こてんぱんだ ①
商店街の大通りを駆け抜ける。
平日昼間。人通りは少ない。
俺は路地に飛び込む。両腕を広げると、どちらの手のひらもふたつのビルに触れられるくらいの狭さ。右側の排気口から漂う中華屋の臭いに顔をしかめて、その場に座り込む。
追跡者の数は三人。
大通りに入った姿はまず間違いなく見られた。通りかかられたら、容易に発見される。身を隠すものといえば、蓋の上を蠅が飛び回る小さいごみ箱のみ。鼻をつまんでやり過ごすじり貧状態よりは、堂々迎え撃つほうが、むしろ勝機があるだろう。
そう、勝利しなければ意味がない。多少のリスクは負ってでも、前進しなければならない。
俺は覚悟を決めた。息を整え、立ち上がる。
「来るなら、来い」
直後、覚悟に呼応するように、追跡者の男は路地に立つ俺を発見した。即座に仲間を呼ぶ男。
後から残り二人の追跡者も到着する。
数の優位を整えた先頭の男は、憎たらしい笑みを浮かべる。
「あきらめろ。後ろは行き止まり。一人ずつ戦ったとしても、三人相手じゃ分が悪い」
カチンと来た俺は、虚勢を張る。
「ご忠告どうも。悪いがそのやさしさ、仇で返すぜ」
男は、茶髪をかき上げる。しわの寄った額がみえた。
「恩知らずが。地獄に堕ちろ」
「お前がな!」
俺は一直線に駆け出す。まずは先頭の男!
おしゃべりな口に狙いを定め、拳を放つ。
しかし、男はひらりと身をかわすと、逆に俺の腹に拳をねじ込んだ。
「がら空きだな。……お前、もしかして喧嘩したことないのか?」
重い衝撃に顔が歪む。しかし、ただでは倒れない。せりあがる胃液を口に含み、男に向かって吐き出す。
「うえっ!きたねえ!」
男は後退する。みっともない手段だったが、わずかに余裕ができた。ゆっくり、俺は息を吸い、痛みを和らげる。
男の後ろに構える二人組が声をかける。
「サポートするか?」
「……お気にのTシャツを汚したくねえ。頼んだ」
「了解」「おっしゃ」
二人組が、それぞれ武器を取り出す。
左の男は、パチンコ。右の男は、エアガン。
「……飛び道具は卑怯じゃないか?」
冷や汗を流す。三人一斉にかかってこられるよりきついかもしれない。
「てめえのほうがきたねえよ」
男が俺に向かって突進する。路上でタックルなどされたら、勝負は決まってしまう。タックルを切る技術などないので、避けることにした。エアガンは怖いので、せめてマシそうな左を選択する。結果、当然パチンコ使いと目があう。
容赦なく放たれるビー玉。崩れたからだではかわすことができず、それは見事に額に命中する。
「いってええ!」
思わず声をあげた。エアガンのほうがましだった。超速で飛んでくるガラス玉は凶器だ。額から血が流れる。
俺の額は、一か月前に原因不明のけがをしたばかりで、傷跡がのこっていた。伸びた爪でかくと血が出たりする。そこを狙うとは、なんといやらしいやつだろう。血流が滴り、視界を遮りそうになるので、急いでぬぐう。
だが、近接戦担当の男も待ってはくれない。額を押さえる俺に、連続してパンチを打つ。
「おらおらおら、おら!」
男はそれほど筋肉質というわけでもない。格闘技のような、きれいなパンチでもない。しかし、喧嘩慣れしているようで、一撃一撃には力があった。両腕をガードに使いなんとかしのぐが、時折飛んでくるエアガンの弾とパチンコのビー玉が、肉体と精神を着実に削っていく。
反撃をしたいが、隙がない。
このままでは、いい一発をくらって、
沈む……。
負ける……?
…………。
それは、絶対に。
「いやだ!」
俺は声を張り上げる。驚いた男は、手を止める。
「どうした?降参か?」
「いい判断だぞー」「諦めとけ!」
後ろの二人からも野次が飛ぶ。
しかし俺は、痛む腕をなんとか持ち上げて、ファイティングポーズをとる。
「まだ、負けるわけにはいかない……俺はなあ!パンダになるんだよ!」
瞬間。静まり返る周囲。数秒後、男たちの笑い声が響く。
「はははははは!」
「おいおい、こいつマジかよ!」
「本気でパンダ目指してんのか!?」
俺はくちびるを噛みしめる。彼らが笑う理由はわかる。
ほとんどのパンダ志願者「レッサーパンダ」は、本当にパンダになることを望んでいるわけではない。パンダになる権利を得た後に、真の志願者に権利を売り渡すことを計画している。要は、金が目的なのだ。
彼らから見て、俺は愚かだろう。
だが、記憶喪失になった俺がもとに戻る手がかりは、パンダにしかない。ゆえに、俺はパンダを目指すしかない。
ぼろぼろのからだに鞭をふるい、拳を後ろに引く。大勢でバカにしたければ勝手にすればいい。そうだ、これは俺一人の戦いだ。
みていろ!俺は、パンダに、なるんだ!
「ぐえ!」「んあ!」
そのとき、短い悲鳴が響いた。同時に、なにかが崩れ落ちる音。
突然のことに、俺は静止する。眼前の男も、戸惑いながら、後ろを振り向く。
そこには、一人の……おそらく女の子が立っていた。
短いスカートセーラー服。手首足首にはシュシュをつけている。胸のふくらみもわずかに確認できるが、性別を断定できないのは、その頭部が理由だった。
彼女(仮)は、バイクのヘルメットをかぶっていたのだ。その人相はすっかり隠れてしまっていて、性の判別を妨げている。表情もうかがえない。
だが、よく目を凝らすと、ヘルメットの後部からはポニーテールが飛び出ていたので、やはり女性の線が強いようだったので、彼女という呼称を続ける。
彼女の立つ足元には、路地の入口をふさいでいた二人組が倒れていた。おそらくさきほどの悲鳴は二人のものだろう。傍らには彼らの得物であったエアガンとパチンコが、近くに転がっている。
「だれだ、お前」
男が不審そうに尋ねるが、少女は無言である。少女は、首をこきこきと回しながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
男の鼻先数センチ前で、少女が止まる。そして、身長の低い彼女は、おもむろに男の顔を見上げる。
「パンダになりたいって言ったのは、あんた?」
戸惑いつつ、男は首を振るう。
「…………。いや、俺じゃない」
一瞬、空間が揺らぎ、男の像がぶれる。
「くっは……」
さきほどと同じような、短い悲鳴が今度は間近で響く。男のからだがのけぞって俺のほうに倒れる。
鼻からは噴水のように鼻血が飛び出て、真っ赤な虹を描いた。俺はとっさに身を避けたので、男はそのままコンクリートの地面に頭を打ち付け、ブリッジの態勢で気を失った。
再び路地に、静寂が訪れる。
俺を追ってきたものたち合計三人が、周囲に横たわる。
徒手空拳の男、パチンコの男、エアガンの男。
全員が、ヘルメットの少女に倒された。
不意打ちだったとはいえ、一分もかけずに俺が苦戦を強いられていた敵たちは全滅させられた。動きはまったく見えなかった。正体不明の不気味さが、底の知れなさを一層際立たせる。
少女はバイザーについた血を、シュシュでぬぐって俺を向いた。(シュシュとはこのような使い方をするものだっただろうか)。プラスチックで遮られ、確認することのできない彼女の瞳。しかし真っ暗なヘルメットのなかの眼球は、確実に俺を捉えていた。
身の毛がよだつ。おそらく、あれは獣の眼。順番から言えば次は俺。彼女は、俺を狩ろうとしている。こんなこぼろぼろの状態で、格上に挑むなど、まっぴらごめんだった。
なんとか見逃してもらえないだろうかと考えていると、少女はここでバイザーを開いた。
ぱかっと開かれた闇のなかには、丸い瞳が光る。
まるでパンダのようだった。




