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マスティアン星人、クゥエルの朝は早い。
朝の5時半には寝床から起きて身支度を済ませ、本堂の清掃を始めるのが日課だった。
境内については他の者が担当しているが、大抵はクゥエルの方が先に終わるので彼女は自分の割り当てが終わり次第、そちらを手伝う事になる。
H市の北外れに位置する浄土真宗寺院「念徳寺」で修行中の身である彼女だったが、実の所、修行というのは特に厳しい物ではない。
だが、それが逆に彼女の心を苦しめていた。
彼女が地球に来た時は大勢の仲間がいた。
だが彼女と共に地球に来た漆黒銀河連合のメンバーで生き残っているものは彼女の他にはいない。
ゲルティー、ロール、クーラン。クゥエルと合わせて四天王を名乗ってた者たちも同様だ。
果たして自分だけこうやって安穏とした日々を送っていていいのだろうかという思いがクゥエルにはあった。
その事について師であるZIZOUちゃんに思いを吐露してみても「いいですよ」という答えが返ってくるのだ。
なんでも「ウチの阿弥陀仏様は自分を信じる者は皆、救うってスタンスの仏様だから、南無阿弥陀仏、唱えときゃオールオッケーですよ!」だそうな。
それでは自分の犯した罪はどうなのか?
幸いにして彼女たち漆黒銀河連合の地球での作戦において死者は出ていないし、負傷者も軽傷者が数名といった程度だった。だが、それでも負傷者が出た事に違いは無いし、怪我を負った者でなくとも現場に居合わせた者の中には精神的なダメージを負った者もいるだろう。
クゥエル自身が作戦に出撃する事はなかったが、彼女の役割は会計補給その他の事務仕事だったのだ。いうならば漆黒銀河連合が地球で起こした事件の全てに彼女は関与していたと言っていい。
やはり自分は裁かれるべきではないだろうか?
その事についてもZIZOUちゃんは彼女を責めなかった。
「そりゃ貴女は悪人でしょうけど、阿弥陀様の目から見たら世の中、悪人しかいないのよね。でもたった10回でも自分を信じて念仏唱えた人はみ~んな救ってくれるって! 凄いですよね?」
そう言うZIZOUちゃんは別にクゥエルを突き放して言っているわけではない。彼女が修行している宗派は本当にそういう宗派なのだ。
それならばと夜中に一心不乱に憶えたての拙い念仏を唱え続けていた事もあった。
だが1時間もしない内に隣の部屋のZIZOUちゃんが彼女の自室に飛び込んできて「五月蠅い!」と怒鳴られてしまった。
なんでも念仏というのは修行でも善行でもなく、阿弥陀如来への感謝と恩に報いるための物だという。
「阿弥陀仏様が『よーし! 南無阿弥陀仏唱える奴、救っちゃるぞ~!』言ってるのに誰も念仏唱えてくれなかったらモチベ下がるじゃない? だからね。救ってくださる阿弥陀様への報恩謝徳のために念仏を唱えるの。
それが貴女みたいに隣の部屋で人が寝てるのに壊れたラジカセみたいにブツブツ言ってたら阿弥陀様も『なんだかな~……』って思っちゃうでしょ!?」
師の言葉で自身の行為が仲間への追善にも、罪への償いにもならないと知った彼女は余計に苦悶する羽目になった。
せめて仏教の教えを同胞たちにも伝えようと彼女が持つ特異な能力であるテレパシーで宇宙のはるか彼方にまで送信していたが、あまりにも距離がありすぎてテレパシー酔いを起こす始末だった。
ただ、その事が原因で宇宙でも希少種族であるマスティアン星人が地球にもいる事が銀河帝国にも知られ、テロリストに占拠された宇宙巡洋艦が地球に迫った際にはそれが役に立った。
その事で地球人に対して罪滅ぼしができた事は彼女の気を少しは楽にさせたが、そんな事は僧侶としての修行には何のプラスにもならなかった。
今日もクゥエルは本堂の清掃を終え、境内に出て寺院正面側を竹箒で掃き清めていく。
もう1人、すでに境内に出ているハズだったが姿は見えない。
念徳寺にはクゥエルの他にもう1人の修行僧がおり、その者が境内の清掃をしているハズだったのだが、境内には夕べの内に風で飛んできた落ち葉などがまだ散らかっていた。
その者もクゥエルと同じく日本人からすれば異邦人といっていい存在であり、中々にブッとんだ価値観をした者だった。
寺院の裏手側から地面に何か重い音を叩きつけるような鈍い音が聞こえる所からも、その者が掃除をサボって何かやらしているのは明らかだが、クゥエルはこれも修行と思い1人で黙々と枯れ葉を掃いていく。
「やあ! 朝っぱらから精が出ますな!」
「あっ、どうも、おはようございま……ッ!」
正門から入ってきた誰かに声を掛けられクゥエルは挨拶しながら振り向く。
彼女の額のクリスタル状物質が感知したのは意外な者だった。
「…………ベルサー星人……」
「はい。個体識別名をベル930と申します」
ゆっくりと日本仏教寺院特有の建屋と庭園を眺めながらゆっくりと近づいてくる異星人。
足音が2人分、聞こえてくるのは地球のゴリラのように拳を付いて歩くナックルウォークをしているためで、体表の細長い弾性金属で朝日を鈍く反射させながらも、興味深そうに何度も頷いている様子に剣呑な様子は見られない。鹿威しが音を立てた時など小さく体をビクつかせたほどだ。
だがベルサー星人の呑気な様子とは裏腹にクゥエルは背筋が震えあがる感覚を覚えていた。
この身長2mばかりのベルサー星人という種族は宇宙でも有数の格闘能力を誇る戦闘民族なのだ。
目の前の男は銃器やその他の武器などは一切、身に着けていない。だが、ベルサー星人にとってはその長い腕と弾性金属のボディーから発揮される怪力こそが頼るべき武器なのだった。
ベルサー星人がその気ならばヒューマノイド型のマスティアン星人の頭部などリンゴのように握りつぶす事など簡単な事であろう。
「元漆黒銀河連合四天王のクゥエルさんとお見受けします」
「……ええ」
竹ぼうきを持って身構えるクゥエルの事などまるで気にしていないようにベルサー星人は切り出した。
それは生まれついての強者ゆえの態度で、彼らにとっては相手の反応など気にする必要などないのだ。ただ自分の意思を伝えるだけでいい。そうやって彼らの種族は生きてきたのだ。
だが、それはクゥエルも同じだった。
ベルサー星人相手には脅えているしかないマスティアン星人も、地球人に対しては身体能力も技術力も比べ物にならないくらいに勝っていた。
そうして彼女たちは地球人を見くびり、漆黒銀河連合は壊滅したのだった。
かつての自分を見るかのようなベルサー星人の様子にクゥエルの表情に憐れみとも侮蔑ともつかないものがうつるが、もちろんベルサー星人はそんな些細な事になど気付く事はない。
「朝早くからすいません」
「はあ……」
「今日は貴女に良い知らせを持ってきました!」
「良い知らせ……?」
わざとらしくお道化たような仕草を見せる異星人にクゥエルは警戒を強める。
「ええ、貴女に仲間たちの仇を討つチャンスを差し上げたいのです!」
「……というと?」
「我々の組織『UN-DEAD』に参加して貴女の手腕を振るって欲しいのですよ!」
「お断りします」
クゥエルは即答していた。
自分でも気付かない内に声が出ていたのだ。
無論、ベルサー星人不興を買う事の意味は理解していたし、現にベルサー星人も一瞬で殺気を放って威圧するような声になっている。
「……理由をお聞きしても?」
「薬があるからと言って、わざわざ毒を飲む馬鹿はいないでしょう?」
「ワケが分かりませんね……」
長い腕を振り上げるベルサー星人をクゥエルは驚くほど冷静に感じる事ができた。
まるで先ほどまでおびえていたのが嘘のようだ。
つい1ヵ月ほど前は姿すら見せていない暗殺者に怯えていたのに、力に頼るベルサー星人の姿を見て感情が冷めてしまうほどに滑稽に思ってしまう。
(……まぁ、念仏、10回以上は唱えたし、師匠の言う通りなら大丈夫でしょ……)
普段はまるで頼りにならないファジーな宗教だと思っていたモノを思い出し、彼女の心は平静を取り戻していた。それが何だかおかしくて自然と口元に笑みが溢れる。
それが面白くないのがベルサー星人だ。
吹けば消し飛ぶような脆弱な生物が自分の振り上げた腕を前に笑っているなど、とても許せるものではなかった。
「も、もう少し、私にも分かり易く教えてくれませんかね!?」
「『悪人正機』といっても、だからといって悪い事をするのもねぇ……」
「ば、馬鹿にしやがって!」
「はいはい! どうせ私の極楽行きは決まってるんだから脅しても無駄よ!」
「ならば死ねッ!」
振り下ろされるベルサー星人の腕に対し、クゥエルは竹箒で防ごうともしなかった。




