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其の一

 ある日の午後、アール氏はエル博士の研究所に呼び出された。

「おお、よく来てくださった。さあ、こちらへ」

「はあ」

 アール氏は、自分が何故呼ばれたのかよくわからないまま個室へと通された。

 だが、その個室がどうも落ち着かない。そこには様々な機器が置かれており、何世代も前のコンピューターのような、ジーという処理音があちらこちらから鳴り響いている。しかも、これから電気ショックで処刑が行われるかのような椅子が、部屋の真ん中にぽつんと一つだけ置かれていた。

「さあ、お座りください」

 エル博士が、その椅子に手を差し出して穏やかに言った。が、アール氏の心中は穏やかではなかった。

「博士、これから一体、何をなさるつもりなのですか。よもや私を実験体にしようとなど……」

「そう、実験です。今回あなたに来て頂いたのは、あらゆることを考慮した結果、私の知り合いの中で、あなたが一番適任だとコンピューターが割り出したからなのです」

 これを聞いたアール氏は、一気に青ざめた。電気椅子と、その回りに備え付けられた機器類。これから自分が、実験ネズミのように痛々しい実験をされる姿が容易に想像された。それを知ってか知らずか、エル博士は何の説明もなく話を続けた。

「では、すぐにでも実験を始めたいと思います。そこに座って頂けますかな」

「ちょっと待ってください。これから私はどのようにされるのでしょうか。痛いのは勘弁です」

「その心配には及びません。これは、あなたの頭脳をコンピューターに繋ぐという実験なのです。痛みとは無縁なものです」

「な、なんだ。そういうことだったのですか。てっきり、その電気椅子のような椅子で私の体に電極でも流されるのかと思ってました。安心したらなんだか急に体の力が抜けてしまった。では、お言葉に甘えて座らせて頂きます」

 かくして、実験の準備がなされた。アール氏の頭には配線のたくさん繋がったヘルメットが装着され、エル博士は、そのすぐ近くでマザーコンピューターの実験プログラムを起動させた。

「では、これからあなたには、とあるオンラインゲームの世界に行って頂きます。とは言っても、処理や通信を行うのはあくまでもマザーコンピューターの方なので、あなたの電子化された意識が外部に出ていくことはありません。あなたには、あくまでもコンピューターの中で信号化された一キャラクターとして、ゲームを楽しんで頂きたいと思います」

「オンラインゲームですか。それは楽しみです」

「この非現実的体験は、あなたにとって、きっと良い経験となることでしょう。実験などと思わずに、ピクニック気分で気楽お過ごしください。では後ほど、ゲームの中で会いましょう」

 エル博士はそう言って、エンターキーを押した。するとヘルメットの配線が光りだし、やがてマザーコンピューターに吸い込まれていった。同時に、アール氏は、眠ってしまったかのように体をぐったりとさせた。



 ――レンガ造りの家が建ち並ぶ街のど真ん中。アール氏の電子化された体は、そこで倒れて気を失っていた。

「もし、そこのお方。大丈夫ですか」

 通りすがりの中年男性がアール氏の肩を揺すり、声をかけた。

 アール氏はその問いかけに応答するように目を覚まし、体を起こした。これを具体的に言うならば、予めエル博士によってプログラミングされていたボディーに、アール氏の電子化された意識がインストールされた瞬間であった。

「う、ここは一体……」

「気がつかれましたか。ここはラスカルタウン東地区ですよ」

 アール氏は立ち上がり、周りを見渡した。それからもう一度注意深く確認するように言った。

「ここは、ラスカルタウンですか」

「はい、そうです」

 アール氏の気分は急激に高揚した。今、自分はこれまでの常識を覆すような、非現実的な体験をしているのだ、と。

「そうか、これがコンピューターが構成する世界か」「はあ」

 男性は首をかしげた。こいつ、頭大丈夫かといった具合に。それでも、男はプログラムの指示により、先を続けた。

「ところで、これをどうぞ。コットンのズボンですが、今のあなたには何かと必用でしょう」

「なに、そんなものは必用ありませんよ」

 アール氏はそうは言ってみたものの、自分の服装をよく見てみると、半袖のシャツとパンツしか履いていないことに気がついた。

「やはりもらいます。ありがとう」

「どういたしまして。そういえば、ラスカルタウン西地区の方にも私の息子がいます。彼もあなたのことを心配していたので、一度行ってやってください」

「誰ですか、それ。見たこともない人のところに行けと言われても困りますが……」

「そんなこと言わずに行ってやってください」

「いや、だから……」

 ふと、アール氏は気づいた。こいつはあくまで、プログラムの進行に従って言っているだけなのだろうなと。自分のようなイレギュラーな存在が、下手に話をこじらせてしまってはつまらない。ここは一つ、こいつの話に合わせることにしよう。

「わかりました。では息子さんに、私の安否を知らせてきます」

「助かります。それと、お使いさせてしまって申し訳ないのですが、このきずぐすりを息子に渡してきてもらってもよろしいでしょうか。息子は、西地区の門からモンスターが入ってこないように見張りをしているのです」

 モンスター。この単語を聞いただけで、アール氏は背筋がぞくぞくするくらい興奮した。

「それは凄い。わかりました、私に任せてください。色々とありがとうございました。では失礼」

 アール氏は一別し、その場を後にした。

 その後は、訳もわからず直感に任せて歩いた。なにせ、他の人に道を尋ねても、質問とは無関係の返事しか返ってこないのだ。先ほどもアール氏が女性に道を尋ねると、聞いてもいないことを長々と話し始めた上に、すぐ近くにいた男性と夫婦喧嘩を始め、ついにはシクシクしか言わなくなってしまった。

「全く、ここの連中は本当にプログラム通りのことしか言わないのか。冗談じゃない」

 アール氏が愚痴を言いながら歩いていると、次第に光の当たらない場所へと入り込んでいった。

「なにやら、草木が多くなってきたな。道を間違えたのか。まあいいか。ゲームの世界なんだ。冒険してなんぼの世界だ」

 そのまま進んでいると、やがて芝生の生い茂った開けた場所に出た。

 そこでは、子牛ほどの大きなナメクジが地面を這っていた。それを、どこからともなく走ってきたフルフェイスのヘルメットを被った人間が、斧の一撃で殺してしまった。

「やあ、アールさん。楽しんでますかな」

「やや、もしやあなたは、エル博士」

 ヘルメットを脱いだその人は、エル博士みたく白髪で、髭を生やした男性だった。

「私は、外部から操作しています。そちらから見れば、このキャラクターはどのような感じですか」

「うーむ。やや老けて見えますね。また、人種も違うようです。ですが、それを除けば普通の人ですよ」

「なるほど、それは興味深いですな。実はこのゲームのキャラクター、三頭身な上にツーディー、しかもドット絵で構成されているのですよ」

「それは驚きました。よもや私がそのような世界に存在しているだなんて……。ちなみに私は、画面上ではどのような顔立ちをしているのですか」

「至って標準ですな。上手く説明はできませんが、とかく、このゲームではありふれた顔立ちです」

 アール氏は、少し残念そうにうなだれた。だが、画面上ではその仕草を伺うことはできなかった。

「どうです、アールさん。私とパーティーでも組んでみませんか。なんなら、他の人も誘ってみましょう」

「私、博士のキャラクターのように強くありませんが、大丈夫でしょうか」

「その心配には及びません。あなたの身体パラメーターに限っては、こちらで操作可能なのです。サーバー側の規制の問題もあるので一定値までしか引き上げられませんが、今すぐにでも強くすることは可能です」

「それは素晴らしいですね。是非お願いします」

 そうして、アール氏の戦闘力は最高値まで引き上げられた。いつの間にやら、装備も最高のものがつけられている。

 アール氏は興奮して叫んだ。

「博士、素晴らしいことに急に力がみなぎってきましたよ。体の中に、何か充満したエネルギーのようなものも感じます」

「それは良かった。では、試しにあそこにいる兜をかぶったゴブリンを倒してみてください」

「わかりました」

 アール氏は腰に刺さっていた短剣を振りかざして、ゴブリンに気づかれないように素早く、静かに背後から近寄り、そして鋭い刃を兜の隙間に突き刺した。すると、グワアアアアという苦しそうな叫び声と共に、ゴブリンはそのまま倒れて消えてしまった。

「お見事ですな」

「これも博士のおかげですよ」

「いえいえ。では、これで大丈夫ですな。行きましょう」

「行くってどこへ――」

 次の瞬間、アール氏は先ほどの街とはうってかわって、大きな街へと転送された。

 アール氏は、辺りをキョロキョロ見回して目を輝かせた。

「これは凄い。驚きました」

「そうでしょう。初めてここに来た人は皆、そう言います。最も、あなたの場合は格別でしょうが」

 アール氏の横で、エル博士のキャラクターが言った。すると突然、

「きええええええええ!!きええええええええ!!きええええええええ!!」

 と、感動に浸っているアール氏の目の前を、真っ黒なフルフェイスのヘルメットを被った半裸の男が、叫びながら走り去って行った。

「今のは一体……」

 アール氏は目を丸くして驚いた。

「ああ、あれは荒らしですな。所謂、頭のおかしな人です。この世界ではよくいるんですよ、きええええええええ!!」

「わ、博士もですか。これはショックです」

「冗談ですよ。きええええええええ!!は、定型文に含まれているのです」

「なるほど、定型文ですか。なんとなく納得できました」

「では、もう一人のパーティーメンバーを探しましょう」

 そう言うとエル博士のキャラクターは、大通りへと歩いて行った。

「ちょっといいですか?」

 エル博士のキャラクターは、純白のローブを着た女性ビショップに声をかけた。アール氏はその様子を近くで見守った。

「なあに」

「もし良かったら、パーティーを組みませんか」

「どこに行きますか?」

「ビックマウント荒野にいるネームドモンスターを倒しに行きましょう。強いローグさんもいます」

「わかりました。ついていきます。でも、ログイン時間があと少しだけなので気をつけてください」

「了解。ありがとう」

 アール氏は感心した。エル博士のナンパ術と、その選眼力に。

 アール氏から見ると、その女性ビショップはとてもかわいらしく、タイプだった。

「はじめまして。よろしくお願いしますね」

 ビショップはアール氏の前に立ち、挨拶をした。

「良い名前ですね。私はアールと申します。どうぞよろしく」

 近くで見ると、ますますかわいらしい。アール氏の顔は真っ赤になっていた。しかし、画面上ではそれがわからない。何をやってもわからない。それをいいことに、アール氏はビショップに抱きついた。匂いはよくわからなかったが、興奮するにはそれだけで充分だった。

「きゃあ、何をするんですか」

 しかし、アール氏の予想に反して抵抗されてしまった。

「アールさん、何をしているのですか」

 エル博士のキャラクターがアール氏を見つめながら言った。画面上では、アールさんとビショップさんが重なっているという説明を加えて。

「もしや、やましいことをしているわけではありませんよね」

「そんな滅相もない。ただ、ハグをしただけですよ。異文化の人と交流する際は、まずハグからでしょう」

 アール氏は、手振り身ぶりを加えて全力で弁解した。

「そうですか。なら信じることします。ビショップさんもそれでいいですか?」

「はい……」

 ビショップは、少し俯いて答えた。アール氏は、マズイことをしたなと思いながら謝った。

「なんだかすみません」

「いいえ、気にしないでください。気を取り直して、行きましょう」


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