狐の面は何を写す?
初短編です。
生暖かい目でお願いします()
カラコロ、カラコロ
私の白く細い足首に、曼殊沙華のような真っ赤な紐に括られた、小さな鈴が鳴り響く。
それは、ここに私がいますよと皆に告げるお呪いの音。
カタカタ、カタカタ
音の出所は、私が履いた血のように赤い下駄の鳴る音。
それは、私の走る速度を少しでも遅くするための巫女の装備の一つ。
でもなんでかな?私は確かに、巫女の務めを果たすため、贄の務めを果たすため、山を登ってお社へ。
それから山を下って供物としてやってきたのに。
私は気が付けば、白くて愛らしい狐の面をした、私の背よりも小さな子供に手を引かれていた。
「どこへ行くの?」
「そっちはお社しかないよ?」
私が子供に問いかければ、子供はそれでいいんだよと私の手をグングン引いていく。
でもここで子供に手を引かれて行ってしまえば、私の務めが果たせない。
子供に手を放してよ、と振り払う。
それでも私の手よりも小さな手は、私の手をしっかりと掴んで離してはくれなかった。
『だめだよ、君がこんなところにいては』
『君はもっと日の当たる所に行かないと』
子供は真直ぐ前を見たままで、私に語り掛ける。
パチパチ パチパチ
私と子供の背後から、青白い行灯が宙を揺らめく。
幾つも浮いた青い行灯は、列を成して私たちを追いかけてくる。
それはまるで百鬼夜行と恐れられる、妖たちの厳かな葬列のようだった。
カラコロ、カラコロ。カタカタ、カタカタ
私の体から、走るたびに沢山の音が鳴る。
私はここよ、ここにいるよ。
望んでもいない私の主張が音として風に運ばれていく。
それと同時に私の目の前で、子供のふわふわな黒髪も踊っている。
歩きづらい真っ赤な下駄に、歩きにくい白装束で私は子供と一緒に山を上がる。
さっき通ってきた道を通って、さっき苦労して降りた石階段を上っていく。
不意に、石階段を上っていたら、大きな大きな破裂音がした。
ドオン、ドオン
大きな破裂音が私の耳朶を震わせる。
そのあとにやってくるのは、きれいなきれいな周りを明るく照らしてくれる白くてまばゆい光。
『懐かしいね。一緒に君とみた大きな花火のようだね』
『懐かしいね。色は違うけど、君とこうして手を繋いで見上げた花火に似ているね』
愛らしい狐の面を被る子供が、足を止めて辺りを白く映す花火を見ていた。
私もそれにならって、石段から見える花火を見上げてみた。
何年ぶりかな?花火なんて、大切な子と離れて以来見てなかったな。
花火の音に混じるように、青白い行灯たちも私たちを捕まえるために石段を駆けあがってくる。
最後に、こんなにきれいな花火が見れて、私は幸せだった。
でもね、その隣にはいつも私に微笑んでくれていた大切な子はいなかった。
それだけが、唯一それだけが心残りなの。
つっと私の頬に、生暖かい雫が伝っていく。でも、それさえも明かるげに輝く花火が、光で私ごと溶かしてくれるようで、どこか夢現。
『泣かないで』
狐の面をした子供が、必死に小さな体を伸ばして私の涙をさらっていく。
私は身を屈めて、それをさらってもらった。
「ありがとう、狐くん」
笑顔で狐の面をした子供にお礼を言うの。
この子が一体、私の手を引いて何がしたかったのかは分からない。
それでも、こうして最後に花火を見せてくれたお礼は言いたかった。
最後にこんなに優しい子と、一緒に花火が見れたのが嬉しかった。純粋に嬉しかった。
パチパチ、パチパチ
青白い行灯と、色とりどりに光る花火が狐の面をした子供を鮮やかに写していく。
子供のふわふわな髪の毛は、どうやら黒ではなくて、白だったみたい。
きれいな、きれいな、花火や行灯にも負けない淡い白銀の髪の色。
まるで野に駆け回る雪兎を彷彿とさせる狐。
『さあ行って。あと少し石段を登ったら、君の元居た場所へ帰れるよ』
子供は、私の手をそっと離してしまう。
どこか人離れした、ひんやりと冷たい小さな青白い手。
でも私には、その小さな手からじんわりとぬくもりが伝わってきていた気がした。
「いや。私は務めを果たしに来たの。帰れないわ」
「それに待ってくれている人なんていない」
「ねえ、お願い。優しい優しい狐さん。私がいなくなるまで傍に居て」
もう一度、愛らしい狐の面をした子供の手に、私の手を重ねてみる。
でもその手はするりと抜けられてしまって、私の手は所在なさげに空を切った。
『だめだよ。君はここにいていい人じゃない』
『お願いだから、僕の言うことを聞いておくれ』
パチパチ、ドオンドオン
相反する二つの音が、私の鼓膜を刺激する。
目の前には見たこともない姿をした、おかしな人たちが私と子供を見ていた。
ゆらり、ゆらりと青白い灯が私と子供を怪しく照らす。
『僕はね、この日のために色んな準備をしてきたんだ』
『あの日君の元から去ったあの日から。ずっとずっと』
じりじり、じりじり
私をかばうように、子供が一段また一段と後ろ手に登っていく。
それに連られて私の足も後退していく。
でも、目の前の青白い光を浴びた青白い顔の人たちは、一歩また一歩と上ってくる。
『だからね、大丈夫。君のいる世界には、もう君を傷つける人たちはいない』
『僕を信じて』
一歩、また一歩と下がっていけば、ついには石段を登り切ってしまっていて、後ろには小さくて古ぼけたお社が鎮座した場所へでてしまった。
すぐ後ろには、真っ赤に塗られた綺麗な鳥居が、私を見下ろしてくる。
「いや、怖い。あなたの事を信じきれないわ」
「だったら、貴方も着いてきて」
「私の傷つかない世界に、あなたも来て」
私がわがままを言えば、愛らしい狐の面をした子供は首を横に振った。
そっちには、僕の居場所はない、と。
『僕は、君とは違うから。君とはずっといられない』
『でもね、君の思い出の記憶としてなら、ずっと君の傍に居られるよ』
そう言って、面をした子供は私の方へと振り返る。
怪しげな空に打ち上がる、鮮やかな花火たちを背に子供の白銀の髪が揺れている。
『怖がらないで。恐れないで。君のいる世界は、どこよりもきれいな場所だから』
子供が自分の顔に付けている、愛らしい狐の面の紐を解いていく。
カラン、カラン。カラコロリン
鳴り響いたのは、地面に打ち付けられた狐のお面の軽やかな音。
お面の下から現れたのは、綺麗で真っ白な睫に縁どられた黄金の瞳。
『僕の事を、心の片隅で良いから。どうか、忘れないで』
私には分かった。分かってしまった。
見た目はすっかり変わってしまったけれど、輪郭や、大きくてまん丸なお目目や、透き通った声はずっとずっと変わらない当時のままのもの。
私を置いていってしまった、私の大切な子。
ずっとずっと一緒に花火が見られると思っていた。
それすらも奪った、村の因習。
賑わう喧騒の裏側で、誰かのすすり泣く声は常に飲み込まれていく。
ドオン、ドオン
やけに大きく響く花火の音が木霊する。
その色は、血を塗りたくったように赤かった。
びっくりして、私が花火に気を取られていたら、不意に体が宙を舞った。
カコン、と響く下駄の音。カラコロリン、と鳴る鈴の音色。
私は、気が付いたらあの子の手によって突き飛ばされていた。
「待って。おいていかないで」
私が小さな手に縋ろうと、伸ばしてみたけれど。
あの子は何故か、黄金の瞳を穏やかに細めて笑っていた。
あの子も同じように、私に向かってその青白い小さな手を伸ばしてくる。
想いが通じた、そう思った。
また一緒に居られると。でも違ったの。
『また、どこかで逢おうね。その時は』
とん、と触れた指先と指先は、別れの口づけのようでいて。
私はそのまま指先を押し返されてしまって、吸い込まれるように真っ赤な鳥居をくぐっていた。
ドオン、ドオン
再び真っ赤な花火が打ち上がる。
あの子を真っ赤に染め上げて、まるで血の海に吸い込んでいってしまうように。
真っ赤な真っ赤な花火は、私の視界さえも赤く塗り替えてしまって、あの子の姿が真っ赤な光の中へと溶けていった。
「やだ! 行かないで!」
そうして手を伸ばした先には、もちろん何もなかった。
真っ赤な視界はいつの間にか真っ暗に変わっていて、恐る恐る瞼を上げてみる。
そこは――――真っ赤な真っ赤な花火が打ち上がる中で、小さなお社さえも赤く染め上げた場所。
地面に置いていた手を持ちあげたら、パシャリと音がした。
地面さえも真っ赤な真っ赤な曼殊沙華。
彼岸の近い今の時節にぴったりな、真っ赤な真っ赤な血の池ができた場所。
何も変わらない、裏と表で言えば、表の場所。
でも、見た目は裏の場所。
でも石段の所にはあの子はいなくて、やっぱりここは表の場所。
私は《自由》と引き換えに、裏の場所で、あの子と感情を落としてきてしまった。
「待ってて、待っててね」
ぐちゃぐちゃに散らばる血の海の中から、何かを探す。
目当てのもの、目当てのも。
ドオン、ドオン
今度は、青白い花火が夜の帳に大輪の花を咲かせる。
それに反射するように、私の手元に握るものも、青白く反射する。私のそぎ落とされた表情と共に。
そうして私は、それを高らかに掲げるの。
こうすれば、きっとまたあの子に会える気がしたから。
「待っていて。もう、一人にしないから」
山の麓からは、賑わう喧騒が聞こえてくる。
それは表のものか、裏のものか。
ドオン、ドオン
まるで私の門出を祝うように、色とりどりの大輪の花が宙を染め上げる。
それと同時に私の喉にも、曼殊沙華のような大輪の花が咲いた。
その時に、最後に目に映った大きな花火は……あの子と最後に見た血のように真っ赤だった。
終わり
お読みいただきありがとうございました<(_ _)>
この短編に当たっての解説~
舞台はお江戸末頃。江戸から少し離れた小さな村では、年に一度の夏に楽し気に賑わう盆祭りが行われていた。
しかしその裏側では、地獄の鬼たちの住まう“裏”が窯の蓋を閉じる時期でもある。
彼らはその気を狙って、この時節特有の罰を受ける霊たちの里帰りに紛れて生霊を貪っていた。
特に短編の女主人公の住まう村では、この時期になると“裏(黄泉・地獄)”と“表(現世)”の境が曖昧になる霊山が聳え立っていた。
故に村人たちらの被害は甚大だった。
しかし数百年前、とある黄泉の鬼からある提案をされる。
「毎年生贄を霊山へ寄越せば、我々はその年お前たちを襲わない」
喜びに沸いた村人たちは、それから数百年連綿と鬼たちに供物を捧げてきた。
しかしそんな彼らに誤算が生じる。
それはとある少年が生贄としてやってきたときのこと。
その少年は、なんと半妖であった。それも霊力の強い半妖だ。
鬼たちはたちまちに少年の手によって制圧されていくのだが、それでも一部はまだできていない状態だった。
そんなときにやってきたのが、幼い頃に共に遊んで、共に花火を見た大切な少女であった。
村人たちの生贄の基準は主に容姿。他には孤児や動けない子らが大半だった。
それを知っていた少年は、少女の容姿・孤児であることからいつか必ず選ばれる日が来るだろうと予測していた。
そして彼女はやってきた。
成長して少女から、大人の女性へ成長している途中の時に。
少年はついに、霊山を伝って現世へと乗り込む。
黄泉へと足を踏み入れた少女に気付かれないように、そして彼女が食べられる前に事を終わらせる。
現世にきた少年は、小さなお社に集っていた悪い因習を継続させるものたちを血祭りにあげる。
そして颯爽と少女を迎えにいった。
彼女をもとの現世へ生きて帰すために。
しかし少年は、既に黄泉の食物を口にしてしまっており(黄泉戸喫)、共に現世で暮らすことはできなかった。
だから、彼女だけでも生きてほしいと霊山へと引き戻す。
しかしそこで、まだ一部の反乱分子が少年と少女を発見し、彼らを追いかける。
逃げて逃げて、少女が歩きにくそうにしていても、彼女の肌に黄泉の傷をつける訳にはいかないから、ひたすら逃げた。
しかし石段を登り始めたところで、ついに彼女が息切れをおこしてしまう。
少年は覚悟を決める。
少年の眼前に広がるのは、現世にいた頃に少女とみた花火だった。
この時節、霊山の周辺一帯が黄泉と現世の境を曖昧にさせるため、現世で打ち上がる花火が黄泉でも見れたのだ。
そして少年は少女を背に隠し、地獄の鬼たちと相対する。
ここで切り刻んでもよかったのだが、そんな姿を少女に見せるのは気が引けた少年は、威嚇をしながら動こうとしない少女を追い立てる様に山上に向けて後退していく。
やがて山頂である小さなお社がある開けた場所に出るのだが、現世に通じているのはお社ではなく、手前に建てられている赤い鳥居だった。
鳥居と言うのは、謂わば玄関のような役割。
つまり鳥居をくぐれば現世の玄関に入ることができる。
少年はこれが最後になるだろうと考えて、自分が実は花火を共に見ていた仲であった、死んだ少年だと明かす。
霊力の使い過ぎで姿が獣色に近くなりはしたが、それでも少女ならきっとわかるだろうと願いを込めて微笑む。
そして少年は少女を鳥居の方へと突き飛ばすのだった。
場面変わって、現世に戻った少女は少年の手によって惨たらしく殺された村人たちの血の海の中で座り込んでいた。
しかしずっと死んだと思い込んでいた少年は、黄泉の方で生きていて。でも一緒にはいられないと言った。
ならば自分が死ねばいいのではないかと思い至る。
少年は少女にとって、唯一無二の友達であり、唯一愛した者であった。
そして少女は刃となるものを探して、少年が持っていた刀の折れた刀身をたまたま見つける。
殺し過ぎたせいでなまくらになってしまったので、捨ててしまったが故に少女の死因となる存在になる。
そして少女は、少年と共に見た花火を横目に自害した。