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ダーティープレイ・オセロ ③

「いってえ……」



「大丈夫ですか、尾上さん。鼻から液状のものが垂れたらすぐに病院へ行ってくださいね?」


中川さんは俺の頭に包帯を巻いてくれた。ずきずきと頭痛が続くのに、外傷がそれほどでもなかったのが逆に怖い。内部の損傷が起きていたらシャレにならない。記憶喪失になっているあたり、すでに脳細胞がちゃんと機能しているのか怪しいというのに。



「蝶野ってなにか格闘技やってるんですか?」



あのあと、蝶野に口答えをしたら、おもむろにヘルメットを被った彼女に頭突きを見舞われた。


 あの瞬間のインパクトと、長引くこの痛みは素人の出せるものではない。路地裏で大男、進藤たかしを倒した際、彼は蝶野のことを地下格闘のチャンピオンであるといっていたが、あれは本当なのかもしれない。



中川さんは、困ったように頷いた。



「実は私の実家が古武術の道場でして、たまにお嬢様に教えて差し上げているんですよ。喧嘩にはお使いにならないでくださいね、とは念を押していたのですが……」



意外な出自を語る中川さん。料理上手で、頭もよく、さらに蝶野の武術の師匠でもあるとは。職場でコスプレするという社会性のなさを覗けば完璧である。俺はこのひととパートナーになりたかった。



「でも、古武術って、頭突きするんですか?」



「あれはお嬢様のアレンジです。止り木流柔術は、関節技を主体とした技術体系なので、相手を倒し切る技はないのですよ。昔のひとは刀を持っていたので、関節を破壊したあと、動けなくなった相手をばさーと一刀両断だったのですけどね」



思ったより血なまぐさいバックボーンである。しかし競技化される以前の格闘技なんて、みんなそんなものなのかもしれない。



「お嬢様の部屋のトロフィーみました?すごかったでしょう。中学までは、スポーツも芸術も多方面に活躍なされていたのですよ。器用なんでしょうね、武術のほうも呑み込みが早く、このままでは追い越されてしまいそうです」



中学までは、という言葉に引っかかりを感じた。高校に入ってからはやめてしまったのだろうか。考えてみれば、地下格闘の集まりに参加するなど、優等生の振る舞いとは思えない。



「いまは、なにもしてないんですか。どうしてあいつパンダになんかなろうと思ったんでしょう」



「さあ……」



その問いには、中川さんは曖昧に答え、帰路につく俺をすみやかに見送った。



それから数日間、俺は蝶野にいわれた通り、オセロの勉強を始めた。ひとりで勉強していてさぼるといけないから、うちへ来いと言われ、学校帰りは毎日蝶野の家に行くようになった。数冊渡された教本を読んでみたら、想像していたより数多くの定跡があり、すべて覚えるのには苦労しそうだった。



ここで俺が必死で学んだオセロの打ち方を紹介してもいいのだが、言葉で説明するのは難しい。図を用いてもよいのだが、そうすると、紙面のほとんどを黒と白の丸が埋め尽くすこととなるので、割愛する。




代わりに、これこそ興味がないかもしれないが、ここから俺の学校生活について語らせてもらう。



笹野原学園は、私立高校である。特色なんてものはなく、優れた生徒も数人いるが、文武両方中途半端といった感じの平凡な学び舎である。



そんな学園の二年生が俺であるのだが、一年間通った記憶がきれいさっぱり消えてしまっているので、記憶喪失後の初登校時は、入学式のような緊張感に包まれて家を出た。



友人関係はどうなるのだろう、友達百人いたのかな、などと不安のまま校門をくぐってのだが、それは全くの杞憂であった。



なんと俺は、友達ゼロ人、まごうことなきボッチ学生だったのである。



丸一日過ごして、話しかけられなかった。その経験を数セット。検証期間としては十分である。孤独の確証を持つに至った。



喋らずに済む授業の時間以外は、あまりに暇で、新たな一人遊びを創り出して過ごした。エアあやとり。紐がなかったので、空想だけで行ったものである。案外想像力を使うものだったので、途中で疲れてやめた。


 ひとりで絵しりとりをしてみた。後ろを通るひとに見られ、羞恥が芽生えたのでやめた。教室の時計の針を眺めて時間を潰した。賑やかな教室でのひとの流れと、時の流れの乖離をひしひしと感じた。このときのむなしさといったらなかった。



そんな風に、人間社会を逸脱し始めていた俺だったのだが、ここでひとりの救世主が現れた。



俺は彼女によって、孤独死を回避したのである。



ぽんぽん、と肩を叩かれる。振り向くと、口に飴を放り込まれた。



「……イチゴ味?」


舌で転がしながら、味を確認する。正解だったようで、餌付け主である少女は、はい、と頷いた。


「はっかは苦手だから、全部あげますね」



そう言われ、白い飴をこれでもかと胸ポケットに詰められる。イチゴを味わっている最中なのに、鼻までスース―とした匂いが届く。



「尾上君ははっか味好きですか?」



渡されたあとに聞かれた。正直いえば、あまり好きではないのだが、そこで塩対応をするのも性格が悪すぎるので、曖昧にまあまあ、と答えておいた。だが、彼女はその反応で満足だったようで、よかったと笑った。



白波涼香。



 黒縁眼鏡を愛用する真面目な外見にたがわず、彼女はうちのクラスの委員長である。



 誰にでも分け隔てなく接する優しい性格をもつ彼女は、みんなから好かれている。俺も例外ではなく、ぼっちの俺に話しかけてくれる彼女のことを天使のようにみている。



委員長は、スカートのポケットに飴の入った缶をしまうと、代わりに脇に抱えていた1枚のプリントを差し出した。


「先生から連絡です。放課後の追試は、四階の教室から、三階の空き教室に場所が変更になりました」



紙に書かれた文字を読む委員長。


「ああ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」



俺はなるべくクールに見えるようにお礼をいった。しかし内心、動揺していた。委員長にこうやって話しかけられていることもドキドキ要因のひとつではあるのだが、もうひとつの事実が俺に衝撃を与えていたのだ。



場所変更というか、そもそも俺は追試対象者だったのか……。



今回の追試は、俺が記憶喪失になるまえに行われたテストで、赤点をとった者に対し実施されるものである。どうやら昔の俺は悪い点数をとってしまったらしい。実は記憶を失うまえの俺は超天才なのではないかという希望を抱いて日々生きていたというのに、あっさりと打ち砕かれてしまったのだ。



なにが変わることもなく、凡人以下の存在。俺はしょうもない人間だったようだ。



どこかに悟った感情を出してしまったのか、委員長は俺の胸ポケットに詰まったはっか飴をひとつつまみ、俺の口に詰め込んで励ました。



「前回のテストはうちのクラスみんな悪かったですから。脳に糖分入れて頑張ってくださいね」


口がとてもスース―した。同時に張り詰めた感情も外へ抜けていく。


「ありがとう。ほんと、優しいよね委員長って」



「皆を愛し、皆に愛される委員長を目指してますから。秋になったら、驚異の支持率100パーセントで生徒会長になってみせますよ?」



「それはさすがに無理でしょ」


委員長は微笑する。たまに彼女からは、やさしさだけでない、底知れない魅力のようなものが感じられることがある。このひとなら、本当にやってのけるのかもしれない。



「追試、ちゃんと行ってくださいよ?尾上くん約束破りますからね。このまえ学級会あるっていったのにさぼったじゃないですか」



「…………。ああ、うんそのときはごめん」



またもや覚えていないことを言われた。咎められても弁解ができないので、とりあえず謝っておくことにした。記憶にございません、はさすがに調子に乗りすぎだろう。



放課後は、委員長の言いつけを守って、追試を受けに行った。蝶野には、今日は家に行けない旨をメールしたのだが、筆舌しがたい罵詈雑言メールが返信されてきたので、肉球端末は、バイブ機能を切っておいて、かばんの奥底にしまっておいた。



追試会場である空教室に入ると、すでにひとりが机に座っていた。追試は俺一人ではないらしい。



椅子に座るのは、茶色を通り越して、髪色が金髪な女生徒だった。明らかな不良である。



 うちの学校には頭髪に関する法律はないが、案外みな、度を超したおしゃれはしない。まともな生徒は、やはりまともな身だしなみをしているものだった。座ったときの膝の感じをみる限り、スカートだけは規定にのっとった、むしろ長すぎるくらいのロング丈のようだが、、頭髪のせいでかえって昔のスケバンを彷彿とさせる。



校内に数人いる不良とは、普段距離をとって生活している俺としては、あまり関わりたくない人種である。教室の真ん中の席を陣取る彼女をしり目に、窓際の席にカバンを置く。



すると、教科書を流し見していた金髪の彼女が(不良が教科書読んでいる……!?)顔をあげ、じろりとこちらみてきた。



「おい」


びくんと肩が震えてしまった。声をかけてこないでほしかった。反応しないのも報復が恐いので、いやいや彼女を振り返った。



「どうしました?」



敬語で尋ねると、下手な態度が気に障ったらしく、眉を顰められた。そしてぶっきらぼうに言われる。



「隣座れよ。カンニングできねーじゃん」


「うわ。わる」



シンプルな悪行の計画へ思わず口をすべらせる。慌てて口を押えると、その様子に彼女は笑った。


「冗談だよ殺すぞ。……つーか追試同士が見せ合っても、点数変わんねーだろ。せんせーくるまで話してようぜ。どうせいまさらべんきょーしたところでどうにもならねえよ」



「はあ……」



俺はカバンを移動して、彼女の隣に座る。思ったより、悪いやつではなさそうだったが、一応まだ警戒は続けている。もし下手なふるまいをして、この女のヤンキーな彼氏が出現したら大変だからだ。おそらく彼氏は温泉に入れないタトゥーが彫られているに違いないのだ。



彼女は、自分の名前を緑が丘ビリジアンと名乗った。



「あれ?もしかしてハーフなんすか?」



もしそうならば、とんでもない勘違いをしていたことになる。金髪が生まれ持ってものならば、申し訳がない。しかし、彼女は首を振るった。



「これはうちのおふくろが出産後のテンションでつけたキラキラネームだ。うちは古い家柄だからな、親族からは不評だったらしいけど、あたしは割と気に入ってる」



へえ、と軽く相槌を打ちつつ、ということは髪色は染めたということであり、普通に彼女が不良であることが確定したな、と思考していた。



「てゆーか尾上さあ、あたしら、一年のころ、同じクラスだよ。いまは隣のクラスだけど」


「え、そうなの?」


俺は驚く。緑が丘ビリジアン。名前も恰好もインパクトのある彼女でさえ、忘れてしまっていたのか。だが、いまのクラスでのぼっち度から想像するに、おそらく一年次も人と関わらず過ごしていたはずだ。消えやすい記憶であったのだろう。



「傷つくな、そういうの」



ぷい、と顔をそむける緑が丘に、俺は慌てて、ポケットに入っていた飴を彼女の机に置いた。不良に機嫌を損ねられてはかなわない。ちろりと横眼でそれをみた彼女は、ひょいと口に放り込んだ。彼女の口角が緩むのが確認できた。持っていてよかった、飴玉。



機嫌を直した緑が丘は、舌でころころと飴を転がしながら、てゆーか、と切り出した。


「尾上って頭悪かったけ?順位表で見たことあった気がするけど」


「え?そうなの」


ぽかんと口を開ける俺。



うちの学校では、定期テストの上位成績者は、廊下に張り出される。そこに名を連ねていたというのなら、それなりの頭脳を持っている証明である。



 やはり、記憶を失う前の俺は、いまよりも頭がよかったということか……?では、なぜいま追試などを受けている……?



「そうなのってテストの結果は気にしてねーってか?だから足元すくわれて赤点なるんだよ、ばーか」



「…………」


挑発を無視し、考えこもうとしたとき、教室にテスト用紙を持った先生が入ってきて、そのまま追試が開始された。




緑が丘は、テスト中に飴玉をなめていたことを怒られた。俺は睨まれた。

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