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大河に憧れる

 馬鹿なことに、黒兵衛は一橋邸へと、また向かったのだ。一橋卿に会いたかったみたいで。



 やっぱり立派な柱に、綺麗な木目の縁側。何より落ち着くのが、石庭。


 今日は、まるで引っ越ししたかのように、全く違う文様なものになっている。

 せせらぎは聞こえない。水は流れてないが、風による木の葉の擦れる音がまるでせせらぎで落ち着く。


 夜だというのに、石が白さのあまり発光しているかのようだ。諸処に植えてある木は、松と、柳。それから梅。


 春には、紅く咲く梅が石庭を益々美しいものにしてくれる。屋敷はでかく、二万坪近くもあって、入り込んだ先は以前の縁側。一面、石の海だ。二千坪はあるんじゃないだろうか。横長にだけど。


 石庭とは水の流れを現した物や、地図を意味するものだった。黒兵衛には横幅三町弱、縦幅三間三尺の大河を忍び足で歩いて渡らなければならない使命ができた。


 泥棒しに来たわけではない。泥棒ならば、黒兵衛の顔には煤や、覆面代わりの手拭いがあっただろう。


 朝、目が覚めて、この石庭を目にしたなら、きっと気持ちが良い。静かな落ち着きをもたらす、流れで渦巻きや、島を現す岩がある。


 梅の木や、隅の柳たちも夜は静かに彩ってくれている、華やかに! とはいかないが、凛と。石庭と屋敷までの間を、きょろきょろと見回した。


 柳は枝振りが長くて、葉の重みに枝が垂れ下がっている。

 背丈は人間よりもっとずっと高い三丈だろう、何せ、あと一間で塀にまで辿り着く。黒兵衛は両手に何も持ってはいない。


 否、乗り込むための道具は持ってきたが、それだけだ。泥棒をしていたときも、それだけだった。


 一橋卿との距離は、何間もある。その間には石庭がただあるだけだ。

 邪魔をするものは何もない。人も、自然物も。



 ちょうど一橋卿がいて、黒兵衛と目が合った。

 縄梯子を下ろして、黒兵衛は石を踏む。石庭が乱れ、河が氾濫だ。明日には元通る、大氾濫。砂利は乱され、魚のいない河は、どんどん壊れていく。


 だが、それでも揺るぎない大河。ちょっと歩いて乱しただけでは、後で直させればすぐにも河の治安は戻る。

 広い大河は、縁側まで遠いが、人を見つけるのは早い黒兵衛だ。あと十五尺。人のほうに向かっている。それまでは、小さな氾濫を起こして歩く。

 砂利は、がじゃがじゃと鳴り、人が来たと向こうの縁側にいる一橋卿が気付いていなくても、音で気付くだろう。


 まっすぐと左斜めに進み、その度に、がじゃがじゃと、おはじきのように鳴る。月明かりに浮かぶ黒兵衛は、町人であった。

 どうせ掃除されるだろう石庭のでかい二平方メートルの部分だけを踏んで、縁側に座る。謂わば大陸や島の部分だ。



「落ち着け」


 一橋卿も苦笑して、石庭の芸術を理解してるのが嬉しげだった。

 改めて座って眺めると、石庭に垣根、塀に、夜空。昼ならばお天道様。何とも贅沢な光景である。


 後ろを振り返れば、寝所。寝所をまともに見ようとして見たことがない黒兵衛には寝所だということは判らず、ただ文机に気付くだけだった。

 この石庭が黒兵衛の覚悟を決めているかのように見えるのは、心の何処かで誰かに認めて貰いたいからだろう。今の決心を。心の何処かで捌け口を捜している。


 いつか昔、この柱や木目のような家を造ってみたいと、可愛い思いも一応あることはあった。

 黒兵衛にはできないと判ったのは、やんちゃな年頃を過ぎてから。


 一般市民の家というか、そもそも長屋しか見たことがないので、ここまで材木が立派だと、大工冥利に尽きるだろう。

 ふと、そんな思いが過ぎる。

 もしも自分がまともに働いていたら、大工がよかった、という気持ちがあるから。


 材木は、立派な巨大な杉も使っていて、やはり大金持ちと思わせる。それと同時に明かりの点いてない暗さが、住んでる人間のケチっぽさを見せている。

 実際はケチではなく、一橋卿が明かりを余り好まないからなのだが。黒兵衛にも誰にも知られない情報。

 月明かりを見て、月光浴をするのが、一橋卿は好きなのだ。

 今宵は良い月。どんな形でも月は月。欠けても満ちても人を金箔より薄いヒカリの安らぎで照らす。

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