クリスマス特別編-5
赤髪の悪魔、ベリアルは美少年のようにも見える整った顔立ちで柔和な笑顔を浮かべていたが、どうしても隠し切れない剣呑なオーラが周囲に立ち込めていた。
「何って、引っ越しの挨拶さ!」
「引っ越し……?」
アスタロトはベリアルと敵対しているわけではない。
一見、彼女の言う「引っ越しの挨拶」という言葉にはどこもおかしな事などないように思える。
ただし、それもベリアルの周囲の悪魔たちの下卑た舌なめずりするような笑顔が無ければの話だ。
個体の識別も不可能な最下級悪魔を除けば、ベリアルの引き連れている配下は3柱。山羊のような下半身を持つ老人、乱齧歯を見せながらケタケタと笑う暗い表情の子供、溶岩を固めて人の形を取らせたような巨人。
いずれもアスタロトを嘲笑うかのような目を向けている。
「まあ、姉さんもそんなツンケンすんなよ! それともガキにいいようにされてケツに火でもついてんのかい?」
「なんだ、魔法少女の事も知ってるのか」
「ああ、早速、痛い目に遭わされたよ!」
「ああ、夕方に空でドンパチやってたのはお前らか……」
「アハハ! お恥ずかしい!」
ベリアルは8頭身の肢体をおどけるように動かし、顔の笑顔も崩す事はなかったが、ベリアルという悪魔の名は「悪」または「無価値」を意味し、その口から語られる事もまた同様に無価値である。
そのような者とツルむつもりはアスタロトにはなかったし、そもそも彼女は誰かとつるむような真似を好まなかった。
ここしばらく一緒にいる節子や、ついさっきサクラとシスターにお茶に誘われたのを受けたのは、それが彼女が「見返りを求めない善意」に弱かったからに他ならない。
「だからさ! 姉さんも私らと組まないかい? なんならプリティ☆ナントカいうガキを殺るまでの間でいい」
「アタイはパスしとくわ! まっ、お前らも精々、気を抜かないこったな!」
「…………へぇ……?」
ベリアルの細めた目が怪しく光ったが、アスタロトは無視し踵を返してその場を立ち去った。
詰まらない話を聞かされたせいか、さきほど温かかった体が妙に冷たく感じられる。
「チィッ! 飲み直すか……!」
木枯らしの吹きすさぶ12月の夜。
地面を這う度に蛇の下半身から体温が奪われていくが、アスタロトはねぐらの目前まで来ていたのに最寄りのコンビニに行く事にした。
何か強い酒でも呷らなければ眠れそうになかったのだ。
一方、アスタロトが立ち去った後もベリアルたちはその場にいた。
だがアスタロトに向けていた作り笑顔は消え去り、揃いも揃って残忍で獰猛な顔をしている。のっぺらぼうの最下級悪魔ですら纏うオーラで狂気に震えている事が分かるほどだ。
「大人しく私の下についておけばいいものを……」
「でも、大した事なさそうでしたよ?」
「そうさのう。ベリアル様はおいといて、我ら3柱でも囲んでしまえば何とかなりそうに見えましたが?」
「…………」
道端に忌々し気に唾を吐くベリアルに子供と老人が「何をあの雑魚に気兼ねする」とでも言いたげな声をあげる。巨人も無言ではあったが彼らの意見に賛同するように大きく頷いて見せた。
その様子に満足したのかベリアルは笑みを取り戻した。
「結構、結構! ま、義理は通したんだ。次に会った時、邪魔だったらやっちまっていいぜ?」
「本当?」
「ああ! よく『7大悪魔』な~んて言われてるがな、悪魔の数は『7』に足りない『6』だって言われてるんだ。『6大悪魔』になっても問題は無いだろ?」
「おや? アスタロトを廃して、ご自身が『7大』の座に座るおつもりかと思っていましたが?」
「アハハ! それもいいね!」
老人の言葉にベリアルは気でも触れたのかと配下たちが思うほどに大きな声で笑っていた。
何度も体をのけ反らせ、また逆に腹を抱えて笑った後、ベリアルは笑うのにも飽きたとでもいうように大きな溜め息をついて3柱の配下たちを見回した。
「フゥ~! そういや腹、空かない?」
「そうですなぁ……」
「お腹、空いた……」
「ハラペコ!」
老人や子供だけではなく、先ほどから無言を通してきた巨人までもが口を開く。
「OK! OK! んじゃ、とりま、今日は回転スシでも食いに行くか!?」
「ローリング・スシ?」
「んと、なんか味を付けた米の上に生の魚の切り身を乗せるという悪魔的な食べ物らしいぞ」
「え、いや、寿司については知っていますが、その寿司が回転しているってのはどういう事です?」
「さあ? 縦回転かな? 横回転かな?」
「日本人、食べ物で遊ぶなって親から教わらなかったのかしら?」
「良いじゃない? どの道、私らは悪魔なんだし……あ! 私らはあくまで悪魔なんだし!」
上手いジョークを決めてドヤ顔を見せるベリアルに老人と子供がツッコミを入れる。
「言い直してそんな勝ち誇った顔をされても……」
「日本語に慣れてないのに上手い事を言えたからって褒めて欲しいんですか?」
一方で巨人の方はどこが面白いのか分からずにポカンとした顔をしていた。
「はいはい! 私が悪かったよ! でも今日はスシでいいだろ?」
「ニク! ニク!」
「ん~、じゃあ明日は肉にしようか? お前も明日でいいか?」
「ワカッタ、ソノカワリ、デカイニク!」
「OK!」
一行はそうしてローリングスシなる悪魔の料理を求めて歩きだした。
一行は日本円など持ってはいないが、黄金で支払うか、それが受け入れられなくとも無銭飲食でも構わないと思っていたのだ。
「ところでベリアル様? 明日は肉ってお目当ての物でも?」
「おうよ! お前、東京の名物って知ってるか?」
「さあ……?」
「人間だよ! 地下鉄のスシ詰めとか渋谷の交差点でスクランブルエッグとか有名らしい」
「は? 電車の中に人間の寿司を詰めたりするのですか?」
「らしいよ?」
ベリアルの言葉に老人は怪訝な顔をするが、そもそもベリアルの口から出る言葉は悪意に満ちた物か、出鱈目かどちらかなのだ。
「でも、我々の活動の基盤が整わない内から、そんな大っぴらに人間を捕まえて食べたりしても大丈夫なのですか?」
「お前も少しは頭を使えよ! いなくなっても誰も気にしないような人間だっていくらでもいるだろ~」
「例えば?」
「そうだね~! ……孤児とか? どっか、その辺に孤児院でもあるんじゃない?」
老人は理解する。
ベリアルの言葉ではなく表情で。
ベリアルの表情は彼女の心を映すように邪悪な笑みで歪んでいた。




