忘れてたんだよ
「……」
駿平は受話器を置き、自室に戻る。
ベッドに顔から突っ込み、深くため息をつく。
「父さん、か」
教頭先生に言われたことを思い出し、携帯を開く。
いくら家族のこととはいえ、協力してもらうのなら早めに連絡しておいた方が良いだろう。せっかく教頭先生からアドバイスしてもらったのだ。
駿平が一人で悩んでいるより、家長である父親も混ざってもらった方が気が楽だ。瀬名が学校から帰ってくるまでには三十分以上かかる。帰ってくる前に一通り話せるだろう。
「……」
よし、と気合いを入れて携帯を開く。
時間的には、もう仕事は終わっているはずだ。直接電話をかけても大丈夫だろう。
父親、俊也の番号を開くとそのまますぐに発信ボタンを押す。
《おう、駿平か? なんだ?》
四回目のコールで繋がった。
野太い割りに快活で、テンション高めの父親の声が聞こえてくる。
「あ、父さん? 今、大丈夫? ちょっと急ぎの話があるんだけど」
《なんだ改まって。大事な話か?》
仕事が終わっていても、まだ帰宅してないのか、バックからざわざわとした声が聞こえる。
「うん、大分真面目な話」
瀬名が帰ってくる前に話しを終えていた方が良い。
真剣な声音で言うと、俊也の方も少し声のトーンを落とす。
《分かった。真面目に聞こう。そっちの家でなにかあったのか?》
普段接していないから忘れそうになるが、瀬名の生真面目さ、責任感の強いところ、そして世話焼きで優しいところは父親譲りだ。毎月、二人で食べていくのに必要な分以上に振り込まれるお金や、電話をすればどんなに忙しい時でもしっかり対応してくれる度量の広さ。たまに思い込みが激しくて、怒りっぽい時もあるけれど、駿平にとっては誇れる父親だった。
「ええと、姉ちゃんのことなんだけどさ」
《瀬名? 瀬名がどうかしたのか?》
「この間、仕事でミスがあったって話はしたでしょ?」
この間、というのは半年前のことだ。年末年始で家族三人が揃ったときに、一応耳には入れておくかと駿平が話しておいたのだ。
《ああ、そんな話もあったな。だが、それ以降特になにも起こってないのだろう?》
俊也の言葉を、いや、と否定する。
「ついさっき、先生から電話があってさ」
《また、なにかしてしまったのか?》
「してしまったというか、忘れてたんだよ」
駿平が経緯を説明すると、俊也は「ううむ」と黙り込む。
「それで、まだ続きがある」
《なんだ?》
「父さんも、俺と姉ちゃんが五月九日にお祝いしてるの知ってるでしょ?」
《ん? ああ、俺がいなくなって初めて迎えた二人だけの日、だったか? 父さんとしては混ざれなくて悲しんでるところなんだがな?》
あははと笑ってから、駿平は言う。
「姉ちゃん、その日がなんだったかも、忘れてたんだよ」
唾を変に飲み込んだのか、それともなにか飲み物でも飲んでいたのか、俊也はうぐと妙な声を出す。
《いや、それはさすがにどうなんだ? お前たちにとっては忘れられない日だろう?》
「でしょ?」
《……》
俊也が黙ってしまったので、そのまま話を続ける。
「最近、俺、姉ちゃんのことを注意深く見てたんだよ。そしたら酷いもんだよ。火をつけたまま台所を平然と離れるし、たまに自分の年齢とかも間違える。さすがに家の位置が分からなくなるとか、そういうことはないみたいだけど、ちょっとおかしいなって思う」
そこからが、本題。
「で、俺の学校の友達で、結構物知りな人がいるんだけど、その人に聞いたんだ。そしたら、その……」一瞬、詰まって「認知症じゃないか、って言ってた」
最後まで言い切る。
《……》
「さっき、姉ちゃんの勤め先の教頭先生とも話したんだけど、教頭先生もそうかもしれない、みたいなこと言ってたし……」
《駿平》
「なに?」
《一番近くで瀬名を見てるのはお前だ。そういう知識はあまりないだろうが、瀬名がそうだという可能性はどのくらいだと思う?》
そんなことを聞かれても困る。
《具体的に何パーセントとかそういう話じゃない。お前とて、十年以上瀬名と接してきた人間の一人だ。そのお前から見て、どう思うと聞いている》
「……」
少し考え、答えを導き出す。
「変だな、とは思ってるよ。父さんも知ってるだろうけど、姉ちゃんは亡くなった母さんの代わりを何年もしてる。こう言うのもなんだけど、俺にとっては本当の母さんよりも母さんみたいな存在だと思ってる。その姉ちゃんが、らしくない、というか、小さいかもしれないけど何度もミスをしたり大切なことを忘れたりとか、そういうことをする。これは普通のど忘れとは違うと思う」
《……》
「あ、もちろん、なにもなければないで良いと思ってるよ? その場合は、単純に疲れが溜まってるだけかもしれないしさ。姉ちゃんってそういうの隠したりするとこあるし」
《……》
三分ほど、だろうか。
俊也はじっくり間を開けて、言う。




