弱さが情けない
俺の身体には包帯が巻かれている。
薬草の匂いだろうか。
しっかり手当がされていた。
してくれたのは彼女で間違いないだろう。
「ありがとう、おかげで命拾いした」
「いやいや、困ってる人がいたら助けるのは当然のことっすから!」
「ははっ、勇者みたいなことを言うんだな」
「そうっすか? でも、手当は一応したっすけど、傷口が全然塞がらなかったす。どうなってるんすか?」
「ああ……」
俺は包帯の巻かれた左腕を眺める。
腕全体がしびれていて、普段通りには動かせない。
痛みも残っている。
巻かれた包帯には、血がにじみ出ていた。
「時間経過や離れるだけじゃ解決しないのか」
終焉の魔剣で斬られた傷は、所有者を倒さない限り癒えない。
完全に力が解放された魔剣には、治癒を阻害する効果が付与されている。
聖なる力による治癒すら拒絶され、俺の左上半身と左腕には、サタンにやられた傷がくっきりと残っている。
「血も止まらなかったんで、とりあえず包帯で強めに圧迫してあるっすよ」
「助かる。詳しいんだな」
「これでもずっと一人で旅をしてるっすからね~ 旅に必要なことは大抵知ってるすよ。ちゃんと勉強したっすから」
「偉いな。リリスにも見習ってほしいくらいだ」
彼女は勉強が好きじゃなかったからな。
いつも厳しい訓練を嫌がって、すぐ泣き言を口にして。
それでも最後まで逃げずに付き合う当たり、リリスも真面目ではあるのか。
ここでふと気づく。
周りを確認しても、時間を確かめるものはない。
「いま何時だ? 俺はどれくらい眠ってた?」
「え? 時間はたぶん夜中っすよ。見つけた時からなら一日半くらいっすね」
「そんなに……」
眠っている間に一日以上経過している。
なら、当然戦闘も決着しているはずだ。
リリスは……ルシファーたちはどうなった?
「なぁお前、えっと、そういえば名前を聞いてなかったな」
「ウチはネロっすよ!」
「俺はアレンだ。一つ聞いてもいいか?」
「何っすか?」
「外の状況……ルシファーたちが戦っていたはずだ。戦闘はどうなったか知らないか?」
俺が尋ねると、ネロはキョトンとした顔をする。
「ルシファー様? 戦い? そんなのここでは起きてないっすよ?」
「……は? ちょっと待て」
一つの可能性が過る。
俺は痛む身体を無理やり動かし、ベッドから立ち上がる。
「あーちょっと! 無理しちゃダメっすよ!」
引き留めようとするネロを躱して、俺は建物の外に出た。
俺の予想が正しいなら、ここはサタンの城周辺じゃなくて……。
扉を開けた先に広がっていたのは、見知らぬ黒い森だった。
「……どこだここ」
魔界の地理には詳しくない。
ただ確実に言えるのは、大魔王サタンの城周辺にこんな森はなかった。
俺が知っているリリスやルシファーたちの城周辺でもない。
魔界なのは確実だが、まったく知らない場所にいる。
「吹き飛ばされた……いや、移動させられたのか?」
俺は夢の中で本物のサタンと邂逅したことを思い出す。
おそらく魔剣の力に飲み込まれた俺を、本物のサタンがどうにかして救出してくれたのだろう。
俺自身に転移系の能力はないからな。
「ネロ、ここはど――」
「安静にしてなきゃダメっすよ!」
「うおっ!」
振り返った途端に、ネロが飛びついてきた。
そのままの勢いで押し倒され、ネロが俺の上に馬乗りする。
「そんな怪我で無理したら死んじゃうっすよ!」
「……ああ、今さっき死にかけたよ」
見た目通り、腕白な女の子みたいだ。
彼女は俺を無理やり引き起こして、ベッドのほうへ誘導する。
「ほら、ちゃんと寝ててくださいっす」
「……ありがとう」
感謝の言葉とは裏腹に、俺は彼女の手を振りほどき、軽く突き放す。
「ちょっ!」
「心配してくれてるのはわかってる……助けてくれたこと、感謝もしてる。けど、悪い……俺は行かなきゃいけないんだ」
リリスやサラ……みんなの元へ一秒でも早く戻らなければならない。
みんなの無事を確かめないと、いてもたってもいられないんだ。
深い傷は未だ残っている。
完治なんてするはずもない。
ふらつく身体をなんとか堪えて、俺はネロの元を去ろうとする。
「フラフラじゃないっすか。そんな状態でどこへ行くつもりっすか?」
そう言いながら、ネロは俺の前に立ちふさがる。
「行かせないっすよ。成り行きだけど、助けたからには放っておけないっす」
「……ははっ、本当にお前は……」
勇者みたいなことを言うな。
笑ってしまうほどに。
今の自分と、引き留めようとしてくれる彼女……どちらが勇者らしいだろうか。
答えを知るのは怖いから、俺は疑問を振り切る。
「退いてくれ。恩人を傷つけたくないんだ」
「通りたかったら力づくで通ってみるっすよ。今の身体じゃ無理っすけどね」
「……そうか」
なら仕方がない。
全力で振り切らせてもらおう。
俺は両足に力を込め、ネロの左側を抜けようとかける。
だが――
「遅いっすよ」
「ぐっ」
ネロは俺の速度に難なく追いつき、地面に組み伏せる。
両肩を手で押さえつけられ、馬なりになり腰も固定される。
起き上がろうとしても、力で押し返される。
こいつ……強い。
怪我の影響があるとはいえ、俺の速度に追いついた。
しかもこの力……膂力はサラと同等、下手したらそれ以上ある。
俺が力だけで押さえつけられている。
「ぐっ、そ……」
「無理しちゃダメっすよ。これ以上やったら傷がもっと広がるっす」
「だとしても……行かなきゃいけない。俺は……勇者だから」
「馬鹿っすか! そんな状態で戦いにでも行くつもりっすか? 確実に死ぬっすよ。今ならウチでも殺せるほど弱ってるっすからね」
抜け出そうとしても、抑え込まれる。
今、もし彼女が本気で俺を殺そうとすれば、俺は抵抗できない。
ぐうの音も出ないほど本当のことだ。
今の俺は弱っている。
いいや、俺は……。
「……弱いな」
気づけば瞳から涙が零れ落ちていた。
泣くなんて情けないとわかっていても、自然に溢れる水滴は止まらない。
本当に情けなさ過ぎて嫌になる。
何が最強の勇者だ。
リリスには必ず勝つと格好つけて、結局負けてるんじゃないか。
不甲斐ないし、惨めだ。
人生で初めて味わった敗北に、心が折れそうになっている。
ただ負けたわけじゃない。
絶対に負けられない戦いで、俺は敗れてしまった。
その事実が圧し掛かり、心が壊れてしまいそうだ。
「まずは落ち着いてくださいっす。主様が関わってるならウチの問題でもあるっす。協力するっすから」
「……ああ」
俺は自分の弱さを噛みしめるように、涙を拭った。