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一人称小説の主人公は何もわからない

作者: 春乃和音

 弁当を食べ終わって、水筒を手に取る。緑茶を喉に流しながら黒板横の時計を一瞥した。昼休みが終わるまで、あと三十分もある。秋の文化祭が終わり、今年度のイベントが全て消化された十一月。大学受験が間近に迫っていた。この時期は悲しいもので、大抵の人はご飯を食べ終わると勉強を始めてしまう。焦るのはわかるけど、休み時間くらいは楽しくいようよ。そんなことを幼馴染にぼやいたら「みんなは馬鹿じゃないからね、あんたみたいに」と怒られてしまった。


 だけど、つまらない昼休みは一ヶ月前に解消された。休み時間に話し相手になってくれる女の子と知り合えたからだ。話しかけるのにコツがいるけど、それを忘れなければ全然問題ない。真後ろの席に振り返ると、彼女は今日も本を読んでいた。机を指先で、とんとん、と叩く。すると、本を開いたまま瞳だけがこちらを向いた。

「今日はどんな本を読んでいるの?」

声があまり大きくならないように注意して話しかける。どうやら彼女は本を読んでいると全く周りのことがわからなくなるらしく、些細なことでも驚いてしまう。今でこそ僕を嫌っていないということがわかっているからいいものの、まだ交流を持ち始めた頃は、彼女の控えめな悲鳴を聞いて何度かショックを受けた。後から「本に集中していたから驚いただけ」と本人の口から聞いたけど、たぶんあの過激な反応は、驚いていたんじゃなくて怯えてたんだろう。それを察したら今度は罪悪感を覚えたので、以降気をつけている。


 彼女は数秒だけ考える素振りを見せたが、すぐに本の内容を語り始めた。

「主人公がある男の子に片思いしていて、そのことを親友に相談するの。 親友はその恋を実らせてあげるために、男の子の情報をいろいろ集め始めるんだけど――」

様々な配慮をすることになっても、彼女には一緒に話をしたいと思う程の魅力があった。僕が暇だというのもあるが、やはり一番の理由は話が面白いかったからだ。クラスで誰とも喋らない彼女の話が面白いというのはかなり意外だった。そういう人はコミュニケーションが苦手なんだろうと思っていた。だけど、本のことについて語っているときや、世間話をしているときはハッキリ喋る。加えて、内容も整っていてわかりやすい。むしろ、僕にそのわかりやすい会話術を教えてほしい。それに、本の話をするときは彼女が少し笑ってるように見えて楽しそうだから。そう見えているだけかもしれないという程に些細な表情の変化だが。


 「――になって、親友が男の子と付き合い始めちゃうの」

「ドラマとかでもよく見るドロドロなやつだね。 親友同士で争うのは胸が痛むな」

結構分厚く見える本の内容も、こうして要約できるのにはいつも感心させられる。しっかりと本の内容を理解しているからできることなんだろう。そういうところには素直に感心するし、自分ももっと頭を使って読書をしてみようという気分にさせてくれる。わからない単語とかがあっても調べずに読み飛ばすのはもう止めたほうがいいかもしれない。きっと、物語の全容を把握できてないんだろうし、重大な誤解しているかもしれないし。


 「ところで、その男の子ってどんな感じの登場人物なの? やっぱり二人から好かれているくらいなんだから性格いいんだろうけど」

ちょっと気になったことを遠回しに聞いてみる。三角関係ものの男は大抵クズだと思うが、その男の子はクズなのか、と荒い言葉を使って聞いたら彼女が怯えそうだし、言葉を選ぶことを忘れずに。二人の好意が向かう一人の性格と行動は大体同じだ。二人から好かれていることに気付いてはいるけど、どちらかを傷付けたくないから、もしくはどっちも好きで選べないから、とか。まあ、そこまでならまだいい。男として同情できないということもなくはない。しかし、どっちとも恋人関係になってしまったら話は別だ。そうなってしまってはもう二股であり、関係も話もドロドロになっていく。でも、そういうことをしてくれないと三角関係ものが成立しなくなってしまうから仕方ないのかもしれない。だから、本当は男の子がクズかどうかはあまり興味がなくて、そういう男性を女性から見てどう思うのかが気になったというのが本心だ。


 「いい人だよ、凄くいい人。 誰とでも仲良くできて、知らない人にも思いやりを持って接することができてて。 ただ、えっと……。 優しすぎる、かな」

彼女が珍しく言い淀む。この手の話をするときに詰まったのは初めてかもしれない。それくらいその男の子が特殊で、あまり見ないタイプなんだろう。 

「例えば、どういうところが?」

頭に浮かんだ疑問を口にすると、彼女はちょっと困ったような顔をして目線を机に落とした。わざわざ詰まったところに質問を重ねるのはよくなかっただろうか。


 彼女はどうやら、机の上の影を見つめながら返答を考えているようだった。ここは窓際の席だから、昼から五時限くらいまで日差しが辛い。だから僕も含めて窓際の席の人はいつもカーテンを閉めているのだが、なぜか彼女だけは閉めない。昼休みが終わって、隣の席の男子が教室に戻ってきたときに閉めるのが常であって、彼女自身が閉めているところを一度も見たことがない。もしかしたら、太陽の光が好きなのかもしれない。あるいは、いま彼女が見つめているコントラストが。


 「結局、男の子が知っちゃったの。 主人公が自分のことを好きで、それを親友に相談していたことを。 それで、事情を知らなかったとはいえ親友の告白を受け入れて、主人公を悲しませたことに責任を感じちゃったみたい」

相当悩んだようだが、男の子が優しすぎる、と思った理由が十分に伝わるエピソードを返してくれた。

「それはなんというか……。 優しすぎる、ね。 確かに」

例え事情を知っていても知らなくても男の子が気にすることはないと思うのだが。というか、悪いのは全部親友の方じゃないか。そもそも親友がちゃんと、自分も男の子のことが好きになった、とか、告白する、とか主人公に教えておけばよかったのに。結果、男の子に彼女が出来たことと、親友に裏切られたことで二重にショックを受けて――。

「あっ、でも! ちゃんと親友も謝るんだよ。 『黙っていてごめん』って」

「え? ……ああ。 そうなのか」

いきなり憤りを感じていた親友のことをフォローし始めたから驚いてしまった。こればかりは以前から何度もあったが慣れない。どうやら、僕は考えていることが表情に出てしまうらしく、まだ口に出していないことに返答をされることがたまにある。彼女は僕と話をしているときにはほとんど目を逸らさないから、余計表情の差がわかってしまうのだろう。もしかしたら、逆に僕の顔色を伺って会話しているのかもしれないが。そうだったら少し悲しい。


 「それで、主人公は親友のことを許したの?」

気を取り直して話を続ける。いくら謝られても人には許せないラインというものがある。主人公が親友を許さないというのも十分ありえる。

「ご飯を食べた後にこんなこと言うのはどうかと思うんだけど、親友は主人公に殺されてしまうの」驚愕が思わず口に出てしまった。許す許さないじゃなくて殺害してしまったら、もう三角関係ものどころか恋愛ものですらないのでは。ドロドロというより事件が起きちゃってるし。

「もしかして、恋愛ものじゃなくてミステリー?」

「うん、そうだよ。  主人公がどうやって親友を殺したのか、というのを男の子が推理していく構成になっていて、主人公は男の子のサポートに入るフリをしてこっそり妨害するの」

「でも、犯人が主人公ならミステリーに……ああ、叙述トリックか。 じゃあ、その本は時系列で書かれてないんだ」

彼女はわかりやすくストーリーを伝えるために時系列順に話したが、実際は親友が何者かに殺されたシーンから入って、最後に男の子が主人公が犯人だと気付くって感じかな。あれ、でも男の子は親友と主人公にいざこざがあったことを知っているんだから、ずっと主人公のことを疑っていたんじゃないのか。それなら、わざわざ探偵ごっこなんてする必要なかったのでは。でも、そうしたらこの本が成立しなくなってしまうし……。そのことを彼女に聞いてみたいが、頭の中で絡まっていることを言葉にできるわけがない。

「気になる?」

やっぱり彼女にはお見通しのようだ。

「そうだね。 先に犯人知っちゃってるのがアレだけど、それでもいろいろ引っかかることがあって。 あとで僕も読んでみるよ」

「うん、それがいいと思う」

その本に強く興味を持ったことを伝えると、彼女が小さく、しかし確かに微笑んだ。楽しそうにしている彼女の顔は何度も見たが、ちゃんと微笑む顔は見たことがなくて見惚れてしまった。鬱陶しい日差しすらも彼女を引き立てる照明に感じ、その姿が写真のように脳裏に焼き付いた。


 こんなに綺麗な笑顔を見てしまうと、やっぱり少し残念に思う。お節介だとはわかっているのだが、誰かの長所が他人に知られていない、という状況があまり好きではない。彼女のこういう一面をみんなが知ったら、絶対に放っておかないだろうに。本を読んでないで友達付き合いを大事にしろ、などとは思っていないが、せめて二人組やグループを作るときに声をかけたりかけられたりするくらいの仲を持った友人をクラスで作るべきだ。そうじゃないと学校生活はなにかと過ごしにくいだろう。もう半年も残ってないから今更だけど。今は僕が彼女のすぐ前の席に座っているからいいものの、席替えをしたらこんな簡単に話しかけることはできなくなる。受験期なのに離れている席の女子に話をしにいっている、なんて周りから茶化されるのは嫌だし、あらぬ噂を立てられたら彼女にも迷惑がかかるだろう。彼女が気付いているのかはわからないが、休み時間も放課後もずっと本を読んでいるから注目だけは集めているのだ。かなり本に集中してそうだから近づき難く、誰もちょっかいはかけないが。


 そこで、はたと思い出す。昨日の放課後は珍しく彼女が教室にいなかった。

「そういえば、昨日の放課後はなにしてたの?」

口に出した瞬間に後悔した。なに普通にプライベートのことを聞いてるんだ。しかも、いつもは教室で本を読んでいるのに、という考えが隠れているのが見え見えな聞き方じゃないか。これじゃまるでストーカーだ。さっきの笑顔に惚けて言葉を選ぶことを忘れてしまっていた。あんまり無神経にプライベートを聞かれたくはないだろうに。

「あ、ごめん。 別に言いたくないなら」

慌てて付け足してみたものの、こんなことを言われたら余計に彼女は言わずにはいられなくなる。こういうときに自分の頭の悪さには呆れてしまう。

「気にしないで。 昨日は本屋さんに行ってたの。 あらすじで気になってた本の発売日だったから」

また僕の表情を見て気を使ってくれたようだ。申し訳ない気持ちでいっぱいになって更に謝りたくなるが、これ以上気を使わせるわけにはいかないし、話を進めよう。

「もしかして、その気になってた本が今読んでるやつ?」

さっきまで彼女が内容を話してくれた本を指差す。だけど、彼女は首を振った。

「ううん、違うよ。 これは読み返したくなったから読んでるだけ。 目当ての本はどこにも置いてなくて」

確かに、あんなに衝撃的な展開のストーリーなら何度も読み返したくなるかもしれない。

「あんまり有名じゃないからって発売日に仕入れないのはちょっと……」

珍しく彼女の声に力が入っている。もしかしたら、怒っているのかもしれない。彼女が怒っているところなんて見たことないし、相変わらず表情が固いからなんとも言えないが。それにしても、今日は彼女がいつもよりも感情を表に出しているような気がする。なにかあったのだろうか。もしかして、やっと僕と話すことに慣れてくれたのだろうか。

「この近くの本屋さんとかちょっと遠くのところにも行ってみたんだけど、それでもダメで……」

いろんな本屋に置いてないのなら発売日が昨日ではなかったんじゃないか。そう思ったが、本当にそうだったら彼女の面子に関わるし黙っておこう。面子もなにも僕しかいないけど。


 「あっ、そうだ。 僕も昨日本屋に行ったんだよ」

これ以上この話を続けるのも可哀想だし、軽い話題を振って場を和ませる……はずだった。

「うん……。 それで?」

彼女が持っていた本に栞を挟んで机に置く。

「え? えっと……」

予想以上に食いついたから、少しうろたえてしまった。今まで彼女が本を置いて会話をしたことはなかった。彼女の目が真っ直ぐ僕の目を射抜く。少し前髪がかかっているが、人よりも少し大きい目をしていて飲み込まれそうだ。

「机に置いてある参考書?」

彼女が僕の背中越しの机を指差した。

「そ、そう。 よくわかったね」

彼女の両目がずっと僕を見ている。そのことを余計に意識してしまって、全て見透かされているような気分になる。初めて彼女に得体の知れない恐怖を覚えた。実は、僕の表情なんて関係なしに考えていることを読み取れるのではないか。そんな馬鹿げた思考すらも正当化してしまう力がその視線にあった。


 「……いつも本読んでないから」

気抜けして息が漏れた。確かに、その通りだ。いつも本を読まない人が机に本を出していればすぐわかること。そもそも、目が大きいからといって怖がるのは最低じゃないか。前髪がかかっていることも考えると、コンプレックスなのかもしれないし。そういったことで過敏に反応をするのはやめよう、と自分を戒める。

「僕は別にいらないって言ったんだけど、幼馴染の友達が『これ以上勉強できなくなったら、大学に行けなくなるじゃん!』って無理やり僕を本屋に引っ張っていってね。 そこで買ってもらったんだ」

あとでお金をちゃんと返さないと。昨日は何回も返そうとしたのに、その度に突っぱねられてしまった。

「そういうのはっ――。 ううん、優しいんだね。 その女の人」

彼女はまた語気を強めて、しかも今度は少し大きな声でなにかを言いかけたが、それを押しとどめた。たぶん怒ろうとしたんだろう。僕が無理やり連れて行かれたって言ったから。ちゃんとフォローを入れておこう。

「そう、結構優しいんだよ。 僕には当たってくるけどね。 そういえば、まだ一度も紹介したことなかったよね」

なんて、図々しかっただろうか。だが、決して思いつきで話題に上げたわけではない。前々から紹介しようとして、ずっと機会を伺っていたのだ。あいつなら他人の嫌がるようなことは絶対しないし、どんな人とでも仲良くなれるだろう。僕に当たってくる、なんて言ったけど、結局それも心配してくれているからこその行動だというのはもう長い付き合いだしわかっている。それに、彼女のことをあいつに話したら「一度顔を見て話しておきたい」って言ってたし、向こうも興味あるんだろうな。今思い返すと、なんか言葉に棘を感じるけど。

「その幼馴染も会ってみたいって言ってたし……。 どうしたの?」

そのことを伝えようとしたが、彼女が教室のドアの方をじっと見つめている。

「あの人だよね?」

噂をすれば影が差す。

遠いし、人が行き交っていて見にくいが、あのボブカットに白黒しましまのヘアピンで目を出しているのは、幼馴染のあいつだ。上下関係とかを心配して、目立たないかつ特徴的という矛盾しているヘアピンを欲しがっていたあいつに、あのヘアピンを誕生日にプレゼントした。それを二年間毎日付けている。気に入ってくれたのは嬉しいのだが、全く似合ってないのでなんだか複雑な気分だ。ただ、そのおかげか先輩からはまるで猫のように可愛がられている。


 それにしても、なんであいつが僕の教室の前に……。 

「あっ、やべ! 昼休みに一緒に勉強する約束だったのすっかり忘れてた!」

机の上の参考書を手に取る。もう昼休みは残り十分を切っていた。これは確実に怒られる。それでもなんだかんだ五分くらいはみっちり教えてくれるんだろうけど。

「あっ、そうなんだ……」

彼女は残念そうに呟く。いきなり話を切られたら誰だって嫌だろう。

「行く前にひとつ聞いていいかな。 主人公は最後はどうなるの?」

キリをつけるための最後の質問とばかりに疑問を口にする。ネタばれになってしまうが、あそこまで聞いてしまったなら主人公がどうなったかを聞いておきたい。いつの間にか廊下で待っているあいつが僕を睨みつけている。席を立って急いでいるアピールをする。あとこれだけだから許して、と手を合わせて見せた。

「主人公は大事な親友に裏切られ、そして騙された。 確かにこれはとても悲しいことで衝動的になってしまうのはわかるけど、全て終わった後で主人公は嘆くの」

机に置いていた本を彼女が再度手に取る。ただそれだけの動作なのに、まるで彼女の指の動きに合わせて本が動いているような滑らかさを感じた。

「結局は全部、ただの嫉妬だった……って」

彼女は本で顔を隠しながら、そう呟いた。

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