賭け事の始まり
「そんなことしなくても、この蝋燭を、ゆらりと揺らせばいいのさ」
風が強く吹いて、女が取り出した小田原提灯の中の灯火が揺れる。
蝋燭がゆうらりと揺れた時、確かに死の瀬戸際を見た。呼吸もできなくなり、視界も真っ暗になった。
女しか暗闇にはいない。先ほどと同じかと思えば、ココには屋根の瓦の冷たさが、全くない。
自分が誰なのか、暗闇の中で考えた。考えることで自分を生かそうと、田舎小僧は必死だった。
何か思考が巡っていれば生きてる証のような気がして。手足はびくともしない。
考えるという行為は不思議だ。意識して考えると、なかなか答に当たらない。田舎小僧も、生きているという答に当たらず、生命と死をうろつき、思考ができなくなったときに死を感じた。
暗闇は、種類が違う、人々が見慣れた夜という物に戻る。瓦の冷たさも頬に当たり、田舎小僧は倒れていたことを初めて意識する。
月明かりが綺麗で、暗闇というより、宵の濃い紺という色味である空。
田舎小僧は、ぜぃぜぃと呼吸をしながら、女を睨み付けた。
「死に神っつうのは信じるから、そいつをしまってくれ」
あんな黒い世界を見てしまっては、信じるほか、何が残されているだろうか。
田舎小僧は、真剣に頼んだ。少し怯えてもおかしくはないのだが、女相手には強気に出られた。
体を起こして、まだ大名が盗みに気づいていないか、確認してから話す程度の余裕を持った。
女の見かけが、田舎小僧より若いのもあるかもしれぬ。女はころころと風で回る風鈴のように綺麗な声で笑った。
ちりーん、ちりーん。
「おや、信じてくれたんだね、話の分かる坊やは好きだよ。最近の奴ときたら、こいつで試しても信じてくれないからねぇ、嬉しいもんだよ」
「知ったことか。んで、死に神様が俺に、何の用だ。殺しにでも来たか」
すっかり不機嫌に田舎小僧はなった。死に神はその姿に満足げだ。
「言っただろう。殺すつもりなら、あんたとっくに死んでるって。今さ、人を捜しているんだ。この死に神様と賭け事ができる度胸がある奴をね」
死に神は、くくっと喉奥を震わせ、胸を張った。表情は、狙った獲物を逃さない猫のようである。
女――死に神の言葉は、一瞬、理解できなかった。とはいえ、そこは変なところだけ頭の回転が速い田舎小僧は、挙手する。
命を取るつもりが一切ないならば、死に神と賭けなど、楽しそうで何よりだ。
金が楽して貰えるなら越したことはない。
相手は死に神とはいえ、賭け事が田舎小僧は大好きで、その所為で毎度毎度、生活費に困る程だった。博打打ちの性分だったのだろう。
田舎小僧が勢いよく挙手するのを見れば、死に神は女にしては豪快な笑い声を上げて「よしよし」と頷いた。
「今、小屋掛けしてる浅草の見せ物小屋には、行ったことあるかい? あそこにね、青い目の呪い子がいるんだよ」
「青い目? 変わってるな」
このご時世で、青い目を持つ者は珍しい。日本人でないということになるからだ。外国人の姿すら珍しく、中には鬼と呼ばれる者もいる。
死に神は、苦笑して話を続けた。
「そいつは、見せ物にされて生きているんだがね、昨今は化け物屋敷作りに夢中になってしまってさぁ」
「化け物屋敷? 何だ、そりゃ? 化け物の巣窟か?」
武蔵国は足立郡からぽっと出の田舎者故に、田舎小僧は化け物屋敷を知らなかった。江戸の常識についていけぬ田舎小僧に対し、死に神は呆れる。
「偽物の化け物の巣窟さ。まぁ、行ってみれば判るよ。そいつの名前は、善継。善継を化け物屋敷作りから離れさせることができたら、富でも寿命でも、くれてやろうじゃあないの!」
「……――よしつぐ、か。どういう字だ、名前は?」
「善を継ぐ。良い名前だろう。顔もちょいと可愛くてね、自慢の仲間さ」
死に神の声が弾んだように聞こえた。綺麗な死に神の容姿を自慢するように、善継とやらを誇らしげにしていた。
「仲間? おい、そいつも死に神なんじゃねぇだろうな?」
「あー、そこらへんは、追々判るさ。善継に睨まれるような真似だきゃ、しないほうがいいとだけ言っておく」
「……――追々、な。そう追々ってのが、いっつも厄介なんだよなぁ。追々っつー言葉は実際、便利なもんよ。今は説明しなくとも、後で『説明しただろ』って言えるもんなぁ。考えてみれば、死に神が人間に肩入れするのもおかしいな。何だ、善継って野郎は、思い人か」
田舎小僧の声に、死に神が死に神自身を侮辱されたと感じたのか死に神の表情は、薄暗い炎のように陰湿だ。美人そうな顔は、怖くても美しいと思わせる。
怪談では女は大体お化けにされるが、こんな美しいお化けは存在しない、死に神という名は蝋燭の所為だけじゃなく、心に納得をさせる。
「……善継本人にも言えないことを言えるわけないだろう。思い人ではないとだけ告げておくよ。そいじゃ、頼んだよ。期限はきっちりつけないでおくよ、人間の一生は短いからね、賭け事だけに費やすには、ちぃとばかり勿体ない」
賭け事の所為で生活が困窮してる自分への皮肉か、と田舎小僧は、つまらない思いをした。
が、じゃあ、とすぐさま帰ることにした。長居してイイコトは、今まで特にあった記憶はない。
「じゃあな」
「あ、待った。何を賭けにするんだい? 金か? 命か?」
田舎小僧は一瞬、ちらっと考え込んだ。が、すぐに場を離れた。
答は――決めてない、だ。
時刻は九つ。辺りからは大名屋敷からのざわめき、眠る町民を起こすけれども、小さな騒ぎ。
騒ぎは、きっと上の者には報告されないだろう。大名にとって、泥棒に入られたことは恥だからだ。
夜に犬の遠吠えが響く。
空は平等に誰にでも次の日を与えてくれる。