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『庭師』の青年






 厨房はひろく、つかいやすいように工夫がされている。ただし、ところどころ不親切な箇所がある。はついがそう気付いたのは、横暴なふたごの王子達に食事をつくるようになって、一週間くらい経ってからだ。

 例えば、くどのすぐ傍にあってほしい水がめがない。いや、できるならば流しがあってほしいのだが、せめて水がめを置いてほしい。手を洗いたい瞬間があるからだ。また、揚げものや炒めものの際に長時間熱にさらされる手をさましたいこともある。油はねなどなくても、熱気が傍にあるだけで火傷にはなるのだ。ストーブにあたっていたら水ぶくれができるようなものである。それをどうにかするには、ひやすのが一番いい。


 異世界で、上水道なんて便利なものがない情況だから、流水にあてるなんて芸当はひとりではできない。ひとりでなく、多くの時間はついの傍に付き従っている女官達の手をかりて、ならば、まあ簡単といえなくもなかった。彼女らは魔法をつかえる。なかには、温度に干渉するとか、水を出すとか、そういうはついの目から見れば非常識極まりないことを行う者もあった。

 魔法をつかえる者に頼めば、別に難しいことではない。相手がどれだけ魔力をつかっているのか、どれだけ疲れているのかはわからないし、もしかしたら大変な負担をかけているのかもしれないが、そんなことにまで配慮する神経ははついは持ち合わせていなかった。なにしろ、意思とは関係なく、異世界に拉致されたのだ。こちらの世界の人間を気遣ういわれはない。




 ぱちぱちと、かすかに音がかわってきた揚げもの鍋の中身を見て、はついはさっと、軽く、金串二本でそれをまぜた。いやがらせ以外の何物でもないと思うのだが、箸がない。厨房中さがしまわったが、見付からなかった。おまけに、女官に箸を持ってきてほしいといっても、意味がわからないのか誰もそれを手にいれてくれない。

 木製で丈夫であまりしならない、細くて長い棒がほしい、ふたつ揃えてつかうものだ、というような説明をしたが、反応は芳しくなかった。今にいたるまで、箸は手にはいっておらず、だからこうして熱が伝わってくる金串を代用している。ずっと握りしめていればぎりぎり大丈夫だが、不用意に鍋につっこんでほかの作業をしてしまうと、次に握りしめた時に(てのひら)に痕がつくくらい熱くなってしまう。そういう場合にも備え、水がめくらいは置いておいてほしい。


 はついがつれてこられたのは、魔力がある為に料理をできない人間しか居ない世界、だった。

 魔法と料理にどういう相関関係があるのか、それははっきりとはわからない。誰に聴いても、「(しゅ)がそう定められた」としか返ってこないからだ。ただ、横暴なふたごの片割れであるアヴァランシュという王子は、世界が分けられた時に(しゅ)がそうしたのだろう、というようなことをいっていた。モンスターの脅威にさらされないかわりに魔法を失った人間達に、(しゅ)が魔法にかわる恩恵として料理を授けたのではないか、ということだ。

 それが正しいとは、はついには思えなかった。そうだとしたら、モンスターが居るかわりに魔法をつかえる世界に残された人間達には、不公平だ。モンスターという脅威をとりのぞく、かわりに便利な魔法もつかえない、が、世界を分ける際の約束だった筈。

 見たところ、はついとこちらの世界の人間には、さほどの違いはない。アヴァランシュの無礼極まりない発言――子どもがほしいなら俺か兄が結婚してやってもいい――からすると、こちらの人間とあちらの人間で子どもをつくることもできるらしい。時折顔を合わせる老医師によれば、はついのように異世界から召喚された『料理人』(彼らからは、たまにレディと呼ばれる)が、こちらの王族と縁付いた話は、これまで幾らかあるという。

 なら、どこに差があるか。おそらく、魔力を体のなかでつくっている機関があり、その魔力を魔法というものに変換する機関も、彼らには存在するのだろう。そうなると、脳でそれをコントロールする必要がある。はついの世界の人間とは別のことに脳をつかっているのだ。はついの世界の人間は、魔法を失って脳のリソースを手にいれ、料理やなにかにつかえるようになった。

 そう考えれば、変ではないと思う。少なくとも、(しゅ)が恩恵を与えた、というよりは。


「なにをつくってるんだ?」

 はっと顔をあげると、アヴァランシュが厨房へ這入ってくるところだった。女官達がお行儀よく、揃ってお辞儀する。はついもそれにつられそうになったが、こらえた。こちらはいきなり異世界によびだされ、唐突に料理をつくらされている身だ。なにを、彼らに敬意を払う必要があるというのか。


 はついだって、大人しく彼の命令に従ったのではない。はじめは、「『誓い』を破った兄がその()()を雪ぐ為に」といわれ、ほんの数週間ならば素直に料理をつくって、もとの世界へ帰してもらおうと思った。それに、転移してきて直後、モンスターとかいう巨大な犬からまもってもらった。その恩義も多少はある、と思っていたのだ。それで、抵抗もなにもせず、厨房に立った。

 調味料は塩・砂糖・酢・酒だけ。しかも、『誓い』とやらの為に植物性のものしか調理につかえない。そんな理不尽な情況でも、はついはとりあえず御膳をつくり、ついでに、「時間をすすめる」という便利な魔法のおかげで、味噌や醤油まで用意できた。味は軽薄だし、プロのつくったおいしい味噌や醤油にかなうものではないが、麹さえない異世界においては頑張ったほうだと思う。


 この調子で数週間頑張れば戻れる、とはついは楽天的だった。ところがアヴァランシュは、この先何十年も働いてもらう、などという。数週間なら我慢できても、それ以上は無理だ。もとの世界に、壊滅的に料理のできない家族が居る。放っておいたら毎食カップ麺、もっと悪くすればお菓子ですませようとするような連中が。

 だがアヴァランシュは、切り札をつかってきた。もしはついが料理をしなければ、次の料理人が来るまでは「お前の世界をまもらない」といったのだ。

 モンスターは『通り道』なるものをつかい、ほかの世界へ行くことができる。それをさせないよう、アヴァランシュ達王族の人間は、自らの魔力で『通り道』をつくり、それに近寄るモンスターを退治しているらしい。『通り道』はある世界とある世界を繋ぐもので、自然にできることもあるが、同時に複数個は存在できない。王族が『通り道』をつくってそれをモンスターからまもるというのは、ほかの世界をまもることになる。

 『通り道』を放置すれば、モンスターが自由によその世界へ行くことになる。モンスターは、魔力のある人間でしか退治できない。それが(しゅ)の定めた決まりだという。はついの世界は、魔力を失った者達の世界だ。そこにモンスターが這入りこめば、大惨事になるのは必定だった。

 だからはついは、渋々承諾した。納得はしていないけれど、受け容れるしかなかった。






 アヴァランシュが近付いてきたので、反射的に、手をぱたぱたした。追い払いたい。「近付かないで」

「なんだ、俺はここの(あるじ)だぞ。お前に命じられるいわれはない」

「危ないから。今、揚げものしてるの」

 アヴァランシュは眉を寄せ、鍋にそれ以上近付かずにたちどまった。相変わらず、嘘みたいな頭をしている。髪が白黒の縞模様になるように生えているのだ。女官に訊いてたしかめたが、あれは染めているのではなく、地毛らしい。斑模様ならまだ理解できるが、きっちり等間隔に白黒なのは、染めているとしか思えない。

 女官達は全員、濃淡の差は多少あるものの茶髪と金の瞳で、顔立ちも似通っており、身長も目立つほどの差がない。なので、未だに区別がつかない。はついがつくったものが毒ではないかを検査しに来る、ダスク夫人という女性も、いつも被っているナイトキャップみたいな帽子からはみ出ているのは金髪だ。

 ただ、老医師の助手の青年達には、アヴァランシュのような縞模様の頭をしているのも、ふたりほど居た。それから、三日に一度くらいの割りでアヴァランシュがつれてくる兵士、厨房のすぐ外の菜園を見張っている兵士達にも、かわった色の頭をしている者が居る。だからそこまで変なことではないのだろう。


「なにを揚げてる? 豆か?」

 どうしてだかわからないのだが、アヴァランシュはこうして厨房を訪ねてくると、何故かはついが豆料理をつくっていると疑う。ついでに、それをおそれているらしい。豆のスープだけは食べたくないといっていたのを聴いたことがあった。

 はついは、ボウルを軽く掲げた。

「豆だけど、あなたが食べたことないものだと思う」

「なんだ、それ」

「納豆」

「ふうん?」

 アヴァランシュが興味深げにボウルをのなかを見ようとしているのが、ちょっとだけ可愛らしく思えて、ボウルを調理台へ戻した。くどからははなれているから、そちらへ近付くのは安全だ。

「これは粉つけてないから、食べられるよ。食べてみる?」

「……妙な匂いがする」

「食べても平気だって、ダスク夫人のお墨付き」

 アヴァランシュが女官達を見る。女官達は同じような動きで頷いた。王子殿下は、それで勇気を得たらしい。ボウルにつっこんである匙を持ち上げる。

 が、勇気はすぐにくじけた。納豆が糸をひいたからだ。「うわ。なんだ、これは?」

「それはそういうものだから。納豆菌がつくりだすものなの。納豆菌っていうのは、タンパク質はアミノ酸に、デンプンは糖にって、とにかくなんでも細かくしていくもの。納豆は栄養価も高くて、ヴィタミンKが含まれてるし、鉄分も豊富。そのねばねばはグルタミン酸で、えっと、Dグルタミン酸とLグルタミン酸がYアミド結合して」

「つまり、食べられるものなのか?」

「そういってるでしょ」


 呆れていいかえすと、アヴァランシュは尚更眉を寄せた。だが、興味はあるらしい、糸が切れた納豆をまじまじ見詰め、結局口へいれた。以前、明らかに傷んでいる箇所のあるりんごを平気で食べていたし、熟しているか怪しいいちじくも口にしていた。なにか変なものでおなかを壊すかも、とは、思わないようだ。

「うん」もぐもぐと嚙み、アヴァランシュは小首を傾げる。「なかなかいけるじゃないか」

「でしょう」

 いきなり異世界召喚なんてことをしやがったはらのたつ相手だが、事情はわからなくもない。だからはついは、にこっとして頷いた。なんにせよ、納豆の味をわかってくれるのなら、嬉しい。


 今のところ、彼らはもとの世界をモンスターからまもってくれている。最前線で戦って、時たま酷い怪我をすることもあるアヴァランシュよりも、モンスターなんて厄介なものをつくった(しゅ)というやつに怒るべきだろう。或いは、この伝統(別の世界から料理人を拉致してくること)を諒承しているらしい、ほかの世界の偉いひと達に。

 それに関しては、はついは判断できないものの、ほかの世界と約束をしたという『証』があった。証文みたいなものが残されているのだ。一度見せてもらったが、文字が古すぎて判読が難しかった。

 だが、事実だろうとも思う。たったひとり、適当に誰かを異世界へ行かせれば、モンスターの脅威からまもってもらえるのだ。ほかの数十億人を危険にさらすくらいならそれでいいと考えるのは、不思議じゃない。

「ご飯もあるよ。ご飯にかけて食べるとおいしいの。そうしてみる?」

「食べる」

 アヴァランシュは背が高く、細身だが筋肉質で、なによりよく食べた。食べてもふとらない体質のようで、頻繁に厨房に来てはこうしてつまみぐいしていくのに、体形が崩れる気配がない。『誓い』に反する食事内容でなければ、どれだけ食べようといいのだそうだ。

 アヴァランシュ、それに彼のふたごの兄であるテンペストがたてた『誓い』は、五日に一度しか動物を食べない、というものだった。『誓い』は神聖なもので、その難易度によって恩恵がある。王族達は皆、なにかしらの『誓い』をたてており、それによって魔力を底上げしているという。

 もともと魔力の強い家系だそうだが、『通り道』を維持するには膨大な魔力が必要になる。アヴァランシュとテンペストはそれをする為に、魔力を増やした。だが、その『誓い』をテンペストが破ってしまったのが、はついがこうしてここに居る理由のひとつだった。


 鍋のなかにあるご飯を、茶碗とは少し違う、まるさのある器へよそう。女官のひとりが魔法であたためてくれた。湯気のたつご飯に、納豆をたっぷりかけ、切り刻んだ葱を追加する。ポロ葱というやつだと思うのだが、刻んでから洗わないと泥があるのが不便だ。

 納豆にはすでに醤油をまぜこんでいるので、味付けはしない。納豆ご飯を渡すと、アヴァランシュはわくわくした顔でそれを食べはじめた。

「うまい」

「そう。はい、おまけ」

 金串で突き刺すように、揚げ納豆をとりあげた。数回振って油を切り、アヴァランシュの手にした器へいれる。「少し小麦粉をまぜて、揚げたもの。さくっとして、なかがふわふわとろとろで、おいしいよ」

 アヴァランシュは苦労して、大きな揚げ納豆を匙で掬い上げるようにし、かじりつく。はふはふしていたが、眉間の皺がなくなった。

「これもうまい」

「よかった」

 つい、そんな言葉が出てくる。なにを喜んでいるのだろう、と、はついは思う。無理矢理異世界につれてこられて、脅されて料理をしているのに。

 でも、料理が楽しいのは事実だ。モンスターと戦わされる訳でもなく、材料は好きなだけつかってよくて、なにをつくっても誰からも文句の出ない今の環境は、ある種、楽ではあった。だって、誰もなにもいってこない。なにをつくっても文句をいわれない。

 アヴァランシュは納豆ご飯をかきこみ、ごくっとのみこんで、頷いた。

「ほんとに、正解だった。お前は前任者よりももっとずっと料理がうまい。俺達は(しゅ)から格別のご慈悲を戴いたようだ」

 その言葉で、自分の情況を思い出し、はついはかすかに溜め息を吐いた。




「そうだ、これを持ってきたんだった」

 納豆ご飯を二杯、揚げ納豆でもご飯を二杯食べて、アヴァランシュは腰にはさんでいた布包みを、まるで剣をぬくようにひっこぬいた。女官がふたり、すーっと近付いていって、包みをうけとろうとする。だが、アヴァランシュはそれをはついに渡したいようだ。

 はついは金串を金属製のざる(平たいざると皿を重ねて、揚げものを置くと、油がよく切れる)へ置く。胴着と、アヴァランシュが女官達に仕立てさせたあたらしいドレスの間におしこむようにして、腰からさげている手拭いで、手を拭く。揚げものをしていると、どうしても手がべたべたする。

 そうしてから、包みをうけとった。アヴァランシュは満足げに、にっこりする。笑うと少々幼い感じがした。

「お前に頼まれてたものだ。それでいいだろ」

 包みを開くと、箸……のようなものがあった。木を削って細くしてあるだけ、という感じだ。勿論、塗りはなされておらず、どちらかというと割り箸に近い。長さだけは菜箸ほどあるけれど、数回つかったらかびでどうにもならなくなりそうだった。


 はついの反応が思ったようなものではなかったのか、アヴァランシュは眉根を寄せる。「どうした? なにか違うのか」

「えっと。うん。いいんだけど……」

「それにしては、喜ばないな」

 喜んで当然、というような口振りに、うっすら反発を覚えたが、腹をたててもむだだ。だからはついは、小首を傾げる。「わたしがほしいのは、加工されてて、水や油がしみこまないようになってるものなの」

「じゃあ、金属でいいじゃないか」

「金属だと、持ち手まで熱くなるから」

 アヴァランシュは納得した様子ではないけれど、さっと、はついの手から箸を奪い返した。「あ」

「つくりなおさせる」

「いいよ、それで」

「だめだ。料理人は丁重に扱わないといけない。お前の要望は成る丈かなえないといけない。俺達にできることはできるだけする」

 なら、帰してくれればいいのに、と思ったが、それはできないことなのだろう。なにしろ、彼らはひとつの世界につき数十年に一度しか、料理人を呼べない。その料理人を呼んだとて、料理を学ぶこともできないのだ。






 アヴァランシュはかすかに不満そうな顔で出ていき、はついは女官に、テンペスト用の御膳を託した。ふっくら炊いたご飯に、揚げ納豆、葱と豆腐の味噌汁という、身も蓋もないおいしい定食である。豆腐はさいわい、こちらにもあったので、苦労はせずにすんだ。

 一昨日、女官達が持ってきた古いレシピ帳を、ぱらぱらとめくる。くどでは米と、丸麦を蒸していた。どちらも醸すつもりだ。うまくいくかは、毎度ギャンブルである。

 こちらの世界には麹がない。麹、として売られているもの、誰かがつくっているものがない。なので、味噌も醤油もない。さいわい、アヴァランシュはそこまで無体なことはいわず、はついは原料を無駄にしても怒られはしなかった。大豆や米を大量につかって、味噌らしきものや醤油らしきものをつくったのだ。


 酢はあるが、フルーツ酢しかない。酒も、フルーツからできたものだけだ。

 レシピ帳には簡単な料理のものしかのっておらず、そこにも酢や酒のことは書いてあった。くだものをつぼにいれて放っておくのがつくりかただ。女官に訊ねてみると、そうしておけば勝手にできるものだと返事があった。酒は途中で漉して、75度で火入れをし、発酵をとめる。酢も同様。

 火入れの知識はあるのに、どうして料理ができないのかわからないが、そんなもののようだ。都でも有数の、温度に干渉する魔法が得意な一族が、ここにある酢をつくっているという。自家醸造は禁じられていないし、その一族以外でもつくりかたは知っているが、「そんなにうまくはいきません」というのが女官の弁だった。一般家庭や多くの貴族は、温度に関する魔法が得意な者がつくって、その家庭で消費している。といっても、百発百中でうまくいくものではなく、年に数件ほど、悪くなった酒や酢を口にして、一家まるごと病院へ担ぎ込まれるという「事件」が発生する。それはさほどめずらしいことでもない。


 どうやらそういった「食中毒」は、わりと頻繁に起こっているらしい。当然だが、こちらの人間は料理ができない。農業はできるようで、小麦粉やライ麦粉など、非常に品質のいいものが厨房にはある。けれど、パンは発酵がうまくいっていない、もさもさしたものか、酢酸菌にやられた、ぼそぼそしたものが多かった。それでも食べられなくはない。デンプンをそのまま食べるのはまずいというのはわかっているようで、きちんと火を通してはいる。ただ、発酵がうまくいっていないものはともかくとして、酢酸菌の被害に遭っているやつはおいしくない。口当たりが不愉快なのだ。

 そういうものでも、こちらの人間は気にせずに食べた。まずいとも思っていないようだ。パンは「そういうもの」で、おいしいとかどうとかは関係なく生きていく為に必要だ、という観念なのだろう。根本的に、彼らは食事に文句をつけない。


 ダスク夫人、という毒味をしてくれるひとがいて、よかった。彼女が居なかったら、毒になるようなものでも食べてしまっていたかもしれない。食べものが体にいいか悪いかわかる魔法は、めずらしいもののようで、ここにはダスク夫人しかあらわれなかった。ほかに数人居て、持ち回りで王族の食べるものを調べているらしい。

 ここに置かれた食材のうち、加工食品はすべて、そういうひと達が調べていた。ハムや腸詰め、チーズなども、職業的につくっているひとであっても失敗してしまうそうなのだ。おそろしい話だけれど、食品加工に関してこちらの世界の人間はかなりハードルを低く設定しており、ひとが失敗しても責める様子がない。自分もまったくといっていいほど料理をできないから、他人ができなくても当然だと考えている節がある。

 その所為なのか、こちらの世界のひと達は、生のままである程度おいしく食べられるくだものを好んでいるらしい。はついの知らないくだものも幾らか存在していた。この世界から多くの世界へと分岐したらしいけれど、そちらでは絶滅したか、或いはこちらで独自に発展した植物なのだろう。旬が長く、かなり長い間食べられるそうで、女官達はそれとパンとチーズをおもに食事にしていた。




 蒸し上がった米と丸麦を、すのこのようなものでできた、平たい容器にいれる。熱湯消毒した布を敷いてあるので、すのこにくっつくことはない。外へ持っていって、摘んだ花や草を表面に幾らかまき、魔法で時間をすすめてもらった。

「はついさま、お薬の時間でございます」

「はい」

 運ばれてきたマグをうけとり、口へ運んだ。菜園には、アヴァランシュに頼んで設置された、調理台がある。そこにはすでに、すのこでできた箱があって、ゆがいて潰してまるめた大豆を並べてあった。味噌や醤油にするものだ。麹はないから、外に置いて、麹がくっつくのを期待するしかない。

 前は急いでいたから、時間をすすめてもらった。今度も、数時間ずつすすめてもらってはしばらく放置、というのを繰り返している。以前は時間をすすめるのが急だったのと、湿度に干渉できる女官が気を遣い、大豆玉が乾燥しないようにしてしまった。かなりやわらかい状態でかびがついたのだが、今度は順調に乾燥している。軽薄な味の味噌しかないので、時間を少しとることにしたのだ。


 時間をすすめてもらった米と麦は、思った通り、酵母がついている。それぞれつぼにいれて、水や蒸した米などを足し、紙を被せて紐で縛る。穀物酢にするつもりだ。その為には、まずお酒にする。お酒にさえなれば、後は勝手に酢になってくれる。だめそうなら、フルーツ酢はあるのだから、それを種酢にすればいい。

「草を摘んできます。これを見てて。温度が高くなると腐っちゃうから、気を付けてもらえるかな」

「かしこまりました」

 女官を残し、砂糖のはいった大きなボウルと、あまったご飯をお握りにしたものを手に、はついは菜園の奥深くへと向かっていく。






 菜園には、ところどころに兵士が立っている。黒っぽい上下で、腰に剣を帯び、なかには上半身に鎧らしきものをつけている者も居た。皆、はついに気付くと最敬礼する。多分わたしの逃亡防止に立ってるんだよね、と思いつつ、はついはそれにお辞儀を返す。

 この三日ほど、草摘みに女官はついてこない。米を蒸している途中だったり、さっきのように時間をすすむ魔法をつかわせたりで、釘付けにしてあるのだ。別に、逃げるつもりはないが(そんなことをしてももとの世界には帰れないだろうから)、ひとりになりたい時間はある。女官と一緒か、老医師と助手が一緒か、アヴァランシュになにか食べさせているかでは、気が滅入る。

 それにしても、砂糖があってよかった。豆腐もだ。レシピ帳に豆腐のつくりかたはのっており、職人の家系がつくっているらしい。失敗の多い高価なものなので、ひろく一般的に食べられるものではないそうだが、王族だからお金をかけて手にいれているそうだ。


 そのお金はどこから、といえば、大規模な農地の運用などのほか、モンスター退治で手にはいるらしい。

 人間全員が魔力を持っているといっても、それぞれ限度がある。『誓い』をたてれば誰でも魔力を増大させられるが、それを破った場合のペナルティが大きすぎる。王族はそのペナルティをおそれずに、『通り道』をつくってまでモンスターと戦い続けているし、人間の居住地がモンスターに襲われた場合に助けに行くのが普通だそうだ。その際に、「お礼」としてお金だとか食べものだとかをもらえる。勿論、いつものことではないが、モンスターと戦っている人間に辛辣な者はめずらしい。助けられたらお礼をするのが普通らしい。

 モンスターは数限りないし、王族は数年に一回は死者が出るレベルで戦いを続けているとかで、食道楽については国民も納得しているそうだ。国民をまもる為にいつ死ぬかわからない暮らしをしているのだから、おいしいものを食べたいと思っても反感を買いようがない。

 鼻歌を奏で、目についた草を摘みとってはボウルへいれながら移動し、おかわかめの棚をまわりこんだところだった。いくりを摘みとって食べている青年を見付けたのは。




「あ」

 同時に声をあげ、あちらはぱっと手をおろした。だが、口いっぱいにいくりを頬張っているので、ごまかしようもない。

 子どもっぽい笑みをうかべ、彼はいくりの葉をその辺にばらまいた。顔を背け、種をぷっと吐き出す。器用に幾つもを吐き出して、こちらを向き、にやっとした。黒い手袋で口許を拭っている。ほかの兵士と違い、白い上着を羽織っていた。ぼたんはとめず、傍らにはマントらしき黒い布が落ちている。

 浅黒い、かなり整った顔立ちの青年だった。子どもっぽい垂れた目をしていて、まっすぐな髪をしている。髪の色は濃紺で、睫毛や眉もそうだった。瞳は水色だ。

「どうも」

 にっこりされたので、はついは軽くお辞儀する。いくりの木がここに沢山あったなんて、知らなかった。庭はとてもひろい。


 彼にもう一度お辞儀して、木へ近寄り、背伸びして手を伸ばす。いくりをひとつ掴んで、ぐいっともぎとった。手のなかで少し、形がかわる。

 へたのところが綺麗なのをたしかめて、ボウルへ追加した。草だのくだものだのをなんでもかんでも砂糖漬けにしておくと、お菓子をつくる時に砂糖かわりにつかえて、普通の砂糖よりもこくが出るのだ。女官達のおかげで時間をすすめてもらえるし、ダスク夫人がいるからかびなども気にしなくていい。

「なにつくってるの?」

 青年がなれなれしく訊いてきた。兵士から話しかけてくることなどないので、はついは少々面喰らったが、ボウルのなかを示す。「お菓子の為に、シロップを」

「シロップ?」

「お砂糖より、こくが出るから。タルトの時には、このままフィリングにできるし」

 あちらは料理ができない人間だから、通じないだろうとは思ったものの、一応そういった。それから、寸の間考えて、付け加える。「タルト、わかりますか。それの中身にできるの」

「タルト」

「パンみたいなのに、中身が詰まってるやつ。こういう」

 あいた片手で形状を示す。青年はそれを見て、ぱっと表情を明るくした。

「ああ! 甘いやつだ。つくれるの?」

「材料があれば」

 青年は目をきらきらさせ、なにか期待するような顔だ。はついは苦笑いする。こんな兵士ははじめて見た。

「つくってあげようか?」

「食べたい」そういってから、ぱっと、表情が曇る。「でも、食べられないものがはいってたら……」

「ああ、そっか。バターとかつかうから」

 『誓い』をたてるのは、なにも、王族だけではない。どうやらこの青年も、なにかたべられないものがあるらしい。ちょっと考えて、頷いた。

「殿下と同じものなら、食べられる?」

「うん!」

 似たような『誓い』なのか。アヴァランシュの兵士達にも、アヴァランシュ達と同じ『誓い』をたてている者が居るし、上司と同じ『誓い』にするものなのだろうか。

「じゃあ、ココナツ油があればできるかな。殿下に頼めば持ってきてもらえると思う。あ、そうか、ココナッツウォーターがあればナタ・デ・ココもつくれるのか」

 酢酸菌の一種があればできる筈だ。材料なんてどれだけつかってもいい、とアヴァランシュがぶちあげていたし、どうせなら自分もおいしいものを食べたい。それくらいのわがままはゆるされるだろう。


 青年がまた、嬉しそうな顔になった。

「それがあればできるの?」

「うん。食べたい?」

「食べたい!」

 実に元気よく、素直な返事だ。可愛らしくて、はついは笑ってしまう。青年は何故はついが笑ったのかわからなかったようで、小首を傾げた。




「おいしい?」

「うん。おいしい」

 途中で食べようと思っていたお握りをあげると、青年は大喜びで食べた。昼を食べていなかったのか、食べても足りなかったのだろう。こちらの世界の人間は、料理をできないのに、何故か沢山食べる。だから、くだものが重宝されていて、生だけでなくドライフルーツや砂糖漬けも、沢山厨房に置いてあるのだ。料理人が居ない時期でも、とりあえずすぐに口にできるように。

 お握りは、はなだいこんの葉を塩漬けにしたものをまぜこんで握ってある。青年はおいしそうにそれを平らげ、指に残った米粒をぺろっと舐めとった。まだ足りないようで、またいくりをもぎとっている。

「怒られないの?」

「ん?」

「殿下に。ここって、殿下の庭なんでしょ」


 はっきりそういわれた訳ではないが、アヴァランシュ以外の王族が顔を出さないし、庭の状態についてもアヴァランシュが兵士や庭師に指図していた。それに、別の『通り道』をまもっている別の王族は、ほかの厨房をつかっているらしい。

 女官達に訊いても、前提の違いからか要領を得ないことも多いが、それは確定していた。ほかの王族は、ほかの厨房、もしくはほかの宮殿に居る。で、ここもお城の一角だ。はついは自室と厨房、それに庭しか移動しないので、全貌を見たことはない。建物の外観すら知らない。


 青年は答えず、いくりをこちらへ投げてきた。キャッチする。

「食べなよ」

「ありがとう」

 座りこみ、ボウルを傍らへ置いて、いくりをかじった。なかまで紫で、果汁はたっぷり、甘酸っぱくておいしい。

 青年はいくりをとり、次々かじる。種はその辺に捨てていた。

「おいしい?」

「うん」

 へへっと笑って、青年は木を軽く撫でる。「ここ、俺が土を世話してるんだ。籾殻とか稲藁をすきこんでる。最近、豆の滓もいれるようになったんだ」

「へえ。あなた、庭師なの?」

 それにしては兵士のような格好だが、土について蕩々と話すところを見るに、庭師なのだろう。ほかの庭師より随分若い。

 青年は否定せず、またいくりをかじる。はついもいくりに集中した。






 いくりの種はその辺に捨て、だいぶ中身の増えたボウルを持って、厨房へと向かう。兵士達とすれ違って、お辞儀した。あちらも丁寧にお辞儀してくれる。青年は草むしりをするといっていた。今度、なにかさしいれようか。材料がなければ料理なんてできないし、そういう意味では庭師の功績は大きい。


 厨房へ戻ると、穀物の発酵がだいぶすすんでいた。ダスク夫人を呼ぶまでもなく、ぷんと酒精が漂うので、酒だとわかる。それでもやっぱり、幾らかはだめにしてしまったので、捨てておくように指示した。兵士がやってきて、どこかへ運んでいく。訊けば、大丈夫そうなので持っていくという。肥料をつくっているところへ投入するようだ。あの庭師の青年も関わるのだろうか。

 どぶろくを、小さめのつぼへとりわけた。あとで火入れをすると決めて、残りはまた時間をすすめてもらう。半分には種酢をいれた。

 種酢をいれたほうは概ね成功したが、残りは半分うまくいっただけだ。産膜菌にとりつかれているのはともかく、()()()ナタ・デ・ココのような、半透明でつるんとしたものができてしまっているつぼもある。ナタ・デ・ココのようではあるし、おいしそうに見えなくもないけれど、こわいので手はつけない。

 できあがった穀物酢は、やはり軽い、うすっぺらい味ではあるものの、食べられなくはなかった。フルーツ酢と違いあまり癖がないので、扱いやすいから、ひとつはほしかったのだ。米の酢より、丸麦のほうがうまくいった。


 夕食をつくる時間になったので、朝こねておいたパン種の様子を見た。干しぶどうをまぜこんだものだ。乱暴だが、女官に魔法で時間をすすめてもらったおかげか、発酵はだいぶすすんでいた。天板の上にまるめたそれに切れ目をいれ、天板をピザがまのようなオーブンへ滑り込ませた。

 干しぶどうやりんごから酵母をとりだすことはうまくいったが、それをうまくパンにできないでいる。といっても、こちらのひと達は食事に文句をつけず、そこまでふくらんでいないパンでも満足げに食べてくれるのが救いだ。百点満点ではないものを食べさせるのは心苦しいが、いちからつくっているから勘弁してもらいたい。

 どぶろくに火入れして、発酵を停めた。これで、酒まんじゅうをつくれる。小豆はあるし、砂糖や蜂蜜は腐るほどある(腐らないけれど)。


「パンか?」

 オーブンから漂ってくる匂いでわかったか、アヴァランシュは這入ってきながらそういう。背後には三人、兵士が控えていて、鼻がひくひく動いていた。女官達が優雅に動いて、四人にジュースを運ぶ。ジュースは絞り器があって、くだものさえあれば生ジュースをつくれるようになっている。

「ここで食べる?」

 ふたり分の御膳が完成するのを待つ間、アヴァランシュがつまみぐいをしていて、できあがったものを持っていってまた食べる……というのがいつものことなのだが、はついの提案は魅力的だったらしい。アヴァランシュはにっこりしてうなずいた。子どもっぽい笑みだ。

 それを見ると、このひとも悪いひとではないのだと思う。多分、悪い人間ではないのだ。この世界のルールとか、モンスターと魔法の関係性、なにより(しゅ)なるものがよくない。




 パンが焼けるまでに、人参のスープをつくる。なんのことはない。ひたすら千切りにした人参を、菜種油と塩でじっくり炒め、水を注いで煮込むだけだ。野性味のある人参なので、これだけで充分スープになる。

 ただの水を注ぐのも能がないので、野菜屑とハーブでつくった野菜だしを加えた。まったりこってりした味になるが、アヴァランシュもテンペストもそういう味を好んでいるらしいから、それでいいだろう。テンペストは『誓い』を破って、具合でも悪いのか、厨房に来たことはない。しかし、いつでも残さずに食べてくれるし、アヴァランシュを通じて感想ももらっている。

 大きくて、あまり形のよくない蕪を八等分に切り、油で焼いた。蕪にある程度火が通ったところで、にんにくのみじん切りを加える。塩とこしょうで味付けして、蕪のステーキだ。

 玄米のとぎ汁と豆乳からつくった豆乳ヨーグルトに、りんごの砂糖漬け加えてまぜた。果たしてそんなもんからつくれるのかと、半信半疑でつくったものだが、ダスク夫人のお墨付きだ。心配はない。


 パンも無事に焼き上がった。お膳を整え、調理台のひとつへ置く。アヴァランシュは喜色満面、早速食事をはじめる。「あなた達もどうぞ」

 兵士にいうと、三人ともかしこまって頭をさげた。アヴァランシュが嬉しそうにいう。

「遠慮するな。こいつの飯はうまいぞ」

「つくってる訳じゃないのに、あなたがいうの?」

 思わずちくりと刺すような声を出すと、アヴァランシュは憎たらしく、きょとんとして返す。

「だが、俺が(しゅ)にお願いしてつれてきてもらった。お前は俺のだ」

 女官達が笑いさんざめき、兵士は苦笑いになり、はついは呆れてものもいえない。悪いひとではない、とはやっぱり思うのだが、いかんせん常識が違いすぎる世界で育った、王子さまだ。こんなに尊大でも仕方ないのかもしれない。まったくもう、可愛げがないんだから。






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