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あと一歩だった

 次の日。春と善継は、座長に天幕の片付けを頼まれたので、店じまいの仕事をしながら、適当に話していた。



 いつも片付けは、善継たちに任せられる――というのも、二人が一番の綺麗好きだからだ。

 善継はともかく、春は潔癖性かもしれないというほど、整頓されてないと苛々しだす節がある。

 苛々した春を宥められるのは善継だけだし、また善継も上手に片付けできるから、選ばれた可哀相な役目なのだ。



 そろそろ別の出し物の季節とあって、湿気りやすい物を仕舞っていると、善継が春に「そういえば」と、ふと思い出したように天幕の中で伝言を告げた。


 負け。負けと聞けば普通はうんざりとするものだ。


 だが、黒兵衛は何処か勇ましく、漢らしかったのだ。元大工だとか、火消しだのいわれても、頷けるくらいの潔さで、「負けた」と言ってきた。

 負けといえば連想されるのは、勝ち。勝った者には何が与えられるのか。何より、何を賭けていたのか。善継は不思議に思う。



 善継は春のうんざりとした、けれど、もの悲しい顔を見ることとなる。まるで勝敗の決まっている博打に、発表の仕方を失敗した表情だ。


 口調が徐々に善継の速さが落ちていく。できれば早く喋って、さっさと片付けに移りたい。

 春はどんどん機嫌が悪くなるどころか、苛つきじゃない機嫌の悪さを目の当たりにしている。

 ずーんと空気は、人の葬式より重くなるばかりだ。善継も一応、捻くれだが、常人だ。普通に先を話すのが怖くなるに決まっている。


 内心では、こっそり逃げ出しておいて、黒兵衛に「なんてことをしていたんだ」と問いつめたい気分であった。


 春は甲高い声で、強気に、否不機嫌に文句を善継に罵ろうとしていた。二人は天幕内で移動したり、捨てたり、箒で埃を叩いたりしている。



「はぁ、賭けは負けだって? あの馬鹿……」


 二人は住むほうではなく、道具や看板や絡繰りをしまう天幕の中を、ある程度まで持ち運びにしやすいように纏めていた。

 この道具や看板は、前々回で好評だったもの。確か狐と狸についてを議題に、化け物屋敷として作られた品々もあるはずだ。



 看板は一向に昔から変わらない。色褪せたら色を付け足されて塗り重ねられる「呪いの目」の看板。

 幼い頃から善継がどんな生き方をしてきたか、看板と、春だけは答えられそうな気もしないでもない。

 そんなに大事な品を春が、乱暴に纏めていたのだ。これは機嫌が悪いどころじゃない。相当に、腹を立てている。

 掃除していた春は、一気に片付けていた物を壊したくなった。持っている箒をぶん投げてやりたい! と、まで思わせた。

 箒といえば、南蛮童話の魔女を思い出す。魔女を取り扱った品を演目したのも、この見せ物小屋が初めてかもしれない。何せ本物の魔女でもあるからだ、春は。



 あれこれアドバイスをあれだけしたのも大昔だが、初めて善継に理解者ができた瞬間だったかもしれない。

 春は茫然としながら、乱暴に宣伝板を置いた。どすんと鳴った音に、善継が驚いて綺麗な青い目を此方に向けた。

 不思議な色合いのまま、「何が起きてるの?」と瞳が尋ねている。

 宣伝には「ご注意! 呪いの眼、公開!」と絵も足して書いてあった。絵のほうは、字が読めない人用だろう。その看板の呪いの目まで、春を見ているような感覚。

 ただ単に青色の瞳が描かれていて、それが不気味に見える。


 善継は茶色が色あせた着物と呼べるような物かどうか判らない布きれを着ていて、表情は子供のように何が起こるのか待っている。「いい子だから、待っていてね」と言われた子供のように。

 子供の目が青く光る。青い瞳は美しく、睨まれたら、さぞ怖いだろう。



 辺りは、天幕の荷物だらけで、面子の商売道具――他の奴のものだ。人魚に見せるために綺麗な袋の中に足を入れるのだ――の埃を払ったり、善継の以前の作品を片付けたりしている。

 手に取れば、すぐに「あの頃だ」と思い出せる品々ばかりで、また、その品々を捨ててきたのも事実だ。真似する見せ物小屋がいるからだ。

 どれだけ見せ物小屋を真似されたって、善継よりも上手の化け物屋敷を作る者は善継の生きていく中で、現れたりはしなかった。結局は「ああ、あの化け物屋敷の物真似ね」で客足が遠のく、他の化け物屋敷を真似した見せ物小屋は。

 今までの思い出だらけだ。あのクルミの目玉の余りもここにある。仲間全員でクルミを磨いて、目を塗ったのだっけ、と思い出し、春は目玉を放り投げた。狭い天幕内で弧を描いて善継の手に落ちる目玉クルミ。こんな発想はありふれているのだろうか?

 火事も最初は同僚かとも疑ったこともあった。


 青い青い水槽のような瞳が、ちかちかと光っている。呪われはしないだろうけれど、春には呪いよりも辛い視線だ。気まずさに明かりを求めた。


 薄暗いので、昼行灯を点けてみた。そうすれば掃除はよりしやすく、ただ、ゆらめく蒼の昼行灯は、水の中を漂っているようであった。春自身も、まるで何かの時代の流れに漂ってる感覚を味わった。



 黒兵衛について「何かをして、何かを失う」予感がしていた。だから、黒兵衛が作り出す時代の流れに身を任すのは、どうにも癪だった。

 だって、この失う予感には、善継も混ざっているからだ。


 薄暗い蒼がゆらゆら揺れる天幕内。行灯の可愛らしい金魚と水草はくるくると周り、風もないのに、揺れている。

 金魚や水草が大きくなり、春や善継を食べる大きさで、至極ゆったりと回っている。基本的に青を使われているから、青色に照らされてる。


 春は、青い虚空を見つめ、青きヒカリに照らされ善継の目の中にいる感覚を持つ。持ちながら、今にも黒兵衛を殴りつけてやりたい気持ちであった。

 どろどろとお粥のように煮付ける、この泡は、いったいなんだろうか。黒兵衛は死に神を敵に回しているのか。


 賭けのことを言うわ、賭けごとを放棄するわで、怒り心頭だ。

 人間のことは、これだから、よく判らない。最初は乗り気だった癖に、何故、今更こうも、意気地無しになるのだろう。


 黒兵衛ならば、化け物屋敷から善継を引っぺがす気がしたのに。黒兵衛が、もっと善継から信頼を得てから何かしら吹聴すれば、きっと善継は離れてくれただろうに。

 惜しいところまで行った、化け物屋敷から引き剥がせそうな逸材だった、と春は悔しく思う。


 本当に、あと一歩、たかが一歩で、春も善継も楽になれたのだ!


 善継の才能を、たかが見せ物小屋なんかで止めておくなんて、貴重な薬を河に流したような勿体なさ!


 そうだ、人は脆いんだ。河に流されれば、あっさり消えて、一生それっきり出番はなくなる。効果もなくなる。


 もっと善継には、他の才能を見つけて欲しい。楽な暮らしができるものを。浮世絵でもいいじゃないか、それなのに、どうして化け物小屋なんだ!



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