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お父上に

 ドクンと心臓が跳ねた。

《幸い、今回の校外学習はどこかに行くというより、子供たちが街中を探検するようなものでしたので、どこにも迷惑がかかりませんでした。ただ、もしもどこかの施設を見学するだとか、そういったものだったら学校の責任になってしまう》

「……」

 黙って、聞くしかない。

《ご家庭でも前島先生は校外学習の話をされてなかったとなると、準備をしていなかった言い訳だとか、そういうことでなく、本当に忘れていたようですね》

「それは、そうだと思います。そもそも、姉は準備をしていなかったからってそんな言い訳をするような人間じゃありませんし」

《それはそうでしょう。前島先生は責任感が強いし、子供たちにも人気がある。我が校の誇りと言っても過言ではないくらいの、素晴らしい先生です》

 姉が褒められて、嬉しいと思うが、手放しでは喜べない。

《以前も同じようなことで電話したと思うのですが、最近、頼んだ仕事を忘れてしまったり、なにかとミスが多くなってます。そういう少し抜けている先生も中にはいますから、責めたりするつもりありません。しかし、今回の校外学習を忘れていたというのは少し事情が違う。何度も聞いて申し訳ないのですが、ご家庭でなにか心配ごとなどはありませんか?》

 ないわけではない。

 いや、家庭の事情というのとは少し違うけれど、瀬名に関する心配ごとということなら一緒だ。教頭先生が話したように、校外学習を忘れていたというのは校内のミスとは意味合いが違うだろう。学校としての責任を問われかねない問題だ。これがもし修学旅行だったらさらにとんでもない事態に発展する。

 やはり、瀬名は、『そう』なのだろうか。

「あの、教頭先生」

《なんですか? なにか思い当たる節でも?》

 一度、唇を湿らしてから言葉を紡ぐ。

「明日……は学校があるとして、ええと、今週の休日に姉を病院に連れていきたいと思います」

《病院?》

 不思議そうな声をあげた教頭先生は、数瞬後、ああ、と納得する。

《そうか……。そういう可能性もあるのか》

 福祉に力を入れているというのは伊達ではない。

 これだけの情報で教頭先生は答えに行き着いた。

《しかし、前島先生はまだまだお若い。それに、家族の君が真っ先にそれを疑うというのは……》

「いえ、最初にそうじゃないかと疑ったのは僕じゃなくて、僕の友人なんです。先週辺りに少し、家庭内でいろいろありまして。その後、病院に連れて行った方が良いんじゃないかという話になったのですが、なんとなく言いづらくて……」

《……それはそうでしょうね。むしろ、簡単に言える方がどうかしてると私は思いますよ》

「それで、今の話を聞いて、そういうことなら放っておくわけにもいかないな、と」

 ふむ、と教頭先生は考えるように言う。

 見えていなくても、顎をさすっている姿をなんとなく想像できた。

《そうですね……。口実としては確かに良いかもしれません。学校でミスが目立ってきている上に、ご家庭でもなにかあったということなら前島先生も気にしているでしょうし》

「……」

《ですが、言葉には気をつけてくださいよ。前島さんのお宅は君と先生しかおらんのでしょう? こう言っては失礼かもしれませんが、君はまだ中学生だ。人生経験のない君が仕事の問題に口出しをするのは前島先生のプライドを傷つけてしまうかもしれません。例えそれが病気の類であったとしてもね。

私も、これから高齢者の仲間に入る身ですから分かるのですよ。自分がどんどんいろいろなことが出来なくなっていく苦しみというやつがね。ただでさえ責任感が強く、なんでもしっかりこなす前島先生だ。ご家族の君は重々承知していると思いますが、くれぐれも、心無い言葉がけで前島先生を傷つけないようにしてください》

 何十年も教師をやっているからか、人にモノを教えるのが上手い。

 教頭先生の言葉は頭にすんなり入ってきた。

《なんなら、前島先生に話す前に、お父上に相談してみるのも良いかもしれませんよ。そういうデリケートな問題は中学生一人が背負い込むものではない。休日に行くと言うのなら、お父上にも同行してもらった方が前島先生としても安心するのではないですかね?》

「あ……」

 その選択肢は考えてなかった。

 父親とはお盆と年末年始くらいしか会っていないから、なにをするにしても二人でどうにかしなければと考えていた。でも、今回はことが事だ。仕事が忙しかろうと、頼めば上草市へ戻ってきてくれるかもしれない。

《結果によっては、申し訳ないが、学校全体のことにもなりかねない。本当に申し訳ないが前島先生には――》

「それは、分かってます」

 学校の誇りだとまで言ってくれているのだ。

 それ以上、教頭先生に言わせてはならないことくらい分かる。

《私もなにか力添えできれば良いのだけれどね……》

「いえ、今のアドバイスだけで十分過ぎるくらいです」

《そうか……。まあ、とにかく、あと数日だが、今週中はもし前島先生がなにかミスをしても大目に見ることにするよ》

 優しくそう言った後、教頭先生は「では」と電話を切った。


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