ちょっと待って
「……え?」
数瞬、間を置いてから、いろはが反応した。
駿平はそのまま、立て続けに事実のみを口にする。
「アルツハイマーだかなんだかって病気らしい。もう仕事はやめて、グループホームってとこに入ってる。家にはもういないよ。父さんもこっちに帰ってきてたんだけど、お金稼がなきゃって、もう東京に戻った」
いろははぽかんとしたまま駿平の言葉を聞いていたが、我に帰るとすぐに質問を投げる。
「ちょっ! 待って。え? それじゃあ、あんたは? 一人暮らし?」
不良グループのリーダーという顔に亀裂が走る。
駿平が知っている、浅井いろはの喋り方だった。
「いや、今は黒鳥さんの家に厄介になってる。ほら、俺って姉ちゃんに任せっきりで家事とか全然できないからさ。その訓練? みたいなことをしてるんだよ。それが終わったら家に帰って一人暮らしかな?」
「黒鳥さんって、あの人だよね?」
「あの人っていうのがどの人かよく分からないけど、たぶんそうだよ。黒鳥さんの父親が、今回姉ちゃんが入ったグループホームに管理人さんで、その繋がりで面倒見てくれてるんだよ」
今までのイライラは一体にどこにいったのか。いろはは信じられないという顔で駿平を見つめる。
「えと、じゃあ瀬名さん自身の様子は?」
「さすがに、揺れてるみたいだよ。俺もちょっと余裕なくてまだグループホームに入ってからは会いに行ってないんだけど、康弘さん……あ、黒鳥さんの父親なんだけど、康弘さんが毎日どんな様子か教えてくれてる。ええと、まあ、問題になるような行動はしてないみたいなんだけど、食事と風呂、それからトイレ以外はほとんと部屋に閉じこもってるらしい」
「……」
いろはは難しい顔をして黙り込む。
いろはがチーム氷牙のリーダーになってから、何度も会ったが、こんな表情をしているところは一度も見たことがない。
「用はそれだけだよ。いろはも姉ちゃんも、互いのことを嫌ってなんかないだろうから、知らせにきた」
「……」
反応はない。
当然だろうと思う。あまりにも、唐突過ぎるのだ。
いろはだって、きっと駿平と同じく認知症がどんなものか、あまり知らないだろう。けれど、グレてからでさえ、付き合いがあった前島家が危機に直面していることは理解できたはずだ。
不良たちのリーダーになって、適当な気分で遊び歩いているうちに、瀬名が認知症になり、駿平は中学生にして一人暮らしを開始せざるを得ない状況に追い込まれた。現在、リーダーをやりたくてやっているわけではないいろはにとっては衝撃的なことだろう。
「じゃあ、俺は帰るよ」
いつまでも人様の家の前で立ち話をしているわけにもいかない。
明日だって普通に学校があるのだ。いろはがどういう生活を送っているのか知らないけれど、そろそろ時間的に限界だった。
「あ、ちょっと待って!」
駿平が、帰ろうと歩き出すと、後ろから声がかかる。
「なに?」
振り返ると、苦虫を噛み潰したような顔がある。
「あ、えと……」
なにか、声をかけたいけれど、どうしようもないという感じだろうか。
数分間待ったが、いろははそれ以上なにも言わなかった。
「もし、なんかあるなら黒鳥さんの家に来て。学校でなければ、たぶんいるから」
それだけ言い残して、駿平は立ち去る。
いろはのことは心配だ。やりたくもないリーダーをやっているのだ。おそらく、いつかはそのズレが出てくる。そうなったらどうなるだろうか。不良たちが生きる世界など知りたくもないが、メンバーに暴力を振るわれることもあるかもしれない。
それでも、駿平にとっての第一は瀬名だった。冷たいかもしれないけど、そうやって割り切るしかない。
今の駿平の心は、誰かを気にしていられるほど、余裕などないのだ。




