ダーティープレイ・オセロ ④
俺が本試験を落としたのは一教科だけでなかったらしく、それからしばらく、日にちをまたいで放課後に追試を受けることとなった。
そのたびに緑が丘とも顔を合わせ他愛もない会話をした。とくに話が弾むこともないが、居心地のよい関係が続き、俺は彼女に心を開き始めていた。
あるとき、緑が丘は、俺に相談を持ち掛けてきた。
「なあ、もし好きなひとに、好きなひとがいたらどうする?」
重複した言葉の連続に、一瞬脳が静止するが、すぐに理解する。ようは、略奪愛の是非を解いているらしい。まさか、女子とはいえヤンキーに恋愛の話題を振られるとは思わなかった。
しかし、そんな状況に置かれたことのない俺は、頭をかく。考えたことすらない。
「まあ、不倫はだめだけど、そういう関係になるまえだったら、問題ないんじゃないか」
告白もしていないなら、足踏みをしているほうが悪い気はする。
緑が丘は畳みかける。
「まあそうだよな。でもさあ、そのひとが好きなひとに対して、何年も片思いをしているって状態なら、諦めきれるか?まだ付け入る隙があるって考えちゃうんだけど」
「それは……ううん」
どうだろうか。過ごした年月の長さは強い。簡単には割り込めないだろう。
緑が丘は顔を沈めた。
「私が好きなひと、ずっと幼馴染に恋してんだよ……」
「あ、そうなのか……それは、難しいかもな」
漫画のなかでは、よくぽっと出のヒロインが幼馴染ヒロインを押しのけ主人公とゴールすることがあるが、片思いの人間を振り向かせるのはかなり難しい話である。
勿論、振り向かせるだけの魅力があれば、そんなしがらみもぶち壊せるのだが、そうそううまくはいかない。下手な後押しは俺にはできなかった。
「そうだよな、難しいよな……」
珍しく意気消沈する緑が丘。俺ははっか飴を渡して、励ます。
「まあ、アタックし続ければいつかは実を結ぶんじゃないか?そのひとを助けるとか、なんか
……やるだけやったほうがいい、と思う」
緑が丘は、ちらりと俺を見た。
「やるだけ、やるしかねえか……。振られたら、慰め頼んでいいか?」
「ヤンキーに頼まれごとされたら、貸しとかめんどくさそうだからちょっとそれは……」
「私のことやくざと勘違いしてねえか?ぶっ飛ばすぞ」
その日の追試は早めに終わったので、蝶野の家に行くと、彼女は不機嫌そうだった。
「なんで遅れたの?」
「だから追試だってメールしただろ」
いつになくいらいらした様子の蝶野は、俺に近づくと、スンスンと鼻を動かした。
「女の臭い……」
「獣かよ」
おそらく、蝶野もあてずっぽうでいったのだが、隠して追及されるのも面倒なので、俺は最近よく緑が丘さんと一緒になることが多いと話した。すると、蝶野は頬を膨らませた。
「私以外にご執心とは、どういう了見よ。尾上君は一生独身でいるんでしょ」
「勝手に人生設計を決めるなよ」
昨夜、ドキュメント番組で孤独死特集をみたばかりなので、笑えなかった。
それにしても、どうして蝶野はそんな嫉妬をするのだろう。会って間もない関係だが、まさか、少女漫画的にいうと……。
少しドキドキしながら尋ねる。
「なんだよ、俺に一目ぼれでもしたか?」
「調子に乗らないで」
蝶野は、椅子から腰を浮かせ、軽く反動をつけると、俺の脇腹に頭突きを打ち込んだ。呻きながらうずくまる俺。
自意識過剰の代償にしては大きすぎる痛みである。蝶野は、俺を見下す。
「でも自分の所有物をとられるのは腹が立つ。そうだ、尾上君は私がパンダになったら動物園の年パス買って毎日私の世話をして」
「……孤独死はいやだ……」
自分勝手なことを言う蝶野である。いまはパートナーを組んでいるが、そのうち蝶野は俺を裏切ってパンダになるつもりなのだろう。油断をみせられない。疑心暗鬼にとらわれていると、背中が優しくさすられた。顔を上げると、慈しみの表情を浮かべる中川さんが寄り添ってくれていた。
「中川さん、いつの間に……」
「安心してください、尾上さん。お嬢様のお世話は私がしますから」
そういうことではないのだが、俺は中川さんのやさしさに涙した。
この世は、委員長や中川さんのように、優しい人間がいるのに、どうして蝶野のような人間もいるのだろう。悪と善のバランスが崩れているのは、困ったことである。
そんな感じで、オセロ、追試、オセロ、追試の目まぐるしい日常を送ること二週間。
ようやく勝負の日がやってきた。
日曜日、対戦場所として指定された町はずれの屋敷に、蝶野とともに訪れる。
「たのもー!」
腰に手を当て、玄関に叫ぶ蝶野。彼女は今日もヘルメットを被っている。
ここまで、道行くひとびとにじろじろ見られながら歩いてきて、隣にいる身としては、かなり恥ずかしかったのだが、まさか到着地点でも恥をかかされるとは。
顔が赤くなったので、いまだけヘルメットを貸してほしかった。
「なんか、極道一家が住んでいそうな家だな」
「ええ?いまの時代にそれはないでしょ」
ないない、と手を振る蝶野。それもそうか、と俺たちは笑いあった。
対戦場所は、立派な木造家屋だった。庭には手入れされた松が植えられ、古き良き日本の風情を保っている。チャイムは設置されていたので、ピンポンと押すと、なかから着物姿の女性が出てきた。
女性は、ヘルメットの女子校生をみて、一瞬目を丸くしたが、すぐににこやかな笑顔を浮かべた。
「あら、お客さんですか?そういえば、遠藤がいってましたね」
「はい、そうです。蝶野といいます」
「尾上と申します」
女性は、俺たちを屋敷のなかに案内した。彼女は、健康的な肌つやを保っていたが、立ち振る舞いや身にまとう風格からすると、それなり歳を重ねた女性のようだった。あんなヘルメットの変人をみて、動揺しない人間なんて滅多にいない。いまも触れずに接しているが、俺だったら気になって仕方なくなるのに、すごい人だと一人感心する。
廊下をしばらく進んだところで、女性はピタリと止まった。そして、右側にあった壁を触れると、ぐっと押した。すると、壁はすう、と開いた。柄が同化していて気が付かなかったが、隠し扉だったらしい。
……隠し扉? 俺は蝶野に小声で尋ねる。
「なあ、一般家庭に隠し扉ってあるか?」
「あるでしょ。うちには三つほどあるけど」
「まじかよ今度探検させてくれ」
扉の向こうには、地下へ続く階段があった。不穏な雰囲気を感じながらも、女性について階段を下りていくと、小さな空間に着いた。
「動かずお待ちくださいね。いま電気をつけますので」
数秒後、パチンとスイッチが押される音がして、あたりが明るくなった。光源は古い電球らしく、じじじ、と音を立てている。次第に目が慣れてきて、空間認識が可能になってきた。最初に目にはいたのは、壺だった。金色の塗料で絵柄が書かれていて、価値のありそうな一品である。ここはもしかしたら、物置なのかもしれない。
視線を横に動かすと、壁に掛け軸がかかっていた。鶴の水墨画で、風情がある。しかし、なぜか黒い墨のほかに、赤い点々がまばらにちりばめられていた。どういう意図の芸術品なのだろう。雪舟と草間彌生のコラボ企画だろうか。
ほかには、日本刀や、甲冑、金縁のなにが入っているかわからない箱などが並んでおり、この家の主人はいいコレクションを持っているようだった。鑑定などできはしないが、それぞれ逸話があったりするのだろう。
「それでは、なにかありましたら、およびください」
振り向くと、女性が頭を下げて退出しようとしていた。俺は慌てて声をかける。
「あの、遠藤かおるさんはどちらですか」
すると、女性が小首をかしげた。
「遠藤ならそちらにおりますが……?」
「え……?」
女性の視線のさきをたどると、古物の山があった。
ひとの気配はない。……いや。
綺麗に保管されたコレクションに並んで、ひとつだけ妙に汚い布の塊が転がっている。よく凝視すると、わずかに蠢いている。
まさか、と近づき布を持ち上げると、肌色がのぞいた。
「ん…お客さんですかい?」
「うわっ!」
声を上げて尻餅をつく。座ったまま後ずさりをすると、驚かせてしまいましたね、と言って布の塊から顔が出てきた。
真っ暗なサングラスに、長いあごひげ。浮浪者のような外見の男だった。
「いやあすいやせん。ここじゃ昼夜の感覚がなくなっちまうんですよ。尾上信弘さんと、蝶野蘭さんですね?」
男はにたりと口角を吊り上げた。
「歓迎しやすぜ。今日は楽しみましょうや」
彼は、背後から、オセロの盤を出した。




