Ⅵ ギイ・クラレンスの最後の挑戦
限られていても、人の行き来は情報の行き来を生む。
最近では、それぞれの世界は対の世界のニュースも貪欲に取り込み、新聞に掲載された情報は伝播される。
『クラレンス、買収によりシェアトップに』
昨夜、ホテルから出てきた女性にシエラが渡された新聞は一週間前の日付だった。僕がこちらの世界に来る直前に僕の会社の一つがした合併について取り上げているものだ。僕は思わず声をあげそうになったが、すんでのところで自制した。印刷が荒いのが幸いだった。契約書に署名する向こうの会社のトップと僕が写っている。
「……この子が私の【半身】なの」
シエラの人差し指は間違うことなく僕を断罪した。僕の母がシエラを探し出したように、シエラの側からも僕を探し出せることを失念していた。ましてやシエラの亡き父親は、迷信や験担ぎに細心の注意を払う船乗りだ。愛娘の【半身】についても当然調査していたのだろう。
「――何不自由なく暮らしているのが妬ましいわ」
大嫌いよ。
シエラは、振り絞るようにして、そう言った。
だから、僕は決して君に僕の本当の姿を明かさない。
僕は、紅茶の中に仕込んだ薬のせいで深く眠っているシエラに馬乗りになった。ひゅうと口笛をダナルが吹く。
「美少女が美少女に襲いかかる。官能的でいいですぞ!」
「しっ、確かに倒錯的な眺めですがお静かに」
外野は無視して、詰め襟のブラウスのボタンを外した。
鎖骨のちょうど上あたりで、禍々しい茨がシエラの細い首をぐるりと囲んでいる。
これが【茨鎖の錘】。
事前に記憶しておいた解呪の詞を唱えながら、名前通りの姿をした呪いに手を伸ばす。途端、シエラの肌に触れた一点から、まるで僕の人差し指に巻き取られるようにしゅるしゅると茨が絡みついた。
一呼吸をするよりも短い間の出来事だ。シエラの首周りの影はすっかり消え失せ、まるで何もなかったかのようだ。あっけなさすぎて目眩がしそうになる。
僕はそっとシエラから体を離した。衣服を整えてやろうとして、いまさら指が震えているのに気がついた。深呼吸をして、どうにかボタンをかけて、それからユミンの様子も見た。
少女達は二人とも健やかな寝息を立てている。同じく立ち上がったダナルから羊達2匹が詰め込まれた籠を手渡される。
朝はまだ遠いけれど、夜闇は確実に力を失いつつある。そんな時刻だ。遅くまで騒いでいたけれど、リンチン先生が咎めに来なかったのを、シエラもユミンも不思議に思わなかっただろうか。実は、あの陰険野郎がここに上がってくることは二度とない。僕が解雇したからだ。
この女学校は全部、僕が買い取った。そして、シエラの所有に移した。最初に購入したお向かいの邸宅もおまけにつけて。
あとはシエラの好きにしてくれればいい。オーナーとして経営を続けてもいいし、売り飛ばしてしまってもいい。ここに留まって教育を受けてもいいし、父親のように各国を渡り歩いてもいい。
とりあえず今は安らかに眠ってくれたらいい。
「行くぞ?」
一転、真面目な顔でダナルが言う。僕は黙って頷いて、人差し指を口に当てると、巻きついていた呪いを一気に飲み込んだ。カッと内臓が焼ける感覚がした。
そうして僕達、ベッカことギイ・クラレンスとダナルと二匹の羊こと執事のアルフレドとセバスチアンの四人はお茶会を辞した。