其の二
「ありがとうございます、ありがとうございます。行きましょう、共に頑張りましょう」
ビショップの笑った顔を見て、アール氏は一気にハイテンションになった。
しかし、エル博士の指定するネームドモンスターの棲みかに着くまでに、アール氏は何度も身震いするような体験をし、恋に花を咲かせる余裕などなくなってしまっていた。
エル博士曰く、画面上ではただの犬のようなグラフィックのモンスターでも、アール氏から見れば、ライオンや熊なんかとは比べものにならないほど凶暴そうなモンスターで、鋭い眼光の目が三つも四つもついていたり、毛が針のようにさかだっていたり、内臓が露出していたり、自身の口を突き破るほどの、長く鋭い牙が前に突き出していたりなど、とにかく見るからにヤバそうものばかりだった。しかも、そいつらの近くには必ずと言っていいほど、人の腕のちぎれたのや、肉片、血の水溜まりなどがあった。
「博士、帰りましょうよ。あいつらを見かけるだけで気絶しそうです」
「何を行ってるんですか。もうすぐ目的地だというのに」
「そうですよ。今さら帰るなんてもったいないです。せっかくだから、ネームドモンスターがいるかだけ確認して行きましょうよ」
いかにゲームの中の人間と言えども、惚れた女性に言われては、アール氏は返す言葉が見つからなかった。
ネームドモンスターの出現ポイントのすぐ近くまで来ると、エル博士のキャラクターは囁くように言った。
「む、予想通りネームドモンスターがいましたね。やりましょうか」
清美も囁くように嬉しさを表現した。
「やったー。やりましょう」
だが、アール氏は足がすくみ、これ以上前へと踏み出すことができなかった。
「あんな化け物と戦えというのか……。ありえない」
ネームドモンスター、もといガルベシアは、まるで、アール氏がいつしかロードショーで見たことのあるエイリアンにそっくりだった。頭が異様に縦に細長く、目が無い。人を丸飲みできそうなくらいの大きな口からは、紫色の舌が長く垂れ下がっており、粘度の高そうな涎がひっきりなしに垂れている。緑色の若冠混じったような灰色の皮膚は、ドロドロした粘液のようなもので覆われていて、巨大な爪と牙はナイフのように尖っていた。
ビショップは、意気揚々と補助魔法をかけ始めた。エル博士のキャラクターは、自身に火のフィールドを張り、アール氏はただただ怖じ気づいていた。
「博士、どうか考えなおしてください」
「これも、実験なのだ。我慢して欲しい」
一切の事情を知らないビショップもそれに続いた。
「実験的に戦ってみましょうよ。勝っても負けても言い合いっこ無しです。みなさん、がんばれがんばれ」
最後の男の意地か、アール氏はビショップの前で強がり、戦うことを決心した。
「では、私が最初に挑発しますので、みなさん敵意に気をつけて行動してください。行きます」
そう言ってエル博士のキャラクターは猛ダッシュでガルベシアの背後に近づき、斧で思いっきり目標の後頭部をぶん殴った。
その衝撃にガルベシアは奇声をあげ膝を折ったが、直ぐ様体勢を立て直して反転し、エル博士のキャラクターに飛びかかった。
「今です、行きましょう」
その瞬間を見計らって、ビショップはアール氏に向かって叫んだ。そして、エル博士のキャラクターの傍らで、杖を使ってポコポコと殴打し始めた。
「どうすればいいんだ、こんなやつと……」
決心したはずなのに、ここにきて、アール氏は震える両手を見つめながらそんなことを呟いた。
「何をしているんだ。早く攻撃してくれ」
エル博士のキャラクターは大声で叫んだ。その瞬間、ガルベシアの体が真っ黒に変色した。
「いかん、早く離れるんだ」
しかし、全員が逃げるには時間が足りなかった。ガルベシアの体から、黒い波動が発せられ、それが三人の体をのみ込んだ。
「うわあああああ」
「きゃあああああ」
「うぎゃああああああああああああああ」
体中の血液が体外に出ていこうとするような痛みに耐えかねたアール氏が、一番大きな声で叫んだ。アール氏は、体からずいぶん力を吸いとられたことがすぐにわかった。痛みが終わった直後、物凄い脱力感にさいなまれたのだ。だが次の瞬間、すぐに脱力感から解放された。
「今のは何だったんだ……」
「はやく戦いなさいよ」
ビショップが怒鳴った。アール氏は、何故自分の力が回復したのかを瞬時に理解した。彼女が何かを唱えて、エル博士のキャラクターの傷を治癒させている瞬間を目撃したのだ。
「ああ、なるほど。いざという時は君が回復してくれるんだね」
「当たり前よ。私、ビショップだもの」
ビショップは堂々と言い放った。
「了解。じゃあ、いくよ」
少し恐怖心を克服したアール氏は、鋭く光る短剣を腰から取り出し、素早くガルベシアの背後へ回って力いっぱい突き刺した。
ぐぎゃあああと叫び声をあげるガルベシア。
今のは効いたか、とアール氏は期待したが、ガルベシアは更に暴れだしただけだった。
「くっ、強すぎる」
エル博士のキャラクターは、体に無数の傷をつくっていた。
少しでもエル博士を助けねばとアール氏は更に手数を増やした。
「えいっえいっえいっ」
このゲームでは掟破りの、必殺・バックスラッシュ連打。
「おい、そんなに攻撃すると敵意が」
エル博士のキャラクターが叫んだが、時既に遅し。ガルベシアは背後のアール氏に振り向き、大きな口を開けてその鋭い牙で渾身の一撃をくらわせようとした。
「うっ」
ガチンという音と共に、咄嗟に腕で頭部を守ろうとしたアール氏の腕を、ガルベシアの牙が浅く抉った。しかし、それだけで済んだのはエル博士のキャラクターのおかげである。
エル博士のキャラクターが、素早くガルベシアの顔の横に回り込み、装備していた大きな盾をガルベシアの口に突っ込むようにして挟んだのだった。
「大丈夫か」
傷みをこらえるような顔をしてエル博士のキャラクターが言った。盾はガルベシアの一撃によって、その大きな口の中で少し折れ曲がっていた。
「はい。エル博士こそ……ああっ」
アール氏の鼓動が先よりも更に高まった。エル博士のキャラクターの左腕が、ガルベシアの長い牙に深く突き刺さり、貫通しているではないか。
直後、盾が破砕される音と共にガルベシアは口を勢いよく閉じ、首を大きく左右に振った。それと同時にエル博士も大きく横に引きずられ、振り回されそうになったが、すぐにそれから解放された。
肘から下の部分が切断されてしまったのだ。
エル博士のキャラクターは痛々しい悲鳴をあげ、右手に持っていた斧を地面に落とした。
ビショップが急いでヒールの詠唱を始めると、それに勘づいたのか、ガルベシアは巨大な尻尾でビショップをなぎ払った。
そしてガルベシアは、切断部を押さえて怯んでいるエル博士のキャラクターの頭を、目にも止まらぬ速さで口の中にのみ込んだ。
エル博士のキャラクターは酷く悲鳴をあげて悶えた。が、やがてそれが聞こえなくなり、ついにはピクリとも動かなくなってしまった。
アール氏は、口をぽかんと開けて宙を見上げた。エル博士のキャラクターがガルベシアに振り回され、宙高く舞っていく様を目で追っていた。
「う、あ……」
アール氏は気が気ではなくなっていた。
エル博士のキャラクターが生々しい音をたてて地面に落下した後、ガルベシアはクハァと息を吐き出しながら口を開けた。そこからポロリと落ちたものを見て、アール氏は腰を抜かした。
エル博士のキャラクターの生首。
それがポロリと、マナガルムの口から転げ落ちたのだ。
「逃げて!」
ビショップは、自分だけ転送魔法を使いながら叫んだ。しかし、腰をぬかしていたアール氏には逃げる術などなかった。
ガルベシアの後方でビショップの消え行く様を見つめながら、アール氏は更なる恐怖と、失意と、絶望を味わっていた。
ガルベシアは荒い鼻息をアール氏に吹きかけながら、ゆっくりと彼の顔に口を近づけ、そして突然、断末魔のような奇声を放った。
それによりアール氏はビクンと体を震わせ、目を見開いたまま硬直してしまった。
本来なら、ここでアール氏の体の穴という穴から水分が垂れ流しの状態になることだろう。だが、これは電子の体なのだ。ただただ、アール氏の声なき声が漏れるだけであった。
ガルベシアは、アール氏を品定めするかのようにヒクヒクと匂いを嗅ぎ、やがて口を大きく開くと、アール氏が叫ぶ暇も無く一気に彼の体に食らいついて――