①文末の意識
①文末の意識
私が推敲する際に一番気を付けるところは
地の文章の末尾です。
どういうことか説明するために
簡単な例文書いてみました。
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橘は言った。
「女性用フンドシを流行らせたい」
私はまたくだらないことを言い出したと思った。
「街の中心で叫んできなさいよ。
すぐにお巡りさんが飛んでくるわよ」
橘は顔をしかめた。
「今時なんでも『流行り』になれば許されるだろう。
キラキラネームも似たようなモノじゃないか」
私はため息をついて言い返した。
「全然違うわ、強引にも程があると思わない?」
私は話を打ち切り立ち上がった。
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私の感覚ではこんな文章は嫌いです。
単調な文章だと感じてしまいます。
(そういう手法、場面の演出である場合は別ですが)
色んな気に入らない要素がありますけど一番は地の文。
全て「~た」で終わるのが格好悪い。
けれど意外とこういう文章、
市販の本でも見かけるんですよね。
それは小説に限りませんし、
「プロ」と呼ばれて仕事してる人ですら、
無頓着な人がいるのが現実です。
翻訳された本では特に酷い時もあったりします。
「内容が面白ければ文章なんて些細なこと」
そういう方もいるにはいますけど、
やはりせっかく小説書くなら、
ある程度は意識した方が気持ちいいのではないでしょうか。
そこで私が推敲した結果、文章はこうしてみました。
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橘はとびっきり良いことを思いついたとばかりに告げた。
「女性用フンドシを流行らせたい」
珈琲を飲んでいた私は興味ないとばかり手をひらひらと振る。
「街の中心で叫んできなさいよ。
すぐにお巡りさんが飛んでくるわよ」
心外そうに彼は顔をしかめて
「今時なんでも『流行り』になれば許されるだろう。
キラキラネームも似たようなモノじゃないか」
そんな反論をしてくるが、
あまりに的外れな言い分に私はため息をつく。
「全然違うわ、強引にも程があると思わない?」
立ち上がり「話を打ち切り」と言い捨てて彼に背を向けた。
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どうでしょうか。
文の末尾を単調にならないようにしてみました。
もちろん、人によっては
「文量が増えて読み辛い」と思うかもれしません。
そのあたりの感覚は人それぞれではありますので、
これが正しいわけではありません。
ついでにあわせて「橘は」「私は」という言葉を減らして、
文章の合間合間に動作を入れてみました。
ただの何気ない会話のシーンでも、
こうして動きがあった方が
少しは読者も飽きないのかなと思います。
文章の推敲にも色々あると思いますけど、
私はこういう感じで文章をよくよく弄るようしています。
推敲の回数が増えれば増えるほど、
文章も色を変えていき、
より良いモノになるんじゃないかなぁと。
「そんな初歩中の初歩、当たり前じゃない。
私は小説家を目指しているんだから!」
という人も落ち着いて
自分の書いた文章を読みなおしてみてください。
勢いで進めた部分、
きちんと読みやすい文章になっていますか?
もしそれでも「バッチリ!」という方は、
普段から丁寧に文章を書かれているのだと思います。
プロですら杜撰な人が多いのですから。
私は多い時は一日に
7000~1万字を書くこともありますけど、
大体そういう時に書いた文章は
後で見返すとこういう部分で読みにくかったりします。
その骨組みに推敲を重ねて最終稿にします。
まあ最近は連載形式で書いてるので、
推敲をほとんどせずに更新してしまっているのですけれど。
今書いてる「黒のヴァージンロード」も
書き終わったら一度全部見直す予定です。
さて短い内容ですが第一回はこのくらいで。
不定期に更新していきたいと思います。
私も偉そうなこと言える立場ではないですが、
誰か一人でもプラスになる方がいればなと思います。