異世界で前世の飼い犬に会った
私の名前はシェンヌ。街のしがない薬屋だ。
今日は森に薬草の採取に来ている。順調に必要な素材を集め……
道に迷った。
「本当にお前は手がかかる」
「ごめんって」
おばさんが今でも心配する気持ちがよくわかる、と悪態をつくのはティヨル。小さい頃隣の家に住んでいた幼馴染だ。整った顔をしているので所属する騎士団の中でも人気、らしい。(その割には女っけないよね、と前に言ったら睨まれた。)
昔から世話焼きで心配性で、仕事がない日はずっと私と一緒にいる。
今日の採集にも最初からついてきていて、今も迷った私の道案内をしてくれている。
……っていうか、普段から魔獣討伐のためにこの森来てるんだから、私が迷う前に何か言ってよ。
こんな森の深部に来るまで何も言ってくれなかった幼馴染を軽く睨むが、返って来たのは小言とため息だった。
「この森は魔獣も出るから気をつけろって前にも言ったろ」
「平気だよ、今まで一回も遭ったことないし」
そう言いながら口を尖らせ、視界の隅に入った薬草を摘み取るために少し道を逸れる。
「え」
目の前に小型の魔獣がいた。
驚いて動けずにいると、ゆっくりこちらを振り向いた魔獣と目が合う。
チカッと、脳裏に映像が瞬く。
目の前の魔獣によく似たものを撫で回す……これは……私?
「……マロン?」
無意識に呟いた途端、目の前の魔獣がぴくりと反応する。
「わんわんっ!!」
魔獣はしっぽをぶんぶん振り回しながら、いきなり私に襲い掛かって来た。不意打ちの攻撃に、体重を支え切れず後ろに倒れこむ。
瞬間、目の前が真っ白に染まる。
「シェンヌ!?」
幼馴染の声を遠くに聞きながら、私は意識を手放した。
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夢を見た。いや、思い出に近いのかもしれない。
地球、と呼ばれる星の日本、と呼ばれる国に生きた一人の女性の記憶。
目を覚ましてもその夢の記憶は薄れず、むしろはっきり鮮やかになった。
ああ、これ異世界転生ってやつだな、と妙に納得した。
思えば、小さいころからずっと違和感があった。
自分の明るい緑の髪色が嫌いだったし、ティヨルの家族の黒髪黒目が珍しいと言われていることが信じられなかった。
この世界は平らだと言われれば反発したくなったし、魔法や妖精が普通に存在することが不思議だった。
それが全部前世のせいだったって?
テンプレ展開すぎて乾いた笑いしか出ない。
笑った拍子に後頭部を触ったら、ビリビリと痛みが走った。ぶつけたところが傷になっていたらしい。
思わぬ痛みに盛大にうめく。
「シェンヌ!」
バン、と音を立てて部屋のドアが開いてティヨルが現れた。私の声を聞いて隣の部屋から飛んできたらしい。
そういえばここどこだろう、と辺りを見回すと、見慣れた自分の部屋だった。どうもあの後ティヨルが運んでくれたようだ。
申し訳ないな、と思っていると、ティヨルは私の後頭部を確認してから持ってきた氷のうを当て、一旦部屋を出たと思ったらスープを持って帰って来た。重ね重ね申し訳ない。
くるくると動き回るティヨルを横目に、私は窓の外に目をやる。
私の家兼店のこの場所は街の外れにあるので、部屋の窓からは森の入り口が見える。
私の視線の先に気づいたティヨルが顔をしかめた。
「あの魔獣、ずっとこっちうかがってるんだよ」
森の入り口には、先ほど私を襲った魔獣がじっとたたずんでいた。
私がずっと魔獣から目を離さないのをどう解釈したのか、急にティヨルが剣を持って立ち上がった。
「ちょっと今から倒してくる」
「やめて!」
突然大声を出した私に驚いたのか、ティヨルがびくっと体をこわばらせた。
何を言ってるんだとばかりにこちらを睨むティヨルに、私は慌てて言い訳をする。
ごめん、でも今あの魔獣を殺されるわけにはいかないの。
危ない目に遭ってほしくない、とか色々言い募ると、最後にはいかにも渋々、といった感じで頷いてくれた。
「今日は帰る。気をつけろよ」
その後も私の世話を焼いたティヨルは、最後に私をひと睨みしてから帰っていった。信用ないなあ、私。
大人しくティヨルを見送った私は、もう一度窓の外を眺める。
「魔獣……ねえ……」
先ほどの魔獣が相変わらずこちらを見ているので、森の入り口に向かうことにした。
魔獣はこの世界では一般的な存在。よくある異世界の例に漏れず、魔獣は人間を襲うので討伐すべきものとされている。
でも、木の陰から私をじっと見ているあの小型魔獣はどう見ても……。
「マロン」
試しに呼びかけると、ちぎれんばかりにしっぽを振ってこちらに駆け寄って来る。
「わんっ! わんわんっ!」
嬉しそうに吠えながら飛びついてきたので思う存分撫でまわす。この反応、この毛並み……やっぱり間違いない、前世の飼い犬マロンだ。
マロンは前世の私が最期に飼っていたゴールデンレトリーバー。とても賢い子で、私によく懐いてくれていた。
前世の私は国の平均寿命くらいまで生きて大往生だったはずだけど……そういえばその後マロンってどうなってたんだろう。
マロンを撫でながらつらつら考えていると、後ろから聞き慣れた声が響いた。
「シェンヌ! 今すぐそいつから離れろ!」
「え、やだ」
ティヨルだ。帰ったんじゃなかったのか、と思わず舌打ちしそうになる。
マロンの頭をわしわしと撫でつつ振り返ると、ティヨルは怖い顔でこちらを見ていた。
剣を構え、すぐにでもマロンを殺してしまいそうな様子に、私は眉をひそめる。
「……殺す必要ないと思うんだけどなあ」
ぽろっとこぼした言葉に反応し、ティヨルの目がみるみる見開かれた。次の瞬間、すごい力で引き寄せられ詰め寄られる。ちょっと、吊り上げられて足浮いてる。苦しい。
後ろのマロンがうなり声を上げているが、そんなことお構いなしだ。
「なんでそう思った。根拠を話せ」
「……頭おかしくなったと思われるからイヤ」
「大丈夫、お前がおかしいのは前からだ」
「ナチュラルに失礼ね」
この状況で魔獣を無視するティヨルも大概おかしいでしょ、という言葉は胸にしまう。
「マロ……この子から、私を襲おうって意思が感じられないんだよね」
根拠と言えるのかも怪しい根拠を展開している自覚はあるが、ティヨルはそれで引き下がってくれた。
そのままマロンを連れ帰ろうとするとやはりティヨルに怒られたが、手元に置いて研究したいとかなんとか言って黙らせた。
誰がなんと言おうと、私はもう一度マロンと暮らすのだ。
ティヨルと別れて家に戻り、マロンを撫でつつ今日の出来事について思い返す。
冷静に考えると単にマロンに会っただけなのに、随分色々あったような気がする。
私が転生していたことだけでも衝撃なのに、マロンが魔獣としてこちらの世界にいるなんて。
……っていうか、魔獣ってどう考えても前世の動物なんだよなあ。
小型魔獣はまんまイヌだし、中型魔獣はどう見てもイノシシ。大型魔獣は見たことないけど、話を聞く感じはクマだ。ウサギやシカもいた気がする。探せばもっともっといるんだろうな。
この世界に生きる人間以外の存在は、妖精をはじめ、人間と意思疎通ができるものが主だ。意思疎通ができないものをまとめて「魔獣」とされている。
意思疎通ができないからって全部悪者って決めつけていいのかな?
悶々とした気分で、私は眠りについた。
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「……シェンヌお前、本当にそいつ連れ帰ってたのか」
翌日マロンと一緒に店に出て準備をしていると、開店前にも関わらずティヨルが入って来た。気のせいかな、ちょっと顔が引きつってる気がする。
ちょうどいいところに来た、と笑いかけると、既に完全に引いた顔になっていた。
「あのさ、魔獣のこと研究してるとこってどっかないかな」
笑顔のまま私が言うと、ティヨルは一瞬で普段の顔に戻った。思ったよりまともなことだった、と安心したのが手に取るようにわかる。いちいち失礼な幼馴染だ。
「騎士団の基地の近くに魔獣研究所ってのがある」
ただ、その研究所の中には研究員と騎士団員くらいしか入れないという。
「そっかあ困ったなあ」
「ばかそこ触るな、治りきってないだろ」
無意識に後頭部を掻こうとしたら、ティヨルに腕を掴まれ止められた。ありがと、とお礼を言いつつ考えこむ。
魔獣討伐の動きが活発になったのはここ数年だったと思う。魔獣が人里で暴れるようになったから発生源に行って討伐するとかなんとか言ってた気がする。
根こそぎ討伐するってことはその種を絶滅させるってことになる。確か動物が一種類いなくなると生態系が崩れて大変なことになるんだよね。影響が出るのが魔獣たちだけならいいけど、植物にも及べば薬屋としても死活問題。貴重な薬草が手に入らなくなったら大変だ。
だからその魔獣について調べてもらって、絶滅させたら悪影響が出ることを証明してもらいたかったんだけど。
さて、どうしたら研究所に入れてもらえるかな。
うーんうーんとうなっていると、しばらく静かにしていたティヨルが大きくため息をついた。
「……あのな、いつも都合よく俺のこと使う癖に、一番利用すべきときにしようとしないのなんでなんだよ」
「……あ、忘れてた」
そうだった、目の前の幼馴染は騎士団員なんだった。
ぽんと手を打つと、もう一つため息がオマケについてきた。
「で、研究所で何したいんだお前は」
どこか諦めたような顔で聞いてくるティヨル。
「魔獣の生態を調べてもらいたいんだよね」
目を丸くして固まったティヨルに、私は昨日の晩から考えていた理屈を披露する。
「普段魔獣がどう暮らしてるかがわかれば討伐も楽になるでしょ」
「ああ」
「で、もし万が一魔獣が危なくないってわかれば」
その一言を発した途端、ティヨルがヤバいものを見るようなジト目になった。
そんな万が一起こんねえよ、って顔してるティヨルを無視して私は話を続ける。
「そうすれば騎士団の負担が減るでしょ?」
「……そうだな」
自分の負担が減る、という言葉に反応してか、ティヨルの目に光が戻る。
「そしたらさ」
なぜか期待の籠ったような目線を投げてくるティヨルに向き直る。
「一般の人にも薬売ってあげられるじゃん!」
満面の笑みで言うと、なぜかティヨルががっくりとうなだれた。
「あああ、なんでこんなヤツに惚れてるかな俺は……」
「ん、なんか言った?」
「いいやなんにも」
ティヨルは小さな声で何かつぶやいていたようだったが、聞き返したらはぐらかされてしまった。
それでも、研究のことは研究所の知り合いに掛け合ってくれるらしい。やはり持つべきものは騎士団員の幼馴染だ。
普段口うるさく小言を言われることしかないので、ちょっと誤解していたかもしれない。これからはちゃんと敬おう。
私の気持ちを代弁するかのように、マロンがわふっと鳴いてティヨルに飛びつく。ティヨルは始めこそ腰が引けていたが、次第に慣れたのか普通に遊び始めた。さすが騎士。
マロンがじゃれついているうちに、出勤時間が近づいたらしい。ティヨルは床に置いていた荷物を手に持ち直し、出ていく支度を始めた。
それじゃあ、と言って送り出そうとすると、ドアノブに手をかけたところでティヨルがこちらを振り返った。
「そうだ、その魔獣は開店後店に出すなよ。客が逃げるぞ」
「……わかってるよ!」
……訂正、やっぱりティヨルは口うるさくてお節介だ。
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あれから3年。
「……ということで、研究がひと段落しましたのでご報告にあがりました」
私は店を臨時休業にし、ティヨルが連れてきた研究所の学者さんの話を聞いている。
足元にはこの3年ですっかり店のマスコットになったマロンが寝そべっている。
ティヨルはもうこの話を聞いたことがあるらしく、最初から眠そうだ。
ティヨルが連れてきた学者さんは、もともと妖精の生態を調べていたらしい。
それが3年前に魔獣関連の部署に異動になり、生きる様子を調べていたのが急に殺し方を考えることになって精神的に参っていたそうだ。
そこにティヨル(実は私)が「魔獣の生態を調べて欲しい」と言ってきたので、騎士団からの依頼という形を取って上に掛け合ったそうだ。
ここ数年魔獣の出現が増えていたことから、すぐに研究チームが新設されて割とあっさり研究費が下りたらしい。私とマロンは目をぱちくりさせることしかできない。
そこからの研究成果は目覚ましかったという。
最初は異世界の生き物だから特殊な力を持ってるのかと思ってたけど、研究してもらううちに「魔獣は妖精などよりも魔力を強く発するだけで基本何もしてこない」ということがわかった、ということは前にティヨルから聞いていた。実際「危なくない魔獣もいる」ということは世間的にも浸透してきていて、そのおかげでマロンは今日ものんびり店先で寝ていられる。
この世界の魔力は生命力に近い。魔力が強いってことは生きるためのエネルギーに満ち溢れてるってことだ。野生動物だから当然だよね。
さらに、魔獣は人間を食べることはほとんどないことも最近わかった。当然種類によって主食は違うが、そのあたりは追々調べていくそうだ。
つまり。
「魔獣は基本危なくないことがわかった、ってことで合ってます?」
私の言葉に学者さんがコクリと頷く。
やはり、魔獣たちは自分たちの住処が荒らされてやむを得ず攻撃してきていただけのようだ。
見せてもらった論文は、「必要以上に森に入っていかない方が魔獣たちと上手く共存できる」と締めくくられていた。
今後この成果を騎士団に持っていき、魔獣討伐のための遠征を廃止するように掛け合うと言う。これで騎士団の仕事が減り、街の治安維持や余暇に割ける時間が増えるだろう。
よかった、と頬を緩めると、ティヨルと学者さんの顔が赤くなった。あれ、私なんかまずいことしたかな。
よくわからなくて首をかしげると、ティヨルが椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって学者さんの胸倉を掴み上げた。笑顔のまま何か言っているようだがこちらからは聞き取れない。学者さんの顔から血の気が一気に引いた。どうしたんだろう。
「あの……」
「大丈夫だ、こいつもう帰るらしい」
大丈夫ですか、と学者さんに聞こうとしたらティヨルが食い気味に言った。さっきまで帰りそうな風には見えなかったので学者さんの顔を見ると、顔を真っ青にしてカクカクと首を上下に振っていた。あ、本当に帰るんだ。
「今日は本当にありがとうございました、今後ともぜひよろしくお願い」
「しなくていい」
学者さんの手を握ってお礼を言うと、ティヨルにぐいっと引き剥がされた。あれー?
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「やっぱお前すごいな」
「何が?」
顔色の悪い学者さんに気持ち程度の栄養剤を渡してから見送ると、店には私とマロンとティヨルが残った。
学者さんの姿が見えなくなった直後のティヨルの言葉に、私は首をひねる。
「他人のために世間の常識変えちまうなんてな」
「え、なんのこと?」
薄く苦笑するティヨルの言うことが理解できなくて眉をひそめる。
「魔獣が悪い存在だって常識疑って、実際違うって証明されたろ?」
「うん、天才的だよね」
ティヨルの言葉に悪びれず答える。本当は前世の常識に当てはめただけだけど、そこは秘密でいいよね。
「そういうとこかわいくねえ……で、研究頼んだのって街の人たち助けるためだろ?」
「違うけど?」
答えた途端、その場の空気が固まった。
ティヨルの顔に、じゃああの時言ってたことはなんだったんだ、と書いてある。
「あれは建前。本音は完全に私利私欲」
これだけじゃ言葉不足なのはさすがの私にもわかる。
「……騎士団の仕事減ったらティヨルと一緒に居れる時間増えるじゃん」
面と向かって言うのは気恥ずかしくて、マロンを見ながらつぶやくように言う。
照れ隠しにマロンを撫でていると、正面からはあああ、と盛大なため息の音が聞こえた。
顔を上げると、真っ赤な顔をしたティヨルが口元を覆って顔を背けていた。
「……やっぱ敵わねえ」
「え、なんて?」
よく聞こえなかったので聞き返すと、ティヨルはあーとかうーとか言いながら机に突っ伏してしまった。
しばらくすると幼馴染は、顔を伏せた状態のまま口を開いた。
「まあ、」
言いながら顔を上げる。
「こんなのの相手できんのなんて俺しかいないからな」
現れたのは今までに見たことがないくらい綺麗な笑み。取りようによってはものすごい暴言にもなる言葉を言われたにも関わらず、私はその笑みから目を離すことができなくなった。
呆然とする私の目の前に、絶世の、とも表現される幼馴染のご尊顔が迫る。
あまりの近さに目をつむると、唇に柔らかいものが触れて離れていった。
驚いて目を見開くと、ティヨルはまだあの綺麗な顔で笑っていた。
「嫌と言うほど一緒にいてやるよ、シェンヌ」
「それは勘弁して」
コンマ3秒くらいで返した私の言葉にティヨルは少し顔をしかめる。
それでも優しい幼馴染は、仕方ない、という風に笑ってくれた。
「手始めにどこか出かけないか?」
「そうね……綺麗な花畑とかどうかしら」
「それ森の中の薬草畑だろ、いつも通りじゃねえか」
穏やかに話す私たちの横で、マロンのしっぽが大きく揺れた。
――幸せな時間は、まだ始まったばかりだ。