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現世の迷子

 いつまでも帰らない黒兵衛に向かって、善継は明るく瞳の明るさと同じくらい優しく話しかけた。



「お客さん、見せ物小屋は初めてでしょ」


「あ、ああ。そうだが」



 黒兵衛は居心地悪そうに、口をもごもごとさせた。

 あっけらかんと物言いができないあたり、江戸っ子というわけでもないようにも聞こえそうで、黒兵衛は嫌気がさした。

 きっぱりと物言いがどうして善継に向かってできないのだろう。

 だましているという後ろめたさだろうか。



 天幕にはもう黒兵衛と善継の二人。小屋の中はよく見ると、どこかの金なしがあけたのか、のぞき穴が開いている。

 教えると、助かったとばかりに、すぐさまに縫いつけて直す善継。



「だと思ったんですよ。普通、銭が投げつけられて怒る客は、そうはいない。寂しい世の中です。お客さん、現世の迷子だね」



 不思議な目の若造は、不思議なことを口にする。とうてい想像できないような言葉を、不思議な雰囲気で。不思議さも善継の魅力だろうか。


 現世の迷子。


 言われてから、はてと首を傾げる。善継の目をまっすぐと見ながら、黒兵衛は善継にどういうことだ、と問いかける。



「時流に取り残された哀れなのか、幸せなのか判らない連中のことですよ」


「時流に取り残されることが何でそんなふうになるんだよ」


 第一、まだ黒兵衛は時代に取り残されてない。世の中じゃ田舎小僧と呼ばれる時の人であるぞ、と黒兵衛は少々機嫌を損なって睨みつけた。

 だが、善継は睨みつけられると、一瞬びくっと驚いてから、嬉々として話を続けた。



「時流に取り残されれば、古きよき物が判って大事なものができる。これが幸せ。大事にしすぎて周りについていけなくて、わたわたとする。これが不幸せ。まぁ、俺が言ったのは、そのことじゃないんだけれどね」


「じゃあ、どういう意味だっつーんだよ。回りくどい野郎だな」



 話すことがいちいち説教くさい。だが、なかなか興味深い話をしてくれる。

 どんな物語でも、善継が喋れば、捻くれていてなかなか視点が面白い話になりそうだと、ふと黒兵衛は感じた。



「今の世の常識が判らない、ってところですかね。見せ物がどんな扱いをされようが、しょうがないのに、あなた様は怒った。しかも、俺にまで不機嫌さを隠さない、今。いやはや、いつまでも現世の迷子でいてくださいよ。俺はね、こうやって睨まれるのが嬉しいですよ。こんな目をしているもんだから、喧嘩相手がいない」


 善継は実に機嫌がよさそうであった。

 まるで、俺が盗みに成功したときのようだ――と黒兵衛は、善継をまたも不思議に思った。


 出会ったころから不思議な男だ。死に神が恩恵を与える男とは、こうも特別なのだろうか。


 これほど、「特別だ」と感じさせる人間と出会ったことがない。


 死に神が特別扱いしてしまうのも、今では頷ける。こいつは、大事にしてやらないと自分を乱暴に扱って、折角の諸々を台無しにする。

 人生でさえ、紙芝居になる。


「お前、人間か?」


 と質問したら、善継に爆笑されてしまったが、半ば本気の質問だった。

 どんな人間も、昔のかみさんでさえ、「特別な人」だとこれだけ思ったことはなかった。まるで釈迦の遣いと話しているような、不思議な感覚だった。


「興味があるなら、浅草の他の見せ物してるとこ、案内してあげましょうか。お客さんの目には勿体無いかもしれないけれど、見てて価値はあると思いますよ」


 不思議な人――善継はなぜか誘ってくれた。


「へぇ、それじゃあ、案内してもらおうじゃねぇの」



 黒兵衛にとっては痛い出費だ。だが、それ以外には仲良くなる方法が判らないので、お願いするしかなかった。



「春ってぇ同じく見せ物の女がいるんですけれど、そいつが曰く、見せ物は恥だと言うんですよ。だから、青い目はなるべく見せないようにしてるんです。余計なことに巻き込まれないように、って用心もあるんですが」



 善継は天幕の隅を掃除し終えると、目隠しをして、目隠しの布をつける理由をぺらぺらと勝手に語り出した。

 もしかしたら、黒兵衛がよっぽど間抜けな面をしていたのだろう。善継曰く、現世の迷子とやらの表情を。

 もしくは初対面だから、気遣ってくれてるのかは、黒兵衛には解らなかった。



「そんなもんして、見えるのか」


 黒兵衛の声は、どこか怪しい物を疑うような声に響いたのか、善継がにやにやとしてる。



「透けるような繊維の薄い布ですからね。それじゃ、効果がない。もしかしたら、知らない間に誰かは死んでいるかも」


 かっかっか、と豪傑に善継は笑いながら、天幕を出た。黒兵衛も善継に続く。


「最初に水芸? 小豆芸でも見ますか?」


 善継の声は、好奇心が混ざっていた。黒兵衛が何に興味を持つのか、楽しみのような期待している声と表情だ。

 興味があったのは、水芸。あれがいっそ酒であればいいのに、と思うほど繊細で見ていて華麗な芸風だ。

 水芸が見たいと告げると善継は実に機嫌が良さそうで、水芸を案内してくれた。同じ浅草内にある。見せ物小屋から三十歩ほど歩いた箇所にある。

 見せ物小屋のような天幕ではないが、人々に水の柔らかさを表情豊かに伝えてくれる。

 水が二つに割れたときは、黒兵衛もつい拍手をして、興奮のあまり大道芸だったので、額を多めに笊に投げ入れてしまった。



 他にも様々な芸をする者がいて、楽しかった。黒兵衛は気づけば、時刻も七つを過ぎていることに驚き、善継に礼を丁寧にした。



「あんがとよ。いいもんが見られた」


 あれだけ見せ物に金を払うのをケチっていた黒兵衛は、今や見せ物が大好きになっていた。

 もちろん酒や賭博ほどではないが、なぜか娯楽が増えたのだ。

 あんなにも嫌がっていた銭入れさえ、無抵抗になっていた。

 善継の案内の見事さも加えて魅力的だ、これだけ胸が弾んだのは、童心以来かもしれない。

 思いに気づいているようなにやにや笑みを善継がしていることすら、気にならない。



「いいえ。お客さん、やっぱり時代遅れだね。どの芸を見せても驚く。でも偶には、なんにでも驚く馬鹿な客がいるのも楽しい。また来てくださいよ。今度も俺を睨めたら、お代はとらないから。まぁ命があったら、ですけれどね」



 善継も嬉しそうに黒兵衛のはしゃぎぶりを見ていた。

 同じ芸人ならば、ここまで喜ばれるのは本望である。

 ここまで付き合うと、この口調すら楽しく思えるから気楽だ。

 また会う約束をしてから、黒兵衛は閃いた。



(ああ、回避するには、人ごみの中に紛れればいいのか)



 不思議と青い目には、嫌悪感は宿らなかった。ぼんやりと閃いたが、必要のないことだなと黒兵衛は考えを却下して、長屋で徳利に口つけて飲んで昼まで寝た。



第一章はこれでお終いです。次は第二章ですね。

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