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すっかり忘れていたんですよ

 いろはのことを調べてくれと黒鳥に頼んでから一週間。

 瀬名を病院に連れて行った方が良いと分かっていつつも駿平はそれを言い出せないでいた。

「どうすっかなー」

 ぼふっとベッドに寝転がりながら思案する。

 身体に不調があるのなら分かりやすくて良い。それを理由に病院に行けば良いのだ。

 けれど、頭の方となるとまるっきり違ってくる。

 たぶん、間違った見方なのだろうけれど、認知症は老化現象の一部という気がしてしまうのだ。記憶力が悪くなったり、ついこの間のことを忘れてしまったりする。そういう事柄は高齢者に多く見られる。

 それを、まだ二十九歳の姉に言うのは憚られた。黒鳥は瀬名自身、自分の変調に気付いているだろうと言っていたが気軽に話せたら苦労しない。下手な言い方をして瀬名を傷つけてしまったら前島家全体に関わってくる。

「……」

 枕もとに置いてあるノートを開く。

「多い、よな……」

 駿平は半年前に小学校から電話があって以来、瀬名がなにかを失敗する度にそれをノートに取っていた。何月何日になにがあって、どういう対応をしたのか。

 母親の資料を見た時に、こうして記録にとっておくと良いと書いてあったのを読んだのだ。読み返すと、その数はとても多い。普通の物忘れと言えるラインを超えている気がする。



 トゥルルルルル……



「ん?」

 と、居間の方から電話が鳴る音がした。

 現在午後八時を回っている。

「こんな時間に誰だ?」

 出ないという選択肢も頭に浮かんだが、こんな時間にわざわざかけてくるのだ。一応出ることにする。

 仕事が忙しいのか、瀬名はまだ帰ってきていない。電気は付けてあるが、居間に出ても一人だと思うと少し寂しさを感じた。

「もしもし?」

 電話に出ると、すぐに返事がある。

《あ、もしもし、前島さんのお宅ですか?》

「そうですけど? どちら様でしょうか?」

 聞くと、驚いたことに瀬名が勤めている小学校の教頭先生だった。

「えと、いつも姉がお世話になってます!」

 慌てて社交辞令を言うとあははと笑われる。

 しゃがれた、大分歳を取っていると分かる声だったが、気さくな方らしい。

《そんなに構えなくて良いですよ。今日は前島先生の弟さん、つまり君にちょっと聞きたいことがありましてね》

 瀬名ではなく、自分になんの用だと疑問に思ったが、それは言葉に出さないでおく。姉の勤め先の上司なのだ。失礼があったらマズイ。

「えっと?」

《いえね、前島先生も随分落ち込んでいたからこれは内密にして欲しいのですけど》

 この口ぶりからすると、瀬名が家にいないことが分かっているのだろう。瀬名は学校を出たばかりだろうか。

《今日、前島先生のクラスが校外学習に行く予定だったんですけど、それは知ってますか?》

「いえ、知らないですけど」

 瀬名は、明日学校でなにがあるとか、そういう話をよくするけれど瀬名の仕事を全て把握しているわけではない。初耳だった。

《では、ご家庭でもそういった話はされてなかったと》

「そうですけど?」

 なにを言っているのだろうか、と思う反面。

 例の嫌な予感がずるずると背筋を這い上がってきている。

《そうか……》

 そこで教頭先生は一度言葉を切り、こう言ってきた。



《その校外学習なんですがね。前島先生がすっかり忘れていたんですよ》


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