こてんぱんだ ②
「……じゃあ、あなたがパンダになりたいって叫んでたひとか。高校生?もしかして同じ学校?」
少女の声には、親しみやすさが籠っていた。子犬を相手にするように安らかな、若い女の子の声。もしかしたら、彼女には、戦う気がないのだろうか。
しかし、俺は警戒心を解かない。武力を見せつけられた後の恐怖が、残っているのだ。同じレッサーパンダであれば、このまま戦闘に発展する可能性が高い。
本来であれば、無言で逃げ出したいのだが、ヘルメットを被っているということは、バイクも近くに止まっているはずである。すぐに追いつかれるだろう。
そうであれば、会話に応じないのは、少女の機嫌を損ねてしまう危険性がある悪手であるので、質問に答えることにした。
「笹野原学園の高校二年生、尾上信弘……らしい」
「ん、違う学校か。年上だし。っていうか、らしい?なにそれ」
「信じてもらえるかわからないけど、実は一か月前から記憶喪失なんだ。自分のことが、まったくわからない……あんたは?」
珍しい境遇を話したのに、少女はふうんと小さく頷くだけだった。そして、俺の質問には答えなかった。
「尾上くんもレッサーパンダよね。さっきの勝負内容は、喧嘩ってとこでしょ?あなたの勝ちよ。さっさとポイント回収しなさい」
「あ、ああ……」
促されるままに、俺は倒れてる男たちのポケットから端末を取り出す。パンダの肉球を模した丸い液晶端末である。
小さなボタンを操作し、俺へポイントを送信する。ひとり一ポイントずつ、合計三ポイントを回収したことで、俺の保持柏天ポイントは四ポイントになった。
立ち上がると、俺は少女に頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう」
ここまでくれば、まず信用していいだろう。彼女が敵ならば、こうしてポイントを回収するところを邪魔してきたはずだからだ。目的は不明だが、どうやら俺に害をもたらすものだはないらしい。
「いやいや、いいのよ」
少女は手をぱたぱたと振る。表情は相変わらず見えないが、身振り手振りからするに、フレンドリーな性格なようだ。
「あんたもレッサーパンダだよな。どうして助けてくれたんだ?」
「うん?まあ偶然通りかかったらいい心意気の叫びが聞こえてね。どうやら同志みたいだったから、ここは助けなければ大熊猫が廃ると思ったんだ」
独特の理由を語る少女。しかし、そのおかげで俺は助かったのだ。感謝すべきである。
「……あんたも、純粋にパンダになりたいのか?」
三人組のように、不純な動機でパンダポイントを集めるものも多い。そのなかで、本当にパンダになりたいものは、少数派である。彼女にはどんな事情があるのだろう。俺のような、なにか特殊な事情があるのだろうか。
少女は、目をそらすようにバイザーを閉じた。
「まあね。ところで、提案なんだけど、同じ志を持つ者同士、協力しない?そこの雑魚たちじゃないけど、私たちもコンビ組もうよ。最後には袂を分かつことにはなるかもしれないけど、それまで、ね?」
そう言うと、少女は握手を求めてきた。
共闘の誘いだった。
一か月前、動物園のパンダ募集に応募したものたちのもとへ、手紙と肉球型の端末が届けられた。
手紙によると、募集人数の定員越えにより、選抜を行うこととなったという。
肉球型の端末を起動すると、最初、所持ポイント1と表示される。これは、「柏天ポイント」といい、各々ポイントを奪い合って、半年後もっとも柏天ポイントの多かったものをパンダに決定するらしい。
突飛な話だが、動物園が公式に送ってきたものであるため、信じるほかない。
募集者たち、「レッサーパンダ」のなかから、パンダに指名されるのは、たったひとり。こうして俺たちは、バトルロワイヤルに参加することとなった。
開始から一か月が経った今日、俺は初めてほかのレッサーパンダと邂逅した。三人組の男たちは、勝負内容をストリートファイトと提案してきた。ポイントは、募集者同士が交渉し、動物園に勝負内容を申請することで、移動が可能になる。このパンダ選抜は、交渉によっては、暴力に発展せずに済むはずのシステムなのだが、俺はあえて三人組の提案を飲んだ。
頭脳戦に持ち込まれたほうが俺には不利だったのだ。
なぜ不利か。
三人組とたった一人で戦うよりも、勝ち目が薄いと判断した理由。
それは、シンプルに俺の頭が悪かったからだ。
一月前より昔の記憶がないので、これが生まれついてのものなのかはわからないが、とにかく俺は頭を使う勝負事に弱い。
たとえば、オセロ。記憶喪失からすぐのころ、スマホのアプリに入っていたので、試しにやってみたら、ぼろ負けしたのだ。ルールがわからなかったわけではない。ただひたすら、ルールにのっとりぼろ負けした。
将棋のアプリとチェスのアプリも入っていたので、やってみたが、こちらも惨敗。テレビをつけるとなぞなぞ番組がやっていたので、挑戦してみたが、ゼロ問正解。果てはコンビニでの買い物で、小銭の計算ができず、毎回札を出す羽目になり、ジャラジャラと硬貨を渡される。
ここまでのことがあれば、確信する。思考力、記憶力、計算能力。これらが通常より劣っている。カタカナで言えば、俺は、バッドヘッドだったのだ。
それゆえ、俺は苦戦を承知で、わずかにでも勝ち目のある肉体勝負として、ストリートファイトに応じた。だが、やはり、三人相手には逃げ回ることしかできず、俺は路地に追い込まれた。あのまま少女が現れなければ、ポイントを奪われ、バトルロワイヤルから脱落していただろう。
その恩もあるので、俺は少女の握手に応じた。
「よろしく頼む。それで、あんたの名前は?」
少女は無言でにっこり笑うと、握手に差し出した俺の右手を両手で包み込んだ。
「……?」
意図がつかめずにいると、少女は囁いた。
「ちょっと痛むよ?」
ゴキイッ!
聞いたことのない音がなった。
首を傾げる。手首から鳴る音なんて、せいぜいポキポキがいいところだろう。いまのは、なにをどうした音だ?
少女が俺の右手から手を離す。
露わになった手首は……真っ赤に腫れあがっていた。
そして、熱を感じる。
「なんだこれ……いてええええ!?」
タイムらラグでじんわりと痛みが発現する。
「手首を脱臼させた。そのまま聞いてね」
「はあ!?」
症状をより正確に自覚したことにより、さらに痛みが鮮烈になる。そして精神の動揺も全身に広がる。
騙されたのか!?くそ!
俺は手首を押さえその場にへたりこむが、少女は冷徹な眼光をヘルメットのなかから向ける。
「協力に当たって、契約内容を決めるわ。まずひとつめ。尾上君の収集したポイントの99パーセントは私に贈与する。ふたつめ」
「まてまてまてまて!」
何事もなかったかのように淡々としゃべり続ける少女に待ったをかける。
「最後まで聞かないの?」
サイコパスかこいつ……!?痛みに涙を浮かべる俺をまえに、なんでそんなに冷静になれるんだ……?
「どういうつもりだ、あんた……!いてええ……」
少女は、人差し指を顎のあたりに触れさせ、首を傾げた。
「だって、不利な条件を押し付けたいのに、尾上くんに正常な思考力が残っていたら厄介じゃない」
「はあ!?」
「最初にいっておくわ。私はあなたにとって有害でしかないパートナーになろうとしている。でも、外した手首をもとに戻してほしかったら、残った左手であなたの端末を操作して、私の言う契約内容を打ちなさい」
動物園に、両者合意の契約をなしたと申請すれば、それは大きな効力になる。
例えばさきほど彼女が言っていた獲得ポイントのほとんどを譲渡すると申請してしまえば、自動的に俺に入るポイントは、少女の端末に流れるよう、動物園側がシステムを操作するだろう。
というか、なんと横暴な契約を結ぼうとしているのだ、この女は。
「さあ、どうする?そうだ。入力に足は使わないし折っちゃってもいいわよね」
答えを考えさせる時間を与えない。とんでもない交渉術である。
「クレイジーなこと言うな!ま、まて。足を持ち上げるな。あ、いた……いたたたたたた!ちょ、わかった!お前の言う通りにする!」
小柄な少女のどこにそんな力があるのかわからないが、彼女は両腕を用いて、俺の脚に本当に折れるかと思うほどの負荷をかけてきた。
降参すると、少女はあっさりと拘束を解いてくれた。
観念して、俺は彼女の言う通りの内容をひたすら文字に起こしていく。さきほども言ったが、俺は頭が悪い。どうやら俺に不利な内容を言われているようなのだが、最初のひとつ以外はほとんど理解できなかった。そう考えると、適当に騙されていてもこの契約内容を飲んでいただろうし、手首は無事ですんだはずである。けが損である。
端末の送信ボタンを押すと、動物園から承認のメールが届いた。これで、俺の運命は決まってしまった。
俺は、この少女の奴隷になってしまったのだ。
少女は俺の手を取り、ぐっと押し込んだ。手首に違和感がなくなり、元の位置にはまったらしい。お礼は言いたくなかった。
落胆してうなだれる。獲得ポイントの99パーセントが少女に入るというのなら、俺はいったい何人との勝負に勝たなければいけないのだろう。……計算ができない。10人くらいでやっと一人分くらいか?たぶん。
少女は嬉々として話しかけてくる。
「これからよろしくね、尾上くん!長い付き合いになることを期待してるわ」
少女は再び握手を求めてきた。俺は、慎重に手を差し出して、なにもされないことを確認してから、握り返した。この女は、信用ならない。パートナーといっても、利用するだけして、あとでぼろ雑巾のように捨てられる気がしてならない。これから協力関係を続けていくなかで、こんな奴とも信頼関係が形成されるのだろうか。
……そういえば、こいつの名もまだ知らない。そんな相手と俺は契約を結んだのか。
「……ああ、よろしく。それより、君の名前は……」
「あ」
俺の言葉を遮るように、少女は感嘆符をつけた声を上げた。まっすぐと指を立て、どこかを指さしている。
「……どうした?UFOでも……」
突然俺の足元の影が濃くなった。同時に大きなプレッシャーを背中に感じ、生理反応として汗が流れだす。
後ろに、なにかいる。
少女は、随分と上を見上げて言った。
「あなたもレッサーパンダ?」
振り向くとそこには……大熊がそびえたっていた。




