化け物の虜
天幕の隅で、頭を振ったり、乱暴に苛ついて、ばんっと他の芸の宣伝板を置いた。
天井は高い。少なくとも春の背よりは、かなり上だ。一瞬ぐらりと揺れて、大きな天幕だったのに、春の力一つで揺れるほど脆い天幕だ。
善継の青い瞳が、面白い物でも見つけたように、春の元へ向かう。
宣伝板は古い物だし、砂がとても細かいからか、ばふっと、砂嵐が少しだけ、室内で舞い上がった。
天幕の中は、徐々に涼しくなりつつはあるとはいえ、厚い布でできているから、風は通さない。熱い暑い日には憎たらしくなる天幕だ。
黄ばんだ白みがどれほど長い間、共に暮らしてきていたか、想像できる。
風通しを良くすると、それはそれで大問題だから、誰かに文句を言おうとしても、できない。
「何を、俺に内緒で、賭けていたんです?」
今は、これから飯でも食おうか、という掃除や片付けが終わった後で、黒兵衛は既にいない。二人が飯を食う時間を知っているから、春から逃げたのだ。
善継は完全に、賭けというものに興味を奪われている。片付けがお座なりになっているのが、いい証拠。大事な昔の絡繰りでさえ、乱暴に。
「聞かないほうがいいよ」
春の声は、単調だった。表情も無表情で淡々としていた。
「またぞろ、碌でもない賭けですか」
好奇心がちらりと顔を見せているような、表情と声。
善継は黒兵衛のことを碌でもないと口にする。だが、実際のところ、碌でもないと思ってる箇所は少ないだろうと、春は予測した。
いつもなら善継は他人に興味を持たないのに、黒兵衛に関してだけは話が別だ。
黒兵衛を碌でもない、碌でもないと言いつつ、きちんと構っている。馬鹿にした扱いは他の人と比べると、それほどではない。
「黒さんは、しかして本当に碌でもないけど、後妻ができれば、まともに働くのでしょうかね。それなら誰か紹介したいなぁ。それで、どんな賭け?」
見合いを言い出すくらいだから、善継なりに気になってるのだろう。後妻がいない孤独さを。
善継自身、孤独の味を知っているだろうから。もし春がいなかったら、この一座でも、いることができたかどうか。
母親として、少し悔しい気持ちだ。寂しさを補ったのが黒兵衛だ、というのは。情けなくも、悲しくもある。
春から見ても、善継は黒兵衛を気に入って遊んでいると見た。
「碌でもない賭けさ。もし、あたしが勝ったから、あんたにもお裾分けして、奢ってあげるよ」
「ふふ、それは嬉しいですね。安くても、高くてもいいから、美味しい物にしてくださいね」
蕎麦はこの時代、そば切りでないのは珍しい。大体が、小麦粉と混ぜて誤魔化しているのに。
だが、それでも米に比べたら安いものでもある。それ程の物をご馳走と呼ぶのだから、普段の二人がどれだけ貧しい思いで貧しい物を食べてるか、判るというものだ。
今回の化け物屋敷は珍しく羽振りが良いので、善継たちにも、ほんのちょっぴりあぶく銭ができた。
そのあぶく銭を使ってでも、勝った勝負とは何だろうと、善継は思わないのだろうか。店ではなく、屋台の蕎麦屋で善継達は蕎麦を食べることにした。
「善継は何に使うんだい?」
興味深そうに春は尋ねた。目はどこか明るみを帯びていたかもしれない、善継がやや笑いながら答えようとしているから。
「そうですね、何か一つ化け物屋敷に付け足したいので、その費用に」
善継は次は何にしようと呟き、早速考え込んでいる。春はとうてい離れられない化け物屋敷への思いに呆れた。
美味しい物は中々、この身分では食べにくい。大体が固い餅か、芋だ。蕎麦ですら自分らには、ご馳走だ。善継の大好きなご馳走は、蕎麦掻きだ。あの、もちもちとした食感が堪らない。
江戸っ子の蕎麦の食べ方は、先っちょだけを汁に浸けて飲み込むように食べるのだが、喉が細い善継は、うまく食べられない。噛みながら食べるので、見ていて喉が詰まらないか、かなり心配になる。
蕎麦湯の時に詰まるから、呑むなと言うのに、呑むのだ、善継は。決まって咽せるのに、それでも汁を味わいたいらしい。
だからか、蕎麦も折角こうして来たというのに、蕎麦掻き一つだ。
春は育ち盛りの善継を心配するが、善継の腹は滅多に鳴らない。流石に食べ物の匂いを目の前にされたら、飛びつきたくなるが、普段から霞を食って生きているようなほどの浮き世人だ。
春はお裾分けした蕎麦を食べる善継を見て、益々賭けに、怒りではなく、悲しみを覚えていく。
――もっとお前は自由なんだよ、と言えたらいいのに。
気まずさは蕎麦と共に飲んじまえ。屋台だから、夜が近いのが判る。死に神である自分の仕事の時間が、近い。春は、一橋邸の方角を見やり、黒い鴉が大勢橙を横切って何だか不吉な予感がした。
どうしてだろう。
不安が過ぎる、賭に負けたと黒兵衛が伝言を残し消えたからか?
それならば探せばいいのだが、黒兵衛とは繋がりが夜にしかないから、探せない。
何より一座をどうにも誤魔化せないのだ、特に聡い善継は。




