26-1 1月その1
「あひゃひゃひゃ! やめ! や~め~て~よ~!」
南東北の地方都市、S市の駅前に子供の声が響き渡る。
東北地方でもっとも人口の多いS市の玄関口であるS駅の周囲には多数の商業施設が立ち並び、さらに血管のように張り巡らされた道路網を利用して人の行き来を担うためにバスステーションやタクシー乗り場、また時間制の有料駐車場などが並んでいる一画での事である。
声の主である子供がいたのはバス停脇の公園のようになっている場所だった。
児童公園のように遊具などがあるわけではないが、中央には大きな噴水があり幾つものベンチが設置され街路樹に囲まれている空間は旅に疲れた者にとっての憩いの場となっていたであろう。そういう意味での公園だった。中でも駅舎に近い場所に立つ大きな樅の木は、つい数週間前のクリスマスシーズンには様々なオーナメントで装飾され、また夜にはライトアップされて市民の目を楽しませていた。
「うひゃひゃ! 止めっ!」
子供の声は笑い声であるが、だが随分と苦しそうな声色だった。何やら何者かに哀願するような事を言っている。
その子供は噴水の脇で大男に転ばされ、組みつかれて両手で脇腹をリズミカルにくすぐられているのだ。
「もう悪い事しませんって約束するなら止めてやるぜ~!」
大男がいい笑顔で子供に話しかける。
この男の名は石動仁。
身長187cmと成人男性としては少し背が高い程度だが随分と筋肉質な男だった。
ボディビルダーのようにマッチョというわけではない。だが最近、流行りの「細マッチョ」という風でもない。全体的なシルエットこそスラリとしているのに首も二の腕も太腿も各部が筋肉で包まれていた体は、一般的な意味での「細マッチョ」ではなく、ボディビルを嗜む者が考える「細マッチョ」に近いだろう。
筋肉の圧力のせいか、見る者には大男だと感じさせるのだ。
そして仁にくすぐられている子供は石動誠。仁の実の弟だった。
彼ら石動兄弟は謎の組織ARCANAにより両親を殺害され、そして2人も拉致されてARCANAの尖兵たる改造人間へと肉体を作り変えられていたのだった。
だが、何故か仁には洗脳処置が効かず、改造プラントのあるアジトを破壊して脱走。それ以来、ARCANAの野望を打ち砕くため戦いの日々を送っていた。
その仁を殺害するために再改造手術を受けたのが弟の誠であった。
元々は要人暗殺のための改造人間として調整されていた誠であったが、兄の仁とは違い、身長152cmと小柄な子供の体内に必要な性能を出すための機械を配置するのは難しく、そのために完成に時間がかかっていた誠をARCANAは石動仁抹殺のための改造人間として作り変えていたのだった。
そして今日も前日の仁の活動の兆候を発見した誠がS駅前で戦いを挑んできたのだった。
だが誠は例えARCANAに洗脳されていたとしても仁の弟だった。少なくとも仁はそう思っていたし、誠は誠で活動が確認されて以降、執拗に仁の命を付け狙っていた。そのために誠による被害は少なく、こと人命に至っては被害はでていない。
仁が硬く冷たい1月のアスファルトの上で寝転がって誠の脇腹をくすぐっているのもそういう理由である。
実の弟を殴ったり、ましてや銃を向けたりする事など彼には出来なかった。
かといって殺しにかかってくる弟を無力化しなければならない。そのせめぎ合いの末に思いついた苦肉の策であった。
だが理由はともかく、真昼間から人通りの多い駅前の公園で大の大人が子供に組みついているのである。
「……も、もしもし! 警察ですか! 筋肉ムキムキマッチョマンの変態が……」
目撃者に通報されてしまうのも当たり前と言えよう。
「お! お姉さん! 誤解です! 誤解なんです!」
「ひぃっ! こっち見ないで変態!」
スマホで警察に通報している女性の他、待機中のタクシーの運転手たちも仁を白い目で見ていた。
どうやって誤解を解くべきかと思案している隙に、羽交い絞めにしていた誠がスルリと抜け出し、脱兎の如く逃げ出していった。
「うわぁ~ん! 兄さんの馬鹿~!」
誠はベンチを飛び越え、有料駐車場の方で向かっていく。
その数十秒後、駐車場から銀色の飛行物体が凄まじい加速で上空へと消えていった。
石動誠が兄の元から逃げ去ってから小1時間後。
日本の某所にあるARCANAのアジトの1つの中に誠の姿はあった。
薄暗い打ちっぱなしのコンクリートに覆われた廊下を誠は歩く。
曲がり角を曲がった所で何者かが誠を待っていた。
「……よお『死神』さんよ。首尾はどうだい?」
「君には関係の無い話だろう? 『戦車』」
「戦車」と呼ばれた男は壁にももたれ掛けさせていた背中を起こして誠に向き直る。
「関係無い……ね。それじゃ話を変えようか?」
「何?」
「お前、俺に何か言う事は?」
「無い」
それだけ言って誠は「戦車」の男を置いて歩いていってしまう。
「……ちょっ、おま、待てよ!」
慌てて「戦車」も誠の後を追って彼が入っていった部屋へ入る。
室内も薄暗いには違いがないが、廊下よりは明るく、また暖色系の間接照明を多用したシックな空間は落ち着いた空間と言えるかもしれなかった。無論、常人ならばこんな薄暗い室内にばかりいたら気が滅入ってしまうだろうが、この部屋を使う者にそんな心配はいらない。
ここはARCANAのアジト。
改造人間以外にこの休憩室を使う者などいないのだ。
先に室内に入った誠こと「死神」、追って室内に入った「戦車」の両名の他、室内にいた「教皇」、「女教皇」、「恋人」、そしてARCANAの首領たる「皇帝」の全員が改造人間である。
室内には10人は掛けられるであろう円形テーブルや壁面に大型モニターがある以外に調度品と呼べる物は少ない。
「あら? どうしたの? 戦ちゃん?」
「教皇」と並んで座っていた「女教皇」が「戦車」に声を掛ける。
「どーしたこーもねーよ! 『皇帝』! ま~た『死神』の坊主が俺の空中戦車を勝手に使いやがった!」
「そうなのか?」
「うん」
「皇帝」に聞かれると誠は悪びれもせずに素直に認めた。
誠が自席に座ると給仕ロボットが彼の好みの熱いカフェオレをマグカップに入れて持ってきた。
事も無げにしている「死神」に対して「皇帝」の勅諭が降る。
「『死神』よ。他人から物を借りたら礼の1つくらい言ったらどうだ」
「うん。貸してくれてありがとう」
「はい、どういたしまして! ……って、そうじゃね~だろ!?」
「戦車」は席に座る事もなく大声で喚き散らしていた。
「おかしいだろぉ! 俺のコードネーム『スカイチャリオット』なのに! 空中戦車を勝手に持ってかれたら! スカイでも! チャリオットでもないだろぉ!? アイデンティティ! 俺のアイデンティティだよ! あの空中戦車は!」
ARCANAの大アルカナと呼ばれるハイエンドシリーズの改造人間はそれぞれ単体での飛行能力を持つ。
だが「戦車」はオプションパーツである空中戦車を使用する事が前提の設計なので、単体での飛行能力は他の大アルカナに比べて劣るのだ。
「もう! 『戦車』ったら、休憩室でそんなカリカリしないの! お腹でも減ってるんじゃないの?」
奥のキッチンスペースで何やらしていた「恋人」が大皿を持ってくる。
「は~い! 今日のは自信作よ~」
「ん?」
「今回は結構、出汁にこだわってみたのよね~! 皆、知ってる? カツオ出汁ってただカツオ節を煮詰めればいいわけじゃないのよ? タイミング次第でアミノ酸濃度が上がったり下がったりするの。だからベストタイミングを見極めなきゃいけないのよ~」
美人には違いないだろうがメイド服だかボンテージ服だか分からない露出の多い服を着て、青系統の化粧品でメイクしているせいで人を寄せ付けない雰囲気を出している「恋人」であったが、意外と家庭的な所もあるのだ。
料理の説明をしながら包丁で切り分けていく。
「……待て」
「なあに?」
先程まで「死神」に対して喚き散らしていた「戦車」が待ったを掛ける。空中戦車の無断借用という過去の話をしている場合ではなくなっていた。
「その……、カツオ出汁の話をしているけどよ……」
「うん?」
「なんで大皿の上に乗ってるのはチーズケーキなんだよ……」
「恋人」が切り分けているのは確かにチーズケーキ。それも濃厚なチーズの風味で10年ほど前から人気のベイクドチーズケーキだった。
無論、ベイクドチーズケーキであろうが、昔ながらのスフレチーズケーキであろうがカツオ出汁を使うだなんて聞いた事が無い。少なくとも「戦車」にとっては。
いつも表情の変化に乏しい優男風の「教皇」も頬を引きつらせているあたり、彼も考えている事は同じであろう。
「何でって、そりゃ、そのカツオ出汁をチーズケーキに使ってるからよ~!」
「戦車」と「教皇」が恐れていた事が現実になってしまった。
もしかしたらチーズケーキ以外にも何かカツオ出汁を使った料理を作っている事を期待したのだが。
戦慄する2人だったが、「恋人」は気にせず室内のメンバーに笑顔を振りまく。ケバケバしい化粧を差し引いても美しい笑顔だった。




