語るようにビッグ・ロングホーンが言葉を紡ぐ。
「なら、そいつはどうやって呼べるんだ!?」
「さあなぁ」
「伝承とか伝わってないのか!?」
「そもそも、そんな手段が存在するのかも分らんね」
「なら、そいつが来てくれるまで皆で逃げようぜ! 俺のトラックの荷台に乗ってってもいいし、何なら仲間を呼ぼうか?」
死を覚悟したマタギ族たちがまるで自分の仲間のように慌てふためいた様子の運転手の男に対して酋長は微かに微笑みながら首を横に振る。
「我らは逃げるわけにはいかん。ウェンディゴと化したモノはやがて白神の森の中心に位置する世界樹を目指す」
「それが……」
「世界樹は世界そのもの。ウェンディゴに世界樹を取り込まれれば世界が滅びるぞ?」
「なんてこった……」
銃も効かない文字通りのバケモノを相手に逃げる事もできずに彼らマタギ族はただ死ぬ事を承知で向かっていくしかないのだ。
それもギチ・マニトゥとかいうあやふやな存在が助けてくれるかもしれないという笑ってしまいたくなるほどに不確かな希望しか持てずに。
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