怠惰と色欲
魔王城一階。
すでに激しい魔法合戦が繰り広げられていた。
「ボクと撃ち合いするつもりですかぁ?」
「ひっひっひっ、わたーしも魔法は得意なんですよぉ」
待ち構えるは『色欲』の魔王アスモデウス。
対するは『怠惰』の魔王ベルフェゴール。
お互いが背後に複数の魔法陣を展開させ、魔力エネルギーの弾丸を放つ。
相殺し、爆発する。
一歩も譲らぬ攻防だが、優勢なのは当然ベルフェゴールだった。
「本当に得意なんですか? 威力にムラがありますよー」
「ひっひっ、さすがに……」
ベルフェゴールの魔法センスは魔界一である。
魔力の総量、操作感、魔法を扱うために必要な要素の全てがトップクラス。
現代において、彼を超える魔法使いは存在しない。
あのルシファーも認めるほど、最高の魔法使いである。
アスモデウスも魔法使いとしては優れているが、ベルフェゴールには及ばない。
徐々に地力の差が出始める。
「ふぁ~ すぐ終わりそうですね」
「……それはどうでしょうねぇ?」
直後、ベルフェゴールは意識外からの砲撃を受ける。
完全に死角になっていた背後、首の後ろを狙った攻撃だった。
予め結界を用意していたおかげで彼は無傷だ。
「今のは……」
「お忘れですかぁ? わたーしにも、大罪の権能があるんですよ」
続けて二発、ベルフェゴールが予想できないタイミングの攻撃が放たれる。
目の前で撃ち合っているものとは別。
異なるリズム、威力で放たれる攻撃に、ベルフェゴールも意識を裂かれる。
「あぁ~ これが色欲の幻術ですかぁ」
ベルフェゴールは瞬時に理解する。
『色欲』の権能、その効果は幻術である。
砲撃の中に幻が含まれていて、本命が隠されている。
すでに魔法陣は複数、自分の周囲に展開されているのだと。
「だったらこうすればいいですねぇ」
ベルフェゴールは正面だけでなく、四方に向けて砲撃を展開する。
加えて炎の渦を魔法で生成し、近距離の魔法陣を破壊していく。
いかに幻術で隠していても、実体を透過することはできない。
そこにあるのならば破壊できる。
誰にでもできる攻略法ではないが、ベルフェゴールほどの魔法使いなら造作もない。
「これで不意打ちの弾はなくなり――」
「残念。まだですよぉ」
砲撃がベルゼビュートの背中に直撃する。
完全に意識外、防御も間に合わなかった。
「っつ……あれ、おかしいですね……」
ベルフェゴールは背後を見る。
そこはすでに、砲撃と炎で攻撃した場所だった。
「壊れてなかった……?」
「いいえ、壊れていたのでしょうねぇ~ あなたの想像の中では」
続けて三発、攻撃が着弾してしまう。
ベルフェゴールは膝をつく。
『色欲』の権能は、ただ幻術を見せる力ではない。
その程度の力が、大罪の名を冠することはない。
かの権能の神髄は、対象が望んだ結果を幻術として見せることにある。
すなわち、ベルフェゴールが想像した彼にとって都合のいい光景が、権能によって再現されている。
現実は異なり、彼は魔法陣を破壊できていなかった。
「厄介な……力ですねぇ」
攻撃を受けながらも、彼は未だに砲撃の手を緩めていない。
一瞬でも気を抜けば一気に押し返される。
アスモデウスとの、正面での砲撃戦は未だ継続中。
そこに加え、権能によって隠された本命の攻撃が来る。
集中していても足りない。
魔力の消耗より、このままでは体力の消耗が著しいと判断したベルフェゴール。
「なら、ボクも使いましょうか」
一手、仕掛ける。
ベルフェゴールもまた、大罪の一柱。
彼も権能を有している。
「さぁ、眠れ――」
彼の権能は歌。
歌を聞いた対象は、静かにその機能を停止させる。
たとえ魔王であっても、彼の歌を聞いてしまえば逃れることはできない。
そう、聞こえれば……。
「無駄ですよぉ。そんな音はわたーしには聞こえません」
「結界……ですか?」
「ええ、音を完全遮断する結界です。あーでも、わたーしは口の動きで言葉はわかるので、会話はできますからご心配なく~」
すでに対策は万全。
アスモデウスは自身の周囲に結界を展開、外の音を遮断した。
音とは振動である。
振動さえ抑えてしまえば、音はアスモデウスの聴覚に作用しない。
「残念でしたーねぇ~ あなたの権能ごとき、この程度で防げてしまうんですよぉ」
「――そうですね」
ベルフェゴールは笑みを浮かべる。
その笑みに、アスモデウスが眉間にしわを寄せる。
「どうして笑っていられるのですかぁ?」
「ん? だって、まだ気づいていないみたいですからね~」
「何を言って」
「ほら、もう押し込まれていますよ?」
ずっと拮抗していた砲撃戦に動きが生まれる。
アスモデウスの砲撃が次々に押し戻され、魔法陣が破壊されていく。
「なっ……なぜです?」
「ボクの権能は歌です。歌は振動を伝える……だから別に、振動さえ伝わればいいんですよ」
「何を……」
「わからないですか? じゃあ教えてあげます」
ベルフェゴールは指をさす。
アスモデウスを、否、彼を守っている結界を。
「ボクの権能の対象は、生物に限りません」
結界にひびが入り、一瞬にして砕け散る。
「振動が届くものなら、なんでも効果があるんですよ~」
「そ、そんなぁ!」
音を遮断する結界も、外から常に振動は伝わっていた。
徐々に弱体の効果を受けていた結界が、ついに耐えられなくなって砕けたのだ。
砲撃が圧倒されるようになったのも、彼の歌が届いた魔法陣が効果を失っていたから。
ただ歌を聞いた相手を眠らせるだけ。
その程度の力が、大罪の名を冠するわけがない。
「くっ!」
アスモデウスは再び結界を展開する。
しかしわずかに、ベルフェゴールの歌を聞いてしまった。
彼の効果は身体に蓄積される。
「さぁ、我慢比べですよぉ~ ボクは苦手ですけど、あなたはもっと苦手になりますね? これから……」
「こ、こんな程度でわたーしが負けるなど!」
アスモデウスが反撃する。
幻術で隠していた攻撃を繰り出す。
が、その全てはベルフェゴールの手前で制止する。
「無駄ですよぉ~ ちょっと疲れるけど、結界を五重にしましたから」
「五、しかもこれは……時間停止?」
「そうですよ~ ボクに届くまでずーっと遅くなります。見えなくても関係ありませんから、その間に――」
ベルフェゴールは砲撃を加速させる。
これまでは様子見。
相手の力が分かった時点で、全力の魔力を注ぐ。
「ば、馬鹿なぁ!」
「あなたを倒しちゃえば問題ありませんよねぇ~」
魔法、権能、策略。
その全てで圧倒し、攻撃の雨がアスモデウスに降り注ぐ。
魔法合戦の騙し合い。
その勝者は欠伸をする。
「ふぁ~ 眠いですねぇ」