七章 フラスコーの町と豚髭男爵7
「《豚髭男爵》はどこだ!?」
「いないわ!」
「あの豚野郎っ。……娘もいねぇぞ!」
「マジでどこ行きやがった?」
「メイド共……あのアバズレ共が何かしたんじゃねーか?」
「どっかに隠れてるはずだ! めんどくせぇからもう全部燃やせ!」
「そうだ、燃やせ!」
「「「「「「燃やせ!!!」」」」」」
罵声と怒号、何かを破壊する音が響き続ける。
騒乱は終わらない。
誰も、ピリオドを打てない。
幹部達をもってしても、レジスタンスの暴動、うねりは変えられない。
合図もまだだというのに、館や倉庫、塔に火がつけられた。
守っていた傭兵達は、とうの昔に消え失せている。死んだか、逃げたのか。……そんなこと、この場にいる者達には興味がなかった。
パチパチと木材が爆ぜ、壁が燃え始める。
レジスタンス達が見守っている中。フラスコーの町で重税を課していた、《豚髭男爵》の館がゆっくりと燃え続け、やがて灰になった。
沸き上がる大歓声。
反乱は、大成功に終わった。
リーダーと呼ばれレジスタンスを主導していた女性は、今、新たな領主となった。
「終わったな」
「まさか。……ようやく、これからだよ」
隣に立つ「右腕」と呼ばれる幹部と小声で会話しながら、新しい領主は部下達に、周囲を調べてくるように言いつけた。
「……ここまでレジスタンスが暴走するとは思わなかったな。途中、町で新しく仲間を集めたのが裏目に出たね。命令が中々浸透しない」
「急だからな。だが別にいいんじゃないか? 流石に《豚髭男爵》も死んだろ。死体も必ず見つかるぜ」
楽観的なことを言う右腕に、新たな領主は首を振った。
「本当にそう思っているのか?」
領主がそう言うと、右腕は真顔になって首を振った。
「全然。……正直、少々マズいことになったぜ」
「予想外に兵が増えすぎた。おかげで懸念していた傭兵共を軽くあしらうことができたが……《豚髭男爵》を匿う裏切り者が混じっていても、不思議じゃない」
「銀狼も混じっているだろうな。……ったく、当分気は抜けそうにないぜ」
二人は揃ってため息を吐いた後、忘れていた人物の存在を思い出した。
「「そういえば、《豚髭男爵》の娘はどこにいったんだ?」」
《豚髭男爵》は、自身が治めるフラスコーの町の住民から恨まれていることを、ある程度理解していた。
だから、《豚髭男爵》は前の領主からこの町を受け継いだとき、ある人々を難癖をつけて町から追い出した。
……それは前の領主が秘密裏に造った、館からの脱出路について知る人々だった。
調理場の戸棚をどかした先に、地下水路に繫がる穴が隠されている。
恐怖によってとうの《豚髭男爵》はすっかり忘れていたが……予めそのことを教えてもらっていた娘は違った。
ドーズに秘密通路の存在を尋ねられた娘は、すぐにその穴のことを教えた。
これにより、どうにか二人は逃げ延びることに成功していた。
だが……余計な男が一人、ついてきてしまっていた。
大泥棒銀狼。最後の至宝――儚くも美しき麗しの乙女を追って、彼が来ていた。
苔むしたコンクリートの丸い壁。太股の高さまで水が流れた一本道。
薄汚れた地下水路にいる人間は、たった三人。今のところ、追っ手の気配はない。
一人は二十歳手前の、黒に少し銀が混ざった髪が特徴的な黒目の男だ。男にしては妙なことに、長い髪を尾のように後ろでまとめている。
二人目は十代後半……おそらく十八歳くらいの少年で、中肉中背で眼光は鋭く、腰には剣を下げ、革の鎧を着ていた。
そして三人目は……銀髪と赤い瞳が特徴的な少女だ。
全ての発端である『大泥棒銀狼』。
《豚髭男爵》の一番の部下、ジャント三兄弟【三匹の子豚】の末弟ドーズ。
大泥棒銀狼が盗むことを予告した三つの至宝の最後の一つ、《豚髭男爵》の養子、儚くも美しき麗しの乙女。
地下水路にいるのは、この三人だ。
今、少女を背にドーズは刀の柄を握り、銀狼と対峙している。
「……ドーズと言ったか? 感動の再会なんだ、邪魔しないでもらいたいな」
「黙れ。指図するな。ドブー兄さんを怪我させた報いを、今こそ受けてもらうからな」
ボクと銀狼は互いに殺気を放ちながら睨み合った。だが、その間に少女が割って入る。
「……待って。剣を抜かないで、ドーズ」
少女はそう言って、銀狼を見つめた。
「私……あなたのことを知っている気がするの。本当に、知り合いよね?」
その時、ボクは少女がここまで長く、感情的に言葉を発しているところを、初めて見た。
いつも無気力そうな顔で、ぼんやりしているだけだったのに。
銀狼は笑顔で両手を広げた。
「ああ。久しぶりだな、ベルナ」
それを聞いて、おずおずと、少女――ベルナが銀狼に近づく。
……イヤな予感がする。
ボクは止めようとしたが、その前に、ベルナはある程度近づいてからそれ以上銀狼に近づくのを止めた。
「……私には、記憶がありません。私の知り合いだというのなら、私のことを教えてください」
思ったよりも、ベルナは冷静だった。
銀狼はそんなベルナを見て軽く笑う。
「ああ、いいよ。何が聞きたい?」
そして、そう言った後――――すぐさま突進し、斬りかかった。
「……ッ。早いな……!」
ギャリ、と音を立てて、ボクの剣と銀狼のナイフがぶつかり合う。
間一髪。危ないところだった。
一度、距離を取った方がいいだろう。
フェイントを仕掛けつつ滑らかな動きでベルナの首元を掴み、ボクは銀狼から距離を取った。
「ど、どうして。知り合い、なのに?」
咳き込みながら、ベルナが問いかけた。声が震えている。かなりショックを受けているらしい。
「……知り合いだからさ」
先程の薄っぺらい笑顔は消え、苦々しい顔で銀狼はそう言った。
「詳しく言うつもりはないと?」
「タダでやる情報はない。お前もそこをどけ。どのみち雇い主からは、報酬はもらえねぇぞ」
「構わない。ドブー兄さんの分はやり返したいし、ベルナのことは気に入っているから」
「…………フン。そんな張りぼての女が好きなのか? 妙な趣味だな」
「違う。友達として好きなんだ」
「そうか。なら実力でどかす」
「させない。……下がって」
ベルナを下がらせ、ボクは銀狼を睨んだ。
ボクが剣を構え、銀狼はライフルを構える。
「とっとと死ね」
銃口がボクを捉えた。背後には、ベルナがいる。避けることはできない。
彼我の距離は道路一本分。水のせいで動きづらい上に、扱う武器にはリーチの差がある。
多少、不利ではあるが……まぁ、致命的なほどではない。
銀狼が銃を撃つより早く。ボクは勢いよく剣を振り上げた。
剣先にまとった水がまっすぐ飛び、銀狼の顔に向かう。銀狼が舌打ちと共に顔を庇い、そのままの姿勢で銃を撃った。
ベルナの頭を抑えながら、ボクもしゃがみ銃弾をかわす。
剣や刀、斧のような近距離武器にとって、銃や弓のような遠距離武器は脅威だ。
――だからこそ、対策はしっかりと練ってある。
水の下にある床を蹴りながら、すばやく接近する。そして今度は逆に、水に向かって勢いよく剣を振り下ろした。
派手な水飛沫が起こる。
「!? クソ、どこだ……!」
弾丸。弾丸。弾丸。
銀狼が闇雲に乱射し続けるが、当たらない。こちらも水飛沫が邪魔で目は使えないけど、気配で位置は完全に捉えている。
大きく踏み込んで懐に飛び込み、剣を振り上げる。
――――そして、その剣は空を切った。
水飛沫の向こう側からナイフを握った手が、カウンターの要領でこちらの首に向かって伸びてくる。
ギリギリで首を動かし、ナイフに頬を切り裂かれるだけで済んだ。
宙に浮かび上がった水が落ち、視界が回復する。
剣は、銀狼の脇の間をすり抜けていた。
先程の慌てた様子は、演技だったのだ。
意表を突いたつもりが、逆にこちらが意表を突かれている。見事と言うほかない。
「死ねよ」
銀狼のもう片方の手に握られた銃が、こちらを向く。
一度下がるか……いや。
ボクは更に踏みこみ、頭突きを放った。
苦悶の表情を浮かべながら、銀狼は銃を持った手の甲でこちらの頭突きをしのぐ。
即座に下がり、再び剣を構える。
ナイフでも、銃でもない。
この絶妙な『間合い』こそが、剣の間合いだ。
「はぁぁぁぁ!!!」
咆哮を上げながら、連続で剣を振るう。
休む暇を、決して与えない。どうにかここで決めたいところだ。
銀狼がナイフで応戦してくるものの、何とかこのまま押し切りたい。
「……」
ボクはそっと、魔術を行使した。
剣に文字が浮かび上がり、青白く輝き始める。
「チッ。魔術か」
「こんな田舎の剣士が使うとは思わなかったの? 多少は使うよ」
剣を振るうと同時に、文字と光が消える……というより、剥がれる。
剥がれた光と文字は複数の刃となり、同時に銀狼に襲いかかった。
刃が直撃する直前に、今度は銀狼のライフルが輝き始める。
しかし間に合いそうにない。……無数の刃は、確実に銀狼を切り刻んだ。
「勝った……か?」
直撃したし、重傷は与えられた。
なかなか強敵だったが、これで終わったはず。そう思ったが、直後、背筋を悪寒が走った。
まだ油断すべきではない。本能的に、そう悟った。
斬撃によって生まれた水飛沫が落ち、視界がクリアになる。
銀狼は、青白く輝く銃口をこちらに向けていた。
全身の至る所に切り傷があったが、致命傷とはほど遠い。
「……そうか、避けたのか」
魔術であっても斬撃である以上、ある程度避けることは可能だ。だが、ここまで最小の被害で抑えられる人間を、ボクは自分以外に知らない。
「隙も作らずに撃った乱雑な一撃だったからな。当然だろ?」
当たり前のように、銀狼はそう言った。
……どうやら思った以上に、この戦い楽しめそうだ。
「ここまでの実力者と戦うのは久しぶりだ。気が高ぶるよ」
笑いながら剣を構え直したボクに、銀狼は呆れた顔でため息を吐いた。
「戦闘狂が……。躱すなよ? 避ければ、後ろのベルナに当たるぞ」
もしかして、ここまで誘導されたのだろうか? ……だとしたら、相当ハイレベルな戦術だ。こういった事が得意なリドー兄さんでも、ここまでできるだろうか?
勝利を確信したのか、銀狼は笑いながら魔弾を撃った。
あれを食らえば、ボクは死ぬ。そして、避けることは許されない。
これを絶体絶命と言うのだろうか? ……いや違うか。
ピンチに陥ったとき、しばしば自問自答する問いに、ボクは今日も否定の言葉を紡ぐ。
まだピンチじゃない。……まだ。
こんな魔弾、避けなくていい。避ける必要がない。
「はぁぁぁぁぁ!!!」
鋭い金属音がなる。膨大な魔力を内包し、大きなエネルギーの塊と化していた魔弾を、ボクが剣で弾き飛ばしたのだ。
あんぐりと、銀狼が初めて驚いた顔になった。
「意表を突くのは、あなたの専売特許じゃあないんだよ」
剣が折れた。だが構わない。
折れた剣を投げつけ、徒手空拳で走る。
「さぁ――――戦いはこれからだ。楽しもうよ?」
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