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Ⅴ 贖罪のお茶会

 狭い屋根裏部屋は一変していた。

 ドアを開いた瞬間、あたたかな空気が顔をなでた。携帯用の小さな暖炉にあかあかと火が燃えている。

 壁際にも、中央に置かれた低いテーブルの上にも、たくさんの蝋燭が灯っていて、部屋全体が明るい。寒々しい壁と天井はカラフルな布で隠され、薄紙で作った花で飾られている。カーテンがかけられた窓の傍には揺り椅子と小さいけれど本がぎっしり詰められた本棚。床にはふかふかのラグが敷かれ、そのうえに柔らかなクッションが、さあさあ座ってくださいといった体でいくつも転がっている。マットレスには羽毛布団が何枚も重ねられ、ぬくぬくと何時間でも眠れそうだ。

 何回でも言う。なにが素晴らしいって、とにかく暖かい。

 でかしたユミン。

 僕がシエラの様子を伺うと、シエラはただひたすら目を瞬いていた。

「お茶会へようこそぉー!」

 ユミンがにこにこと言いながら、僕たち二人を引っ張りこむ。

「な、ユミン、なに、これなに」

「シエラのお茶会だよぉ」

 ようやく言葉を思い出したようなシエラに、ユミンが魔法みたいでしょぉ? と笑った。

 テーブルの上には、白地に赤と金色のあざやかな模様のティーセットがきらめき、その間を埋めるように、プティフールやドライフルーツたっぷりのケーキ、色々な具材を挟んだサンドイッチに彩り豊かなサラダが並んでいる。

 シューッと暖炉の上にかけられたやかんが音を立てた。


 昨日、シエラと一緒に外出した。冬至祭用の買い物があまりに大量だったので、二人がかりで運ぶように命じられたのだ。

 一年の締めくくりとなる祭りを待ち望む都は、世界の表裏に関係なく一番の華やぎを見せていた。明るい建物の中でプレゼントやご馳走がところせましと飾られていた。

 もし僕が喋れないという設定でさえなければ、シエラに何が欲しいか質問しただろう。十頭立ての馬を繋いた金ぴかの馬車でも、両手に掬えないほどの真珠を散りばめたドレスでも、親指の爪くらいの宝石でも、僕の財力ならやすやすと用意できる。

 でも、シエラが欲しいものは、そんなものではない気がした。足を止めて、ホテルの入り口からハイティーを楽しむ人々に見入っている彼女を僕は眺めた。

 シエラも僕も同じような格好をしている。洗い晒しの詰め襟のブラウスと黒いワンピースの上からほつれかけたショールをしっかりと巻いている。でも、そんなもので寒さが防げるわけもなく、しんしんと冷気が身を締め付けていた。

「ごめんなさい、待たせてしまって」

 ぶるっと震えると、シエラがはっとして謝罪した。僕は自分の軟弱な体が情けなくなった。シエラがあとで思い残すことがないくらい、眺めに没頭させたままでいさせてやりたかった。

「小さい頃からずっと、冬至祭の頃はここでお祝いをしていたの。港までお父様を迎えに行って、船から下りてきたお父様とこのホテルでお茶を飲みながらお話ししてプレゼント交換をしたわ。とても楽しかった……また、出来ればどんなにいいか」

 するすると喋ってしまったことに驚いたようにシエラは両手で口を押さえた。僕は近づいて、そっとその冷えた手をとった。望みを言葉にしてしまった彼女が、そのことに傷つくのを見ていられなくて、目を伏せた。

 口が利けないことにしておいてよかったと思った。なんて言えばいいのかわからなかったから。それから、シエラが弱音を吐いたのも、僕ならそれを誰にも告げないという無意識の安心があったからかもしれなかったから。

 でも、あの言葉、それから立ち尽くしていた僕達にホテルから出てきた女性が渡した新聞の記事――ごみだから捨てておけということだったんだろうか? それとも氷雨に濡れはじめていた僕達の防寒用に使えということだったんだろうか? いずれにせよ、運命の悪戯だった――が、僕のすべきことを教えてくれたのだ。


 お茶会という名の宴はたけなわだった。

 あんなにあった食べ物も、もう少ししか残っていない。ダナルが、ボルダレスがよく弾くルディオンという竪琴で滑稽な歌を弾き語り、真っ赤な顔をしたユミンが爆笑しながら適当な合いの手を入れている。横を見るとシエラも笑っていた。

 シエラが笑って――いた。そして僕の視線に気がつくと、片手をラッパの形にして僕の耳に囁いた。

「ありがとう。あなたは不思議な人ね。喋れなくても、いつのまにか知り合いが増えている。私よりもずっと」

 君も、受け取ることをおぼえたら、もっと周りに人が集まるよ。

 高潔さは美徳だし、自尊心は大切だけれど、時として人を遠ざける。あまりにも『ちゃんと』しすぎていて、救いの手を取ることは甘えだとはねつけかねなくて、助けようとする人をためらわせてしまう。

 君は、もっと人に弱みを見せていい。もっと他人からいろいろと享受していい。

 上から目線ということは百も承知だけど、でもあまりにももったいない。君の良さをもっと知ってほしい。君に楽しい思いをしてほしい。君には与えられるだけの価値がある。

 そう思えるのも今だからこそだ。そのときの僕は、シエラの笑顔と言葉に動揺するばかりだった。

 急なことだったから、食器もご馳走も間に合わせだ。高級ホテルのハイティーとは比べものにもならない。それに、家族と過ごした記憶と、知り合って間もないうえに口を利いたことのない僕や初対面のダナルと過ごす時間なんて、勝負にすらならない。

 そう思っていたのに。

 ほわっと生まれた熱が胸から体の隅々に伝わっていく気がした。気がしただけではなく、シエラが僕にもたれかかってきたせいでもあった。意識を失った体がずるずると床に流れていくのをすんでのところで抱き止める。同じようにユミンを支えたダナルと目が合った。

「手荒ですな、ぼっちゃん」

「薬を使ったのですから手荒というより強引というべきでしょうぞ」

 ダナルの座っていたクッションの傍らから、飾り付けの一部のような顔をしていた黒羊アルフレドと白羊セバスチアンがぴょんと飛び出してきた。なんとでも言え、僕は手段を選ばない。

「ごめんね」

 【裏返しの世界】で過ごす最後の夜。ひさしぶりに口を開いたせいなのか、ひび割れた声で、僕はありとあらゆることに対して軽すぎる謝罪をした。

 でも、僕にとっては、こうするほか仕方がなかったのだ。



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