人気者になろう! ②
ことの顛末は、こういうことだった。
ある日、蝶野蘭は、日課である、気に入らない動画投稿者への低評価ボタンと、アンチコメントをかきこむ作業をしていた。
「最低かよ。お前」
「能天気な連中みるとむかつくのよ。話を途中で途切れさせないで」
多くのアンチコメントは黙殺されるだけだったが、十七個めの動画にコメントを送ったとき、コメントに返信がついた。
『荒らしやめろ。こんなところでしかストレス発散できないとか憐れだな』
「正論じゃん」
「こんなところで熱くなっても仕方ないからね。私はクールに、短くこう返したわ」
『キモオタ乙』
うわあ。
「ここで話が終わればよかったんだけどね、結局三週間にわたる言い争いに発展しちゃったの」
三週間前のことを思い返す。俺が必死でオセロの特訓をしていた時期だ。横でそんなことをしていたのか、こいつは。なんて醜い。
「全面的にお前が悪いぞ」
蝶野は俺を無視して、SNSのアカウントをひとつ見せてきた。西木恋姫。緑が丘ビリジアンほどではないが、キラっている名前の人物である。
「しばらくして判明したんだけど、喧嘩相手の正体は、この地下アイドルだったのよ。そこから私はこいつのことを『姫(笑)』って呼び始めたの」
「お前はネットやめろ」
マシンガンのように飛び出る性悪な本性。
「さらにその後わかったんだけど、この姫(笑)は、レッサーパンダのひとりだったのよ。これは都合いいと思った私は、議論を誘導させて、ようやく先日、勝負にこじつけたってわけ」
小さな胸を張る蝶野。どこを褒めろというのだろう。
頭を抱えながら、俺は尋ねる。
「で?善悪の話やネットマナーの話は長くなるから置いておくとして、どうしてチャンネル登録数での勝負になったんだよ」
「ああ、それは、私がお前なんてファンゼロにんだろ?って煽ったら、だったら、ぱんっちで
動画チャンネル作るからその数で勝負するぞってなったのよ」
「…………」
どうしてひとは争うのか。正義なんて見方によって変わるなんて意見もある。
だが、ここで断言する。絶対悪は存在する。
俺の白い目を無視して、蝶野はパソコンを起動した。
「今日は早速だけど一本目の動画を撮影するわよ。さ、入って中川!」
パンパンと手を叩くと、0.5秒でドアが開き、しずしずとメイド姿の中川さんが入ってきた。
「お呼びですか?お嬢様」
ぺこりとお辞儀する中川さん。合図とともに出てきたので、蝶野と打ち合わせをしていたとみた。いつから待機していたのだろう。
蝶野はパソコンを操作しながら語る。
「チャンネルの名前は蘭チャンネルにしたんだけど、私顔立しNGだから、動画は、中川に出てもらうことにしたのよ」
いろいろと卑怯者である。さきほどの自撮りは、チャンネルのアイコンだけに使うようだった。中川さんは納得しているのか、凛として指示を待っている。
「僭越ながら、お嬢様のため人肌脱がせていただきます」
「中川さんだって、顔出し大丈夫なんですか?」
従順な中川さんを心配すると、代わりに蝶野が答えた。
「もともと中川はコスプレイヤーとして活動しているから今更なのよー」
唇をかんで、およよ、としなる中川さん。
「まさかお嬢様に裏アカウントが見つかるとは……。監視社会は恐ろしいです」
「弱み握られてるじゃないですか……」
よくない主従関係を目の当たりにした。しかし、中川さんも仕事場でコスプレをしているようなひとだから、見つかるのも時間の問題だっただろう。ガード態勢が甘いところは、若干だが自業自得である。
蝶野がデジタルカメラを構える。
「じゃ、準備はいい?蘭チャンネル、初の動画いくわよー!アクション!」
リハーサル無しで始めるらしい。俺は中川さんから離れて、カメラに映らないようにした。
実は俺も顔出しNGなのだ。今日決めた。
次の日、いつも通りひとりの時間を過ごしていると、委員長が鼻歌交じりに席にやって来た。
「ふふふ。ねね、尾上君。実はね?……あれ、ぱんっち観てるんですね」
「ああ、うんまあ」
俺は、中川さんが辛い焼きそばを真顔で食べる動画をみていた。メイド姿も相まってなかなかシュールな絵面なのだが、視聴者は三人しかいない。
「ううーん?そのひと知らないですね。最近始めたひとですか?」
画面をのぞき込む委員長。知り合いの痴態を観られている気がして、俺は急に恥ずかしくなった。
「そう、みたいだね。適当につけただけで、全然知らないひとだよ」
ウソをついた。心の中で、中川さんに裏切りを謝罪する。委員長はふうんというと、頷くと、自分のスマホをみせてきた。
「最近始めたといえばね、私もチャンネル作ってみたんですよー」
「ええ?」
みると、委員長が料理をしている動画が、スマホ上に流れている。生地をオーブンに入れ、雑談が始まる。動画自体は和やかな光景だが、心配になる。
「委員長、たしかお父さん市長でしょ。こんなことしてて怒られないの」
誰かから聞いた情報では、彼女の父は、この町を統べる市長なのだという。イメージとして、そのような人物が娘をネット社会の荒波に手綱なしに放り込むことを許すとは思えなかった。 しかし、委員長は、軽く手を振って否定した。
「大丈夫ですよ。絶対ばれないですから。それに、ぱんっちはアンチがいないのでトラブルには巻き込まれません。安心です。ノープロブレムです」
気楽そうにいう委員長が心配になる。いざというとき、俺は彼女を守れるだろうか。……いや、恋人でもないただのクラスメイトに、なにを考えているのだろう。おこがましい。
気色の悪い発想を振りほどき、前々から気になっていたことを尋ねる。
「そういえば、たしかに過激なコメントみたことないけど、なんでなの」
ぱんっちは、ほかの大手動画サイトと同様に、視聴者がコメントを送ることができるのだが、そのなかにひとを傷つけるようなアンチコメントをみたことはない。
委員長は、左上を見ながらいった。
「友達から聞いた噂によると、ぱんっちには、影の仕置き人がいるとか」
「絶対嘘じゃないですか」
なんだその友達。委員長にうそを吹き込むな。さきほど自分が嘘をついたことを棚にあげ、憤慨する。委員長は、はは、と笑う。
「まあほんとは運営が逐一消してるだけみたいなんですけどね」
どちらにせよ言論統制だった。それで平和になっているので、悪いこととは言わないが。
チャイムが鳴る前、俺はちゃんと委員長のチャンネル登録をした。あとで見よう。
蝶野蘭の家に行くと、彼女は険しい顔をして、段ボールの包装などに使われる緩衝材をぷちぷちと潰していた。
「くそ……つぶれろ……」
呪詛をぶつぶつ呟く彼女を遠巻きに見守る。やがて、緩衝材のぷちぷち部分がなくなった彼女は叫びだした。
「あーーーー!もう!見た!?西木恋姫の動画!」
「え、ああまだだ。あげてたの」
委員長や中川さんの配信と、ほかに追っている数人の配信者の動画に気を取られて忘れていた。検索し、とりあえず今後見逃さないようチャンネル登録する。
「西木恋姫ちゃんねる。登録者数……は?三百人?」
ぽかんと口を開ける。なんだ、この人数。
チャンネル開設日は、昨日。蘭ちゃんねると同時。それなのに、どうしてこんなに差がついている?初投稿の動画も、再生回数10000回を超えていた。
地下アイドルと聞いて、たかを括っていたが、意外とファンが多いのだろうか。
SNSのアカウントを調べてみると、しかし、西木恋姫のフォロワーは150人だった。宣伝文を拡散希望として乗せているにしても、この程度の人間が、動画サイトでのみ人気が飛躍するなどとういことがあるのか?
一見にしかずである。もしかしたら、動画のクオリティが、すべてを語っているのかもしれない。再生ボタンに指を触れる。
『モノクロハートの者どもよ、使い道のない愛があるなら、我に供物として捧げよ!どうも、パンダを目指す新人アイドルの、西木恋姫です……』
動画の内容は、なんの変哲もない自己紹介だった。特段再生回数が伸びる様な、例えばチャレンジ企画や大暴露エピソードを披露しているわけでもなく、ここまでの再生回数に伸びる原因は見当たらなかった。
ところで、俺はここでようやく西木恋姫の全身像を知る。彼女はゴシックロリータファッションを売りにする、厨二病系のアイドルらしかった。それに加え、パンダを目指している旨も動画のなかで語っているため、電波系の要素もある。
少々詰め込みすぎの設定の気もするが、巷ではアイドル戦国時代という言葉もあるらしいので、このくらいしないと地下アイドル界では生き残れないのだろう。
蝶野は、頭をかきむしる。連動してポニーテールがたゆむ。
「さっき……クソ動画乙ってDMダイレクトメール送ったら、再生回数でマウント取られた…
…!くっそ!」
くだらない喧嘩のことは置いておくとして、対策は考えないといけない。地下とはいえ、やはり、相手はアイドル。知名度や拡散力は向こうのほうが上である。正面から勝負して、勝つことはかなり難しいだろう。
それを言うと、中川さんは少しむっとした表情を浮かべて反論した。
「私もコスプレイヤーの端くれです。フォロワーに拡散してもらえばすぐ追い付けます」
しかし、蝶野が発見したという中川さんのSNSを検索してみると、フォロワー数は、わずか3人であった。
「すぐばれる嘘をつかないでくださいよ。見栄はったってなにもならないでしょう」
バツが悪そうに目をそらす中川さん。
「その手のコミュニティには参加していないので、友達がいないのです」
もはや中川さんは、コスプレイヤーというか、ただの自撮り女だった。
蝶野は、おもちゃ箱のなかから新品のノートを取り出して、今後の企画を考え始める。
「エロ方面はダメなの?」
「駄目です、お嬢様」
「ちょっとくらいなら?」
「ちょっとというひとは全部を要求してきます。お断りします」
中川さんのアカウントから、胸元のはだけたコスプレ画像を発見してしまったが、黙っておいた。他人にやれといわれてやるのは嫌なのだろう。
それにしても、今回の勝負はいまいちふんわりしている。人気という見えないもので争うのは、まるで雲をつかむようだ。それゆえか、いまいちやる気にならない。
ふと根本的なことが気になった。
「おい、蝶野。そういえば今回の勝負って、まさかとは思うけど対戦相手俺で申請してたりしないよな」
オセロの件では、セッティングを蝶野に任せたせいで、リスクすべてを俺が背負うことになった。あんなひりひりした思いは、もうたくさんだった。
蝶野は不思議そうにいう。
「え、まさかって言われても。普通にそうだけど」
「マジかよ……」
げんなりする。蝶野は、ごく当たり前のように、残酷な真似をする。気落ちする俺に対し、蝶野は鼻高々だった。
「これがリスクマネジメントだよ」
「俺のリスクは管理してくれないのかよ……」
「ああ、あとこの勝負、前回と同じく、お互い全ポイントかけてるから」
「お前絶対株だけはすんなよ!」
気質が投資家よりギャンブラー寄りすぎる。どうしてそんなに傷つくことを恐れない。自分じゃないからか。そうか。
蝶野はむっとして反論した。
「数学ゼロ点の尾上君にいわれたくない」
このあいだのテストの点数をみられていた。俺はなにも言えなくなる。蝶野は、それにしても、とスマホを眺める。
「なんでこんな底辺アイドルがこんな数字だせるんだろ」
蝶野はしばし腕を組んだあと、はっとして、指を立てた。
「あ、そうだ。尾上君、西木恋姫のライブ潜入してきて、探ってきてよ」
また、めんどくさいことを頼まれた。
俺は自分のできる最大限の嫌そうな表情をしたが、蝶野は気にかけなかった。
ライブチケット代は蝶野が負担してくれたので、仕方なく、重い腰をあげることとなった。




