六章 フラスコーの町と豚髭男爵6
……援軍の騎士団は到着が遅れていて、大泥棒銀狼の予告した日に間に合いそうにない。
その知らせは、瞬く間にフラスコーの町中を駆け巡った。
騎士団が襲撃に遭ったとも、どこかから賄賂を受け取った関所の役人が、時間稼ぎをしているとも言われているが、定かではない。
分かっていることはただ一つ。
――それは、間違いなく大泥棒銀狼の仕業ということだった。
レジスタンスはこれを好機とみて、大規模かつ大胆なパフォーマンスを行った。
武器を担ぎ、《豚髭男爵》の顔に赤い×印を書いた旗を振りながら町を行進する。
住民達も事ここに至っては、これから起こる戦いの趨勢を悟った。
ある者は武器を持って隊列に加わり、ある者はレジスタンスに資金を提供した。
――――暁に、痩せたケモノの群れが集う。
もはや、臆病な兎たちは獅子へと変じた。
火が、上がる。
反乱の炎が、今まさに燃え上がった。
まさに大泥棒銀狼が、機械仕掛けの黄金林檎『ゴールデン・アップル』を奪うと予告したその日、レジスタンスは徒党をなして《豚髭男爵》の館に向かった。
「いよいよ、これまでですか……」
近づいてくる喧噪を聞きながら、ぽつりとリドーが呟いた。
既に、勝敗は決していた。
質はともかく、数が余りに違いすぎる。こちらが百にすら遠く満たないのに対し、相手は軽く数倍はいる上に、まだ増え続けている。
傭兵共の士気も低い。……そして、自分が兵士を鼓舞する能力に欠けていることを、リドーは知っていた。
仲間の士気を上げるのはいつも兄のドブーの役目だったが、今ここに兄はいない。《豚髭男爵》にクビを宣言されたドブーは、既にフラスコーの町を離れていた。
「はぁ……」
思わず、ため息が出る。
士気が低いだけでも問題なのに、自分と傭兵達にできることは限られていた。騎士団が来るという話だったから、《豚髭男爵》に様々なことを制限されていたのだ。自分が得意とする謀略もその一つ。ここ最近、何一つさせてもらっていない。
最初から自分が好きに動けていれば、できることはもっとあった。兵力にここまで差があろうと、相手は素人だ。援軍を期待し籠城するのなら、幾つか策があった。罠も張れた。
……しかしそれも、今さら不可能だ。
自分も他の傭兵達も、もはや逃げることすら叶わない。
ついに、間近で大きな雄叫びが聞こえた。
塀に備えられた門が破壊されたのだ。
怒濤の波の如く、市民とも兵士とも判断のつかない無数の輩が、館に入ってくる。
士気など最早ない傭兵達は、既にムチャクチャだ。
ある者はリドーと共に倉庫と守ろうとし、ある者は逃げ、ある者はやけくそ気味に敵兵に突っ込んでいった。
……これから、自分は木の家を守る子豚のように、あの狼の群れに吹き飛ばされるのだろう。
「せめてドーズ。……お前だけは逃げろよ」
最後にそう呟き。リドーは武器を抜きながら眼前に迫る敵に向けて、最初の一歩を踏み出した。
「終わりだ……もう、お終いだ……!!」
館の深奥、主人の寝室で、《豚髭男爵》……ピッグル男爵は布団を被り震えていた。
周囲にいつも侍らせていたメイド達はいない。皆、ピッグル男爵の金と権力のために我慢して、彼に付き合っていたに過ぎない。二つを失いつつある以上、もう余興は終わるしかない。メイド達は事態の趨勢を見極め、既にピッグル男爵を見限りレジスタンスに与していた。
本館に残っている人間は今やたった一人。ピッグル男爵だけだ。
「ヒッ!」
遠くの方で、また大きな歓声が上がった。きっと、リドー達が倒されたのだろう。
「クソ、どうしてこんなことに……。俺は、何も悪いこと何てしてないのに……! ただ俺より劣る庶民共から、絞れるだけ絞っていただけなのに……!」
ピッグル男爵の嘆きは、誰にも聞かれることなく宙に消えていった。
……いや、一人だけ、聞いている者がいる。
「まだそんなことを言っているのか。やはり救いがたいな」
扉が開き、一人の男が寝室に入ってきた。
二十歳手前の、黒に少し銀が混ざった髪をした、黒目の男性。男にしては妙なことに、長い髪を尾のように後ろでまとめていた。
「誰だ!?」
叫びながら、ピッグル男爵は震える手でナイフを握りしめた。男は肩をすくめ、ポケットからソレを取り出した。
大泥棒銀狼が予告していた、三つの至宝の一つ。
機械仕掛けの黄金林檎『ゴールデン・アップル』だ。
「予告通り、頂戴したぞ?」
至宝を宙に投げながらニヤリと笑う男に対し、ピッグル男爵はあんぐりと口を開けた。
「お、お前が、お前が大泥棒、銀狼!!!」
「いかにも」
パシッと音を立てて、銀狼は至宝を掴み、ポケットに戻した。
「良くも俺の前に顔を見せたものだな……。殺してやる!」
布団から飛び出したピッグル男爵が、闇雲にナイフを突き出す。……あっさりとその手が掴まれ、ナイフは奪われた。
「どうやってだ? ……落ち着け。俺はお前を助けに来たんだ」
「助けにだと?」
「そうさ」
コンコン、と銀狼は窓を叩いた。
「外はもうこんな状態だろう? 皆これまでの仕返しをしたくて……お前を殺したくて必死だ。俺のせいで人が死ぬのは、少々寝覚めが悪くてね」
また、外で歓声が上がった。ブルリと背筋を振るわせた後、ピッグル男爵はそれを隠すようにキッと銀狼を睨んだ。
「誰がお前なんぞ信じるか。お前のせいで陥った窮地なんだぞ」
「そうか。……なら仕方ない、邪魔したな。おとなしく殺されてくれ」
「なっ――」
ニヤリと、銀狼は意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「駆け引きをするような時間はないぞ? ……レジスタンスの連中、結構な量のガソリンを持ってやがった。一度だけ見たことがあるが、生きたまま焼かれるってのは、かなり辛いぞ」
その言葉に、ピッグル男爵は今度こそ震え上がった。
「……どうすればいい?」
うな垂れたピッグル男爵に、銀狼は端的に教えてやった。
ここにいたメイド達は、何も全員がレジスタンスに鞍替えしたわけじゃない。この騒動を利用して、どこかに逃げようとしていた者もいたのだ。
銀狼は、そんな彼女たちを買収した。
レジスタンスに紛れて、ピッグル男爵への怒りに震えたフリをしている元メイド数名が、既に逃走の準備を進めている。
「アンタが金貨を詰めていたタルを一つ空にしてある。そこに詰められて町の外まで行け。物音は立てるなよ? ……後はアンタ次第だ」
銀狼はそれだけ言うと、振り返らずに部屋を出ていった。
まもなく、ここにも火が上がるだろう。財宝は手にれたし、この混沌を利用して町から逃げ出すのが最も賢い選択と言える。
だが、銀狼はまだ町を出るわけには行かなかった。
最後にして……もっとも重要な至宝がまだ残っている。彼女を放って逃げるなど、ハナから銀狼の選択肢にはない。
なぜなら、彼女は銀狼にとって……。
「ようやくだ。待ってろよ、ベルナ」
最後の至宝――儚くも美しき麗しの乙女を追うべく、銀狼は急いだ。
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