五章 フラスコーの町と豚髭男爵5
『涙の雨が降り続けるフラスコーの町の王、《豚髭男爵》へ。
ごきげんうるわしゅう。
エデンを含めた七つの絵は頂戴した。
次はまた一週間後、機械仕掛けの黄金林檎『ゴールデン・アップル』を頂戴しよう。――――大泥棒銀狼より』
予告状はいつも通り、食堂に矢文で届けられた。また一週間後に盗みに来るという宣告によって、《豚髭男爵》は泡を吹いて倒れた。
事件はそれだけでは終わらない。
事件直後の混乱の隙を突き、本館に保管されていた宝石類が幾つも盗まれたのだ。
犯人は既に分かっている。最近雇ったばかりの、若いメイドだ。
彼女は《豚髭男爵》の統治をひっくり返そうと画策している、レジスタンスのメンバーだった。
彼女が盗み出した宝石によって、レジスタンスは最大の課題だった資金難を解決することが可能となった。
大泥棒銀狼と、レジスタンス。
《豚髭男爵》は、この二つの敵と同時に戦う羽目になった。
「……これが、銀鳥の正体か」
リドーとドーズは、渋面でソレを見た。
館を囲う巨大な塀。城壁にも似たその巨大な壁の上に、いつの間にか複数の装置が設置されていた。
ワイヤーの射出装置と、大型の弩だ。
これらの装置を使い、矢文を届け、毒ガスを放つ球体を放り込み、銀狼は塔から脱出し
たようだ。
「安直と言えば安直な手ですが……よくもまぁこんなことができたものです」
塀から塔や館までは、相当な距離がある。並大抵の腕では不可能だ。
「彫られている魔法陣と呪文は、風除けの類と、タイマー式の自動発射かな」
ドーズの言葉に、リドーは頷いた。
「たぶんそうでしょうね。全く、用意周到です」
「やっぱり、大泥棒銀狼は相当な実力者と考えた方がいいかな」
「そのようですね」
二人は揃って、ため息を吐いた。
「ドブー兄さんの容態は?」
「もう元気にしてますよ。……復帰はまだですが」
何しろ、一度ナイフが手に刺さったのだ。たかだか数日では回復しない。
「リドー兄さんも、油断しないでよ」
「分かってますよ。……全力は尽くします。仕事ですから」
そう言って、苦々しい顔でリドーは館の方を見た。
先刻の、《豚髭男爵》とのやり取りを思い出したのだ。
「カンカンだったな」
「ええ。……まぁ失敗したのはこちらですから、何も言えませんがね」
随分と罵倒され、罵られた。謂われのない誹謗中傷も多々混じっていた。
「男爵は我々だけでは信用ならないと、近くの騎士団も呼ぶそうで。……ま、現場の主導権は奪われるでしょうし、仕事は楽になりますが、これから退屈でしょうね」
「ドブー兄さんが無事なら、それでいいよ」
ため息を吐くリドーを見て、ドーズは澄んだ目でそう言った。それは美しき家族愛に満ちた言葉にも聞こえるが、それだけではない。
リドーにも、ドーズにも分かっていた。
ドブーが負けた以上、実力で劣るリドーは絶対に大泥棒銀狼には勝てない。
少なくとも、一対一では絶対に。リドーは三兄弟の中ではもっとも弱く、戦闘力の高い二人を陰からサポートしたり罠を仕掛けたり、策を講じることが役目だった。……しかし騎士団に現場の主導権を奪われるとなると、そうしたことは殆どできなくなる。
「相手が予告状通りに来るのであれば、バラけずに三人一緒に塔を守った方が良かったですね」
痛恨の表情でリドーが言うが、今さらどうにもならない。
事態は既に、二人の手の届かない所で動いていた。
フラスコーの町の外れにある廃墟。そこが、レジスタンスのアジトだ。
ほんの数日前まで、ここは本当に廃墟だった。
埃の被った建物には武器も殆ど無く、レジスタンスのアジトというより、住民達の集会所といったところだったが、今では違う。
レジスタンスの一員、メイドとして《豚髭男爵》のもとに潜入していた献身的な若い少女が、大泥棒銀狼が盗みに入っている隙を突き大金を強奪して戻ってきた。
士気は十分。人数も悪くない。唯一足らなかったのは武器と、それを買う資金だった。
若い少女の活躍により、その問題は解消される。
安物の剣と、粗悪な量産銃ではあるが、全員分を揃えることができた。
あとは、いつ仕掛けるか? ……という、それだけの話だった。
「今すぐに仕掛けるか、大泥棒銀狼の一件が終わった後に仕掛けるか……ってことね」
そう呟いたのは、若い女性だった。
この町でしばしば見かける、灰色のズボンとジャケットを着込んでいる。貧困に喘いでいるフラスコーの民が服を買うときに重視するのは、安さと丈夫さだ。この服は見た目こそ地味だが、丈夫さに関しては文句の言いようがなかった。
彼女は左手に黄色のスカーフを巻き付け、胸元にひまわりのネックレスをしていた。
その場にいる他のメンバーは、同じく腕か、もしくは首元、頭にそれぞれ黄色のスカーフを巻いている。
それがこのレジスタンスのメンバーであるという証であり、黄色いひまわりのネックレスは、彼女が組織のリーダーであるということを示していた。
「今すぐ仕掛けようぜ、リーダー」
そう言ったのは、彼女の隣にいる男だ。彼女と同じくらいの年頃の若者だが、少しだけ、彼女よりも幼さが残る顔付きをしている。
リーダーと呼ばれる少女の幼馴染みであり、思慮深い彼女とは異なり猪突猛進かつ好戦的な性格をしていた。その苛烈さからしばしば猛犬に例えられる青年だが、彼女にだけは絶対服従で、言うことを聞いている。故に、組織において彼は「右腕」と呼ばれていた。
「銀狼のおかげで、《豚髭男爵》は今大混乱だ。厄介な手下の三匹の子豚たちも、一人は怪我を負って前線から離れている。今攻めないで、いつ攻めるんだよ」
「だからこそじゃないか、右腕。大泥棒銀狼は思ったよりも優秀だ。奴が暴れた後、俺達は安全に《豚髭男爵》の館に押し入り、トドメをさせばいい」
「――それじゃ、俺達市民の怒りが収まらねぇだろうが!!」
怒鳴り声を上げて、右腕は拳をテーブルに叩きつけた。
大きな音が鳴り、その場にいた十数人の……幹部達の視線が右腕に集中した。
「……市民の怒りは分かるさ。でも、何よりも勝つことを優先すべきだろ?」
「勝つのは当然だ。問題なのは、その後だろ!?」
「まぁ、全てが片付いた最後の最後に出てきて《豚髭男爵》に引導を渡しても、市民の評価は得られんか」
「それはそうだが……問題は本当に勝てるかどうか、じゃないか? 《豚髭男爵》は新しく騎士団を呼んだと聞いたぞ」
「だが銀狼が盗みを予告した日に攻め込めば、混乱を利用できるんじゃないか?」
がやがやと、幹部達が意見を交わし合う。しかし、話は決着がつきそうになかった。
やがて、幹部達はリーダーの方を見た。
「リーダー、あなたの意見を伺いたいです」
そう尋ねられて初めて、彼女は口を開いた。
「……大泥棒銀狼が予告した日に、私達もまた《豚髭男爵》の館を襲撃します」
静かに、ゆっくりと彼女はそう言った。
右腕以外の幹部達はそれぞれ視線を交わし合い……その内の一人が手を上げた。
「理由を伺っても?」
「ええ。でも、その前に入って来てもらいたい人がいるの。いいかしら?」
皆が頷くのを待って、リーダーは手を叩いた。
その音を合図に、《豚髭男爵》の館に潜入していた少女が部屋に入ってきた。
「皆に、あれを見せてあげて」
少女は頷き、持っていた手紙をテーブルに置いた。
『涙の涸れた者、フラスコーの町の陰に潜みし者へ。
ごきげんうるわしゅう。
《豚髭男爵》の館へ盗みに入る。俺に協力せよ。
協力するのであれば、相応の財宝を取り分として譲ろう。――――大泥棒銀狼より』
「これは……」
驚いた顔で、幹部達はリーダーを見た。
「《豚髭男爵》の館に潜伏していた彼女の部屋に、エデンが盗まれる数刻前にひっそりと届けられたそうよ。これとは別に、具体的な指示が書かれた手紙もあった。……その手紙があったから、あの子はこれだけ大量の財宝を盗み出せたのよ」
まじまじと幹部達は少女を見た。大勢の人間に見つめられ、少女は顔を赤くして縮こまった。
「協力の見返りに、それなりの財宝をくれるってわけか……」
右腕は震える手で手紙を掴み、くしゃり、と音を立てて握り潰した。
「あの豚野郎の財宝は、元々俺達の税金だ! 泥棒風情にやる金は、一銭たりともねぇ!!」
「そうだ、あれは俺達の金だ。誰であろうと奪わせねぇぞ!」
「しかしあの大泥棒、戦力としては確かだぜ? この際えり好みせず利用するのも手だろ」
「信用できるのか? 一度旨い汁を吸わせて信用させて、後から不意打ちするってのは、良くある手だろ」
口々に言い合う幹部達を見て、リーダーは静かに、少しだけ口角を上げる。
「無論だよ。あの金は我々のもの。――盗人にやる金は無い」
その言葉に、幹部達は互いに顔を見合わせた。ゴクリ、と誰もが唾を飲み込み、改めて、右腕が尋ねた。
「……どういうことだ?」
「言ったとおりだよ。私達は銀狼と協力する。……途中まではね。最後の最後で裏切るつもり」
ヒュウ、と誰かが口笛を吹いた。
「具体的には?」
「簡単なことだよ。……以前から、反乱が成功した暁には《豚髭男爵》の館を燃やすと決めていただろう。そのことを知らせない。大泥棒には、生きたまま炎に包まれてもらう」
リーダーは古い新聞を取り出した。一週間ほど前、銀狼が初めて《豚髭男爵》に出した予告状の内容が書かれたものだ。
「ラフ・フラスコー画『エデン』、機械仕掛けの黄金林檎『ゴールデン・アップル』、それに儚くも美しき麗しの乙女。この三つが、大泥棒銀狼が宣言した《豚髭男爵》から盗む三つの至宝だ。そして前の二つは有名な《豚髭男爵》が持つ宝だが、最後の一つ、『儚くも美しき麗しの乙女』だけはよく分からない。情報によると《豚髭男爵》がどこかから連れてきた小娘のことらしいが、おそらくは元奴隷で、美しさ以外に少女に価値があるとは思えない。……十中八九、この少女はフェイクだろう」
「フェイク?」
「詐欺師がしばしば使う手口だよ。最初に多めに伝えておいて、油断を誘うのさ。三つの至宝を一つずつ盗むと伝えているが、実際に欲しいのは二つだけ。後一回分余裕がある、と思わせるための嘘だよ。……まぁ、殆ど意味はないだろうけどね」
「なるほど。……しかし、本当にその少女に価値があるかもしれないだろ? どこかの王族だとか……」
「本気で言ってる?」
リーダーが呆れた口調で聞き返すと、その幹部も口を濁した。本気の発言ではないことは明白だった。
「確かに、そうしたこともないとは言えないが……その確率は奇跡に等しい」
「だから次で決める、そう言うわけか」
右腕の発言に、リーダーは頷いた。
「我々は大泥棒銀狼の裏をかき、次で奴ごと《豚髭男爵》を葬り去る。少々道義に反しているが……所詮、どちらも人から金を盗む悪党だ。気にする必要はない」
右腕だけは顔をしかめていたが……他の幹部達は全員、手を叩きリーダーの決定に賛同の意を示した。
――こうして、レジスタンス達の方針は決定された。
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