暇な二人
お金がたくさんあって羨ましい。将来安定でずるい。
そんなことを言う人がいるけれど、資産家の娘にも苦労はある。
例えば、何を気にしているのか分からないが、同等な立場であるにもかかわらず、同級生のほとんどが変に気を遣ってくること。しかも、下手をすれば上級生すら同じ態度である。そうした中でやっとできた友人を家に招待しようものなら、萎縮させてしまって以前の関係に逆戻りなのだ。家の規模や使用人がいるという事実に、うわぁ、となるらしい。つまるところ、対等な関係が非常に作りにくいのである。
また、そもそも前述のような妬み嫉みを言われること自体が精神衛生上よろしくないというのもある。
まぁ、金持ちが必ず大きな家を持っていたり使用人を雇っていたりするわけではないだろうし、人から距離を置かれるのは私の性格にも一因があって、『資産家令嬢=友達が作りにくい』ではないのかもしれない。しかし少なくとも、資産が多いだけで人生を楽に生きられるということはない。それを分かってほしい。
むしろ資産が多いから困ることもある。
「お嬢様。暇なのでお嬢様で遊びたいと思ったのですが、何かありませんか」
「今私がするとしたら説教しかないわよバカ」
このふざけた使用人の相手をすることとか。こんな苦労があるのは私だけだとは思うけれど、お金が無かったら使用人なんて雇わないし、『資産が多いから困ること』でも大きく間違ってはいないだろう。
ふぅ、と一呼吸。
いやいや待て待て。あまりにもふざけた台詞に聞こえたのでついバカなんて言ってしまったが、落ち着こう。一文字違いなのだから、聞き違えもあり得る。何の落ち度も無い人間に、バカ呼ばわりなんて酷いことをするべきではない。
「旗野、もう一度聞いても良い? 今、私“と”遊ぶって、言ったのよね?」
私が旗野と呼んだメイドは少し首を傾げて、乏しいながらも不思議そうな顔を作った。
「いえ、お嬢様“で”遊びたいのですが……」
「正直なのが必ずしも良いこととは限らないのよ旗野」
残念ながら、私の耳は正常であったらしい。このメイドもまぁよくもそんな表情ができたものである。
表情が大きく変わるでもなく、喋り方もあまり抑揚を感じさせない旗野は、一見無口そうに見える。昔のことなので覚えていないが、きっと私が初めて彼女に会った時もそういう印象を持ったに違いない。
しかし蓋を開けてみればこの有様。いることもいらないことも関係なく、喋る、喋る。ちょっと黙れ、と思うほど饒舌だった。人は見かけによらないとはよく言うけれど、旗野は見かけを裏切り過ぎではないかと思う。
「そもそも、よ。貴女、勤務中でしょう? 暇って何よ」
我が家の使用人に対する給与は少なくない。中流の会社員などよりよほど貰っているだろう。そして、高い給与であるからには、それ相応の仕事があるはずである。
しかし、
「今日するべき仕事は全て終わってしまいましたので」
無駄に能力の高いメイドだった。現在、午後一時過ぎ。一体どんな密度で仕事をこなしているのだろうか。大きな家なので、掃除などは何人かで手分けをしても相当な労働量だと思うのだが。
私の疑問を余所に、旗野は手をひらひらと振って言った。
「わたくしの仕事のことなどはどうでもいいのですよ。今、問題なのは如何にしてお嬢様で遊ぶのかということでして」
「まず人で遊ぶっていう頭のおかしい思考に疑問を持ってほしいものだけれど」
人は人で遊ぶものではない。人は人に遊ばれるものではない。こういう当たり前のことが、目の前のメイドからは欠落しているようである。
「私ならいくら暇でもそんな発想にはならないわ」
実際、私もすることが無くて暇潰しを探していたところだったけれど、誰かで遊ぶなんて考えもしなかった。せいぜいベッドに座って枕をいじりながら『誰か来たら話し相手になってくれないかな』と思うくらいである。
その結果が旗野の来訪で、内容はともかく話し相手にもなってはいるけれど、それを良かったと思えるかと言えば、そうじゃない。こんな、引いたら最後、何をされるのか分からないような緊張感が伴う話をしたいのではないのだ。もっと落ち着いて、とりとめもないことを話せる相手がほしい。
「お嬢様も暇ですか」
今までのやりとりの中から何を判断基準に察したのか分からなかったが、事実なので「ええ」とだけ答えた。
「であれば、ちょうど良いのでは?」
「……理由を聞かせてもらえる?」
「わたくしはお嬢様で遊ぶことができる。お嬢様は暇を潰すことができる。一挙両得ではないですか」
そんな馬鹿な。
「私は得しないわ。遊ばれて嬉しいわけがないでしょ」
「Mなら嬉しいのでは?」
「知らないわよそんなこと」
少なくとも私はMじゃないので、Mが遊ばれることを喜ぼうと喜ぶまいと関係なく、嬉しくない。旗野の理論に私は当てはまらない。というかこのメイド、私をMだと思っていたのだろうか。甚だ心外である。
さて、しかしどうしたことだろう。旗野がなかなか引き下がらない。私で遊ぶというのは、てっきり冗談かと思っていたのだが、案外本気で言っているのか。
そもそも、私で遊ぶとは一体どういうことなのか。具体的には何をするつもりなのだろう。あぁ、でも具体的な遊びの内容は旗野自身も決めてはいないのだっけ。いや、具体的でなくても良いか。なんとなくでもイメージが分かれば、それで十分である。
「旗野。貴女の言う遊びって、……えぇと、何て言うんでしょうね、系統?――はどういうものなの?」
「おや、わたくしに遊ばれていただけますか」
「いえ、そんな気は微塵も無いわ」
どのみち付き合ってあげるようなことは無いのだけれど、好奇心というものである。
「系統ですか。ふむ……」
旗野はしばらく顎に指を当てて考える素振りをした。そして、そうですね、と一呼吸置いて、
「例えば、お嬢様にしつこく『お嬢様で遊びたい』と言って困らせたり、ですかね」
枕を投げた。キャッチされた。当たりなさいよ。
「へぇ、あぁそう、なるほどね。つまり私は貴女に一杯食わされたわけだ」
中指と薬指でこめかみをグリグリと押しながら言う。呆れたり、イライラしたりするときに出る私の癖だった。
私のその様子を見て、旗野は嘲笑気味に、
「滑稽でしたね」
「喧嘩売ってんの?」
構わず追い討ちをかけてきた。時計も投げてつけてやろうかと思ったけれど、おそらくそれもキャッチされるのでやめておいた。当たらなければ無駄にストレスが溜まるだけである。
「あーもうっ、むかつくわね」
腕を支えに後ろに仰け反って、天井を見上げる。
旗野にも腹が立つが、旗野の掌の上で踊らされていたのに気付けなかった自分にも腹が立つ。
「いつものことでしょう。いい加減に慣れて下さい」
「貴女はいい加減にしなさいよ」
旗野が何もしてこなければ、もとより何ら問題は無いのだ。
だが、いつものことというのは、確かにその通りだった。このメイドは毎日のように部屋を訪ねて来ては私をからかって去って行く。さながらヒットアンドアウェー。私に何か恨みでもあるのだろうか。
しかしそんなことは本人に訊かない限り考えても分からない。そして実際に訊いて『はい恨んでいます』なんて返事が来たら流石に傷付くので、訊く気も起きなかった。旗野の本心が見えないので、まさかそんなことはないだろうと思いつつ、もしかしたらとも思ってしまう。出会って十年ほどになるが、いまだに彼女の感情は読み取れないことが多い。
「さて、お嬢様での遊びはここで一旦切り上げましょう」
ネタばらしをしてしまってすることが無くなったからか、旗野はこれで一段落とばかりに背筋を伸ばした。私での遊び、と言うのも忘れずに。
「今後一切再開しなくて良いけれどね」
私がそう釘を刺すと、旗野は「また来ます」とだけ言い残して部屋を出て行った。再開するつもりらしい。ドアに目張りでもしておこうか。……いや、やめよう。そんなことをしたら、あのメイドは窓からでも侵入しかねない。
旗野がいなくなり目張りもしないとなると、私は再び暇になる。さきほどまでのやりとりの反動もあって、急につまらなくなった。望んだような暇潰しではなかったが、旗野の来訪はなんだかんだ退屈しのぎにはなっていたようだ。
積極的に来てほしいとは思わないけれど、何も無いよりは断然良い。それが私の中での彼女の立ち位置だった。
「…………」
……いけない。暇過ぎる。
もともと私には趣味と呼べるものが無い。部屋には本棚があって様々なジャンルの本が並んでいるが、特に読書が好きというわけでもない。本以外にも画材やら裁縫道具やらもあるが、さほど楽しんではいない。他にやることが無いからやっているだけで、趣味ではないのだ。
人を部屋に招くと時々多趣味だと言われることがあるが、私にとっては、授業中に暇でペン回しをしていて『ペン回しが趣味なんだね』と言われるようなものである。
そんな風に無趣味なものだから、するべきことが無いと時間の使い道に困る。絵を描こうにも手芸をしようにも、今は細かい作業をする気にはなれない。無趣味なりにその時々の気分というものがあった。
「ちょっと歩こうかな……」
家の中ですることは結構チマチマしたものになるので、いっそ外に出ることにした。幸い今日の天気は晴れで気温も低めなので、夏でも出歩きやすいものだった。
帽子を被り、携帯電話と財布だけをポケットに入れて部屋を出る。麦わら帽子にワンピースなんていうそれらしい服に着替えても良かったのだけれど、自宅付近はそんな服装が似合うような自然溢れる場所ではなかったのでやめた。
玄関へ向かって廊下を歩いていると、旗野ではない他のメイドを見かけた。彼女は窓を拭いて回っているようだった。うん、これが普通の勤務中のメイドの姿だろう。
そのまますれ違うのも気分が悪いので呼び止める。
「柳沢」
「はい?――あぁ、お嬢様」
私と目が合うと、ニコリと微笑んでこちらへ歩み寄って来た。柳沢は、旗野と違って愛想が良い。そんなことで優劣をつける気は毛頭ないけれど、人に好かれやすいのはやはり柳沢の方だと思う。
「少し出掛けて来るわ」
「あら、どちらへ?」
「家の周りを適当にブラブラするだけよ」
だから誰か私を探してたらそう伝えてちょうだい。そう言付けて柳沢と別れた。少し歩いて振り返ると、柳沢は窓拭きに勤しんでいる。やはりこれが普通だろうと再び確認し、歩を進めた。
玄関に着き、シューズボックスから最初に目に付いたサンダルを取り出して履いた。軽く足踏みをして履き心地を確かめて、ドアを開く。と、
「おや、奇遇ですね」
明らかに待機していた様子の旗野が姿を現した。私が反射的にドアを閉めそうになるのを、彼女は足で止めている。
「……何してるのよ」
「そろそろお嬢様が外出する頃合いかと」
奇遇という先ほどの言い分をあっさりと捨て、気持ちの悪いことを言い出した。私は別に、この時間に外に出よう、などと決めているわけではない。完全な思いつきからの行動だったのだが、何故か旗野には予想ができていたらしい。先見の明が優れ過ぎである。もはや予知能力だった。
「で、何の用?」
「お出かけになるのでしたら、お付きしましょうかと」
今日の職務が終わってしまっている旗野も、私で遊んで以降することが無かったのだろうか。そして散歩中も私をいじり倒そう、と……。
「ん……、まぁ、いいわ。来るなら来れば」
少し考えたけれど、旗野の提案を承諾することにした。裏に思惑があるわけでなく、単純に散歩がしたかっただけかもしれないと思ったからである。そうでなくても、一人で散歩するより話し相手がいた方が退屈しなくて済む。それに変わりは無い。もしまた旗野が私で遊ぶなどと言ってきたら、相手にしなければ良いのだ。
「じゃあ行きましょうか」
「はい。日傘はわたくしがお持ちしましょう」
「良いわよ、帽子があるし」
「いえいえ。比較的涼しいとは言え夏ですし、熱中症になられては困りますので」
こういう気遣いはできるし、やっぱり有能ではあるのよね。そう思いつつ、旗野と二人並んで夏の青空の下を歩き出した。
旗野がメイド服のままだということに気付いたのは、人通りの多い街道に出てからである。
このように、「お嬢様」と「旗野」をはじめとするメイド達がわちゃわちゃする話になります。
御清覧ありがとうございました。